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2018年1月12日 (金)

近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その2)……石積神社、窪田の常夜灯、高田本山専修寺

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 近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」への2回目です。昨日の1回目では、地図の右下にある、近鉄名古屋線・江戸橋駅をスタートし、左上の大沢池近くの魚歳食品で天ぷらを試食したところまででした。今日は、その魚歳食品のすぐ近くにある石積(いしづみ)神社の話から。
Img_1881c 魚歳食品の前に「大澤池東」という交差点があります。ここには、1月7日に三重K-ABCアセスメント研究会に行った国立病院機構三重病院の看板が出ています。日曜日もクルマでここを通って行ったのでした。それはさておき、交差点の対面に、この石積神社があります。
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Img_1883c 石積神社の鳥居と社名標。名前の通り、鳥居も石でできています。由緒書はありませんでした。ネットで調べても、由緒は不詳でした。リンク先の説明によれば、織田信長の戦乱により当社は兵火によって焼失、廃絶となっていたものを、その後現地(旧地)に祀るったとあります。信長の戦乱により灰儘に帰したとき、神霊は伊勢神宮にお遷りになったといいます。その後いつの世か不明ですが、山田地方に非常の暴風雨が頻発し、人々が災害に苦しんだとき、神宣を伺ったところ、「これ石積の神の崇りにつき、神霊を鈴鹿の山続きなる尾前の地、南に溜池あり、北に里ある所に遷し祀れよ」というご託宣があり、直ちにこの旧社地窪田に奉遷になったそうです。旧村社。
Img_1896c 左は、石積神社の拝殿。御祭神は、大山祇神です。大山祇神は、山をつかImg_1894c さどる神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子。大日霊貴命、経津主命、活津日子根命、天津日子根命、誉田別命が合祀されています。
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 最近、神社に行くと、狛犬のスタイルが気になるようになりました。石積Img_1885c 神社の狛犬も、「子取り、玉取り」となっています。向かって左が「子取り」、右が「玉取り」です。
Img_1889c 石積神社の鳥居にある「額束(がくづか)」も石造でした。ちなみに、ここと同じく、「石積神社」と書く神社が、この南1.5㎞ほどの所にあります(津市河辺町、津西高校の北)。こちらは、「いしだてじんじゃ」と読みます。
Img_1918c  時刻は11時を過ぎました。石積神社のある大里窪田町から、また国道23Img_1917c 号線中勢バイパスをくぐって、一身田へ。旧・伊勢別街道沿いに住宅もありますが、ほとんど田園地帯を歩いて、窪田の常夜灯を目指します。南の方には、津の市街地も見えています。
Img_1920c JR紀勢線・一身田駅北の曲がり角を曲がると、窪田の常夜灯が目に入ります。あらかじめ調べて、「市内最大」というのは、知っていたものの、実際に見た途端、思わず「デカっ!」という声が出てしまいました。歩いている方や、住宅と比べていただくとその大きさがお分かりいただけると思います。こんなに大きな常夜灯を見たのは初めて。高さ8.6mもあるそうです。
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 旧伊勢別街道沿いにあります。上述のように、高さ8.6mで、津市内最大の常夜灯。東海道関宿と参宮街道を結ぶ伊勢別街道は、江戸時代、京都滋賀方面から伊勢神宮へのルートとして、賑わったそうです。滋賀県の商人が資金を出して造り、当初は伊勢神宮まで運ぶつもりだったのが、大きすぎて運ぶのが困難になり、やむなくこの地に設置したものだといいます。
Img_1928c そばに行って見あげた写真。本当に大きいです。右は、説明板。それによれば、Img_1929c 文化14(1817)年につくられ、伊勢別街道の宿場町であった窪田の東端の近江屋、大和屋といった旅籠の近くに作られたものだそうです。左の写真でも分かりますが、燈籠の竿には「江州」の文字が刻まれ、「近江国」の商人が伊勢神宮へ寄進したことを示しています。また、台座には琵琶湖の東の地域を表したと思われる波模様がきざまれています。この常夜灯は、その後、地震によって3回も倒れたものの、地元関係者の協力で再建されたそうです。
Img_1955c 常夜灯から200mほどのところにJR紀勢線・一身田駅があります。なかなImg_1957c か趣のある駅舎です。この駅舎は、大正12(1923)年12月に竣功し、平成3(1991)年に改修されました。無人駅ですが、ハトに委託管理されいるようでした(微笑)。
Img_1960c 駅舎の前には、あの丸形ポストもあり、いい風景です。平成21(2009)年には、鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷのポスターに採用されたそうです。ここまで来れば、高田本山・専修寺はもうすぐ目の前です。
Img_1971c 200mほど歩くと、一身田寺内町の入り口になります。一身田寺内町は、Img_1969c 環濠に囲まれています。一身田寺内町は、高田派本山専修寺を中心にした一種の自治都市として成立した町です。
Img_1976c 環濠は、東西約500m、南北約450m。南側は毛無川を利用しています。Img_1978c 寺内町を区画することだけでなく、町を防御する機能もあったといいます。一身田の環濠は、寺内町の周囲を巡る環濠としては、日本で唯一ほぼ完全な形で残る貴重なものだそうです。専修寺に来るのは、3回目で、環濠はもっと幅広いイメージがあったのですが、案外狭いものでした。
Img_1980c この環濠からが寺内町。安楽橋という橋を渡ると、その寺内町。橋の傍Img_1972c らには、標柱があります。「右 本山○詣道」と読めます。○のところは、残念ながら、小生には読めませんでした(苦笑)。ちなみに、専修寺の土塀は、筋塀です。筋の数で格式が分かり、5本が最高です。専修寺は当然、5本筋。
Img_1985c いよいよ専修寺。こちらは、唐門。国指定重要文化財。如来堂の正面にImg_1988c 建つ門で、文化6(1809)年に木挽きが始まり、文政10(1820)年に地築き、天保15(1844)年に棟上げをしています。屋根は檜皮葺で、正面と背面の軒に大きな唐破風があることから唐門といわれます。ここから、専修寺に入りました。
Img_1994c こちらは、如来堂。「証拠の如来」と呼ばれる阿弥陀如来立像を本尊とImg_1996c し、教義上この堂が伽藍の本堂となるそうです。昨年11月、国宝に指定されています。お堂に上がって、お参りしてきました。右の写真は、お堂から西を見たもの。専修寺には、家内の父のお骨が納めてあります(2014/6/17:高田本山専修寺へ……納骨でした【6/18に加筆修正】)。
Img_2000c 高田本山には、蓮が35種類135鉢もの蓮があります。お堂の前に蓮鉢が並んでいます。納骨に来たときは、蓮の花が咲いている季節でした(前記のリンク先をご覧ください)。高田本山では、「蓮のオーナー制度」をしているようで、左の写真の蓮鉢にも、名前が書かれています。一鉢に付き3人がオーナーになれます。一口5,000円。お茶会への招待やら、株分けやらが特典にあります。
Img_2009c 続いて、御影堂へ。こちらも如来堂とともに国宝になりました。宗祖親鸞Img_2012c 聖人の木像を中央須弥壇上に安置し、歴代上人の画像を両脇壇および両余間に敬置するお堂です。 725畳敷きで、全国の現存木造建築の中でも5番目の巨大な堂だそうです(三重県内では最大)。
Img_2016c こちらにも上がって、お参りしてきましたが、実に立派で、大きいお堂でImg_2023c す。間口42.72m、奥行33.50m、一重(単層)の入母屋造です。万治2(1659)年から建立が始まり寛文6(1666)年に完成しています。
Img_2025c 鐘楼。1間4方で、入母屋造の屋根をのせています。一般的な鐘楼と同Img_2026c じ造りだそうです。棟瓦から正徳3(1713)年の刻銘が発見され、そのころ再建されたものと考えられています。銅鐘は、専修寺第15世住持堯朝上人の夫人高松院が、堯朝の7回忌を迎えるにあたって、慶安5(1652)年、辻越後守重種と一族の氏種に鋳造させたものです。辻氏は、津の釜屋町に住んでいた鋳物師で、この地方に優れた作品をたくさん残しているといいます。
Img_2015c 銅燈籠です。2基あります。津市指定の有形文化財です。銅鐘と同じく、Img_2013c 鋳物師の辻氏の作品です(辻越後守陳種)。延宝7(1679)年頃の作と考えられています。意匠に優れ重厚な銅燈籠として貴重という理由で、津市の文化財に指定されました(昭和32(1957)年)。
Img_2044c 続いて、山門。御影堂の正面にあり、専修寺の総門にあImg_2041c たります。すぐ前には、道をへだてて石畳が伸びていて、良い感じです。2階建、間口20、奥行9m、高さ15.5m。瓦の刻銘そのなどによれば、元禄6(1693)年ごろから建築にとりかかり、宝永元(1704)年頃に完成したものといいます。
Img_2027c 左の写真は、御影堂の南東側から、御影堂と如来堂とを眺めたものでImg_2046c す。なかなか壮観です。1月9日から16日まで、報恩講(お七夜)が催されています。報恩講は、宗祖・親鸞聖人の命日を縁として、その遺徳を偲ぶための法要です。親鸞聖人のご命日は、弘長2(1262)年11月28日、新暦では、翌年1月16日になります。七夜にわたって報恩講がつとまるため、「お七夜」と言われます。
Dscn5643c 御影堂にお参りした時点で、お昼直前になりました。家内の友人から、お七夜の際の「御非時券」 をもらっていましたので、せっかくの機会、味わってきました。「非時」とは、仏語で、元は、僧が食事をしてはならないと定められた時という意味です。正午から翌朝の日の出前までの間。僧侶は正式には1日1食で、午後の食事は禁止されていたといいます。
Img_2039c 御非時は、境内の2カ所にあるようでした。どちらに行くか迷っていたら、Img_2036c 年配男性の3人連れの方たちが、「向こうの方が美味しいらしいぞ」などと話しているのが聞こえて来て、つい、ついて行ってしまいました。それがこちら、御飯講。非時券がないと、\600でした
Img_2034c こちらその「お非時」。専修寺のサイトには、「高田山」と書いた朱塗りのHiji_2 お盆に乗った写真がありましたので、このお盆で運ばれてくると思っていましたが、それは単なる思い込みでした。写真でしか見てませんでしたし、お寺のもてなし料理ですから、冷めた、あまり美味しくない料理と思っていましたが、それは、全くの誤り。御飯も味噌汁も温かく、ヒリョウズやこんにゃくにも良い味がついていました。美味しくいただきました。
Img_2017c Img_2051c左の写真は、御影堂から西を見たところ。右の写真は、高田本山の前の道路に出店していた露店。いろいろな店が出ていましたおこしや饅頭など伝統的なお土産は、見るだけでパス(笑)。植木屋さんも何軒か出ていました。家内の父は、生前、お七夜にお参りすると、植木屋さんで必ず何かを買ってきていたそうです。植木屋さんの前に立ったら、そういうことを思い出しました。
Img_2047c  専修寺に関わる話、まだありますが、長くなりましたので、今日はここまで。続きはまた明日、です。3回で終えられるか、4回になるか、先行きは不透明です。

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コメント

おユキさん、すべてにお付き合いくださり、恐縮です。

石積神社の南にあるのは、この溜池と、もう一つ大澤池があります。
どちらも、ネットでは、詳しい情報が出て来ませんので、何とも言いがたいところです。

専修寺は、宗祖親鸞聖人によって開山された唯一の本山であると、どこかで読みました。
もとは、現在の栃木県真岡市にあったものです。
御影堂は、歴史的な木造建造物では、全国で5番目に大きい建物だそうです。
最も大きいのは、東本願寺の御影堂のようで、上位には、浄土真宗の建物が入っています。
東本願寺の御影堂は、東大寺大仏殿よりも広いそうです。

御非時、昨日、お盆に乗ったものもいただいてきました。
どちらも檀家の方がつくっていらっしゃるそうで、それぞれ美味しくいただけました。
美味しくなさそうという前言は撤回です m(_ _)m

投稿: mamekichi | 2018年1月17日 (水) 19時56分

>「これ石積の神の崇りにつき、神霊を鈴鹿の山続きなる尾前の地、南に溜池あり、北に里ある所に遷し祀れよ」

その1.で、階段を昇って見た溜池とは、無関係なのでしょうか?
南側にあるのかどうかわかりませんが、気になります。

常夜灯もですが、専修寺、ほんとうに大きいですね。
唐門もお堂も、屋根が重そうで、ビビッてしまいます。この大きく重そうな屋根の下に、これだけの広い空間があるというのも、すごいですよね。

お非時、朱塗りのお盆に乗った写真は、確かに美味しくなさそうです(笑)。
実物をお撮りになったものの方が、ずっと美味しそうです。

投稿: おユキ | 2018年1月16日 (火) 19時13分

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