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2017年11月28日 (火)

またもや四日市へ……「阿弥陀さまと極楽の世界-四日市の浄土教-」を見て、鵜の森神社、浜田城跡、諏訪神社そして旧・東海道も(微笑)

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 「また四日市?」といわれそうですが、今日も行ってきました(微笑)。先週土曜(11/25)、JRさわやかウォーキングで行ったばかりです(どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)。そんなに用事があるわけではありませんが、とあるところへ行きたかったのです。
Amidayokkaichic それは、こちら。四日市市立博物館で12月3日まで開催している「阿弥陀さDscn5075c まと極楽の世界-四日市の浄土教-」という企画展が見たくて、行ってきたという次第です。「いったいどうしたんだ?」と思われるかも知れませんが、阿弥陀様は、我が家の宗旨である浄土真宗大谷派のご本尊なのであります。信心深いとは決していえませんが、関心はあります、ということです。四日市市内には200のお寺があるそうですが、そのうち、160ヵ寺が浄土真宗や浄土宗の寺院で、阿弥陀如来を本尊とします。この博物館の学芸員の方が20年あまり前から市内を回って調査なさった成果がこの展覧会になっています。平安から昭和までの仏像16点、仏画40点など、書、本、数珠など100点が展示されていました。仏像は、すべて寄せ木造りで、阿弥陀如来像12点、親鸞聖人座像、聖徳太子立像がそれぞれ2点ありました。こちらに中日新聞の記事があります。
Yokkaichimapc 博物館では、この企画展のみを見て、ほぼ1時間。ついでに近くで、行ってみたかったところ(四日市には、3年ほど住んだことがありましたが、いったことがありませんでした)を回ることにしました。それは、この地図にある鵜の森公園諏訪公園。いずれも近鉄四日市駅から徒歩5分ほど。
Dscn5096c 鵜の森公園で見たかったのは、文豪・丹羽文雄先生の句碑。「古里は菜Dscn5098c の花もあり父の顔」という句が刻まれています。丹羽文雄が、36歳ごろの作品といわれ、自筆の毛筆墨書を拡大したものです。丹羽文雄(1904~2005)は、四日市市北浜田にある浄土真宗専修寺高田派の崇顕寺の住職の長男。旧制・富田中学(元・四日市高校)を経て、早大国文科卒業後、いったん住職を務めたものの、小説家に転じています。1977年に文化勲章受章、文化功労者。この碑は、市制施行90周年記念事業として、昭和62(1987)年5月に除幕されています。
Dscn5105c 公園内には、茶室・泗水庵(しすいあん)がありますが、お茶はどうも敷Dscn5107c 居が高いので建物と庭を覗いただけでパス(笑)。鵜の森神社、浜田城跡へ向かいます。鵜の森神社の脇で、水鏡になった紅葉を撮影。
Dscn5147c 鵜の森神社は、浜田城の旧跡で、文明年代(1400年代)から浜田城主・田原家が崇敬した社だそうです。元は江田神社あるいは鵜森大明神と称していたといいます。江田神社という名称は、江田川、江田町等の旧地名に由来すると言われ、また、「鵜森」の語源は、昔、このあたりが松林の続く海岸で、海鵜が多く生息していた森ということに由来しているようです。
Dscn5139c_2 天正12(1584)年、美濃加賀野井城の戦いで田原家は滅亡したのですが、その後、旧臣達が、城跡に慶長以後、万治以前(1596~1658)に鵜森大明神を創立し、同家の遠祖である田原藤太秀郷及び初代浜田城主・田原美作守忠秀(たはらみまさかのかみただひで)以下4代の霊を祀ったのが、鵜の森神社の始まりといいます。さらに、天保8(1837)年、別社として御霊社を創建し忠秀以下4代の霊を祀り直し、鵜森大明神に、天照大御神と建速須佐之男命を祀って明治に至ったそうです。
Dscn5142c 境内には、皇大神宮遙拝所がありましたが、これまでにあちこちで見たDscn5144c 中では、もっとも立派な遙拝所でした。多くのところでは、右のような石柱が立っているだけなのですが、こんもりした丘になっていたのです。
Dscn5116c 先にも書きましたが、ここは浜田城跡でもあります。15世紀後半、この地を治める田原美作守忠秀(たはらみまさかのかみただひで)によって築かれた城です。田原氏は、もともと上野国赤堀庄(こうづけのくにあかほりのしょう)に住んでいたのが、応永年間(1394~1428)に景信(かげのぶ)が伊勢に移り、四日市の赤堀に城を構えたといいます。景信は、長男・盛宗(もりむね)を羽津に、次男・秀宗(ひでむね)を赤堀に、そして三男・忠秀を浜田に配しました(赤堀三家)。田原市の系図は、こちら
Dscn5115c 境内に新しい冠木門(かぶらきもん)が建てられていました。昨年(平成28、2016年)10月に、四日市の町の礎を築いた浜田氏を検証するとともに、浜田城跡の存在を認識してもらうために、浜田城や赤堀三家を中心に四日市の歴史研究を行う研究会「綱の会」が作ったということです。ちなみに、この研究会の調査で、浜田氏の末裔も発見したとありました。
Dscn5160c 鵜の森神社から10分ほどあるいて、諏訪公園へ。中世ヨーロッパ調の中庭をイメージした公園として、中央にせせらぎと噴水があります。奥の建物は、「すわ公園交流館」。元々は昭和4(1929)年に建てられたようですが、今は、様々なイベントを企画・開催し、中心市街地活性化をはかるための施設として活用されています。
Dscn5183c 公園に隣接して、諏訪神社があります。その名前の通り、鎌倉時代初期

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の建仁2(1202)年に、信州の諏訪大社の御分霊をこの地に勧請し、創祀されたそうです。御祭神は、建御名方命(タケミナカタノミコト)と八重事代主命(ヤエコトシロヌシノミコト)。四日市の歴史とともに歩んできた総産土神といいます。右の写真、向かって右が拝殿、左は社務所と思います。立派な建物です。
Dscn5166c 御祭神は、「武」と「文」にたける二神だそうです。建御名方命は、大国主Dscn5173c 命の子で、八重事代主命の弟。大国主命が高天原の天照大神から国の禅譲を迫られたとき、これに最後まで抵抗したということで、狩猟の神、また武神だといいます。八重事代主命は、豊漁、海上安全守護の神、またえびす信仰の福神とされます。商店からは、「諏訪恵比須」として崇敬されてきたそうです。
Dscn5193c 境内には、明治天皇の御製の歌碑もありました。「目にみえぬ 神にむかいて はぢざるは ひとのこころの まことなりけり」と刻されています。目に見ることのできない神様に向って、少しも恥ずかしくないという心境は、人としての誠の心であるという意味だそうです。この歌碑は、昭和8(1933)年9月、上田谷松(栖華)という画家が建立したもので、彼は、明治天皇を崇拝していたところからこの歌碑を自費で建立したということです。明治天皇は東京遷都の際を初めとして合計4回、四日市に行幸しているそうですが、それとは関わりはなさそうです。
Dscn5169c 諏訪神社で驚いたことは、こちら、「明治神宮遙拝所」があったことです。Dscn5171c 境内社である政成稲荷神社の脇に立っています。この地方では、伊勢神宮遙拝所はあちこちの神社にありますが、明治神宮遙拝所は、初めて見ました。この方角に明治神宮があり、ここから明治神宮を遥拝するということです。石柱は昭和9(1936)年1月に、稲葉町青年団によって寄進されたとありました。
Dscn5164c もう一つというか、もっと驚いたものも、諏訪公園で発見Dscn5209c しました。こちら。最初はなんだか分かりませんでしたが、上にある塔に刻まれた文言を見て、少し分かりました。右の写真をご覧ください。「廣く会議を興し万機公論に決すべし」とあります。あの「五箇条の御誓文」です。五角柱に刻まれていましたし、しかも登れるようになっていたのにビックリ。昭和9(1934)年に建立されています。半田の乙川公園にもあるとするブログもありました(こちら)。
Dscn5214c ところで、この諏訪神社の門前には、旧・東海道が通っています。左の写Dscn5188c 真は、鳥居の前から東を見たものです。車が通っているのは、国道1号線。この斜めの道が、旧・東海道。さらに面白いのが、この先(向かって右)、旧・東海道は、アーケードの商店街になっているのです(表参道スワマエ発展会)。
Dscn5187c 左の写真のような横断幕や、右の写真のような旗が掲げDscn5217c られています。事情を知らないと、不思議に思うでしょうが、この表参道スワマエ発展会の商店街は、まさに旧・東海道に沿って作られたものです。旧・東海道ウォーク、そろそろ富田から、この四日市辺りを歩かねばなりません。

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コメント

おユキさん、こんばんは。

そうなのです、「また四日市」なのです(爆)。
「阿弥陀さまと極楽の世界-四日市の浄土教-」展は見に行こうと思っていたら、会期末が迫ってきてしまって……という次第。
博物館に行くなら、ついでにと鵜の森、諏訪と回ってきたのです。

鵜の森神社の水鏡、水面が本当に静かできれいに写っていました。
おユキさん、こういうところに吸い込まれそうになる傾向がおありでしょうか(爆)。

ちなみに「ホントに歩く東海道」は、近々第2弾を敢行したいと思っています(微笑)。

投稿: mamekichi | 2017年11月29日 (水) 17時56分

mamekichi先生、こんにちは。

「また四日市?」(爆)。
いよいよ、マイブックスにある「ホントに歩く東海道」になってきましたね。
お散歩と歴史探索、写真撮影と、先生のご趣味をまとめて詰め込んだような、うってつけのイベント(?)ですね。
と、今回はウォーキングイベントではありませんでした。

鵜の森神社の水鏡。悲鳴が出ました(笑)。
なんとも鮮やかに映し出されていますね。
覗き込むと、水の中にも、もうひとつ世界があるような気がしますよね。
(私はそう思えてきて、水の中にも行けそうな気がしてしまうのですが。)

投稿: おユキ | 2017年11月29日 (水) 16時35分

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