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2017年9月 4日 (月)

歴史講座5回目へ……本多忠勝や、桑名築城、慶長の町割の話

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 晴れるという予報でしたが、終日曇天。最高気温は、27.7℃。ただ、湿度がやや高いようで、少し蒸し暑く感じられました。午前中は、2ヶ月ぶりに「くわな市民大学 ゼミナール 郷土史学科」の講座の日でした。7回シリーズの5回目。テーマは、「桑名の歴史発掘~くわなの重要事件を探る~」ですが、今日から江戸時代のお話。本多忠勝桑名配備の意味、桑名築城と慶長の町割、千姫と本多氏の姫路移封という内容でした。
 本多忠勝は、昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」でも登場していました。去年は、散歩していても、「本多忠勝の菩提寺はどこ?」と何度か聞かれました。徳川四天王の一人にして、初代桑名藩主であります。ちなみに菩提寺は、袖野山浄土寺(西山浄土宗)であります。
 慶長の町割(慶長6(1601)年~)は、忠勝が桑名に来て手がけた城下町の整備です。忠勝が来た頃の桑名は、町屋川と大山田川が町中に流れ込んで、自凝洲崎(おのころすざき)、加良洲崎(からすざき)、泡洲崎(あわすざき)の三つの島をつくり、そのなかに自然発生的な町を形づくっていたといいます(久波奈名所図会の「益田荘桑名三三崎天正元亀以前之図にあります。これについては、7/3;午前中は歴史講座へ……夕方、九華公園へ散歩に書きました)。
 「町中の家をすべて壊して、新しい道路をつくり、屋敷地を区割りした。強制的に立ち退かされた町民たちは、堤の上に小屋を建てたり、川に筏を浮かべて一時的に生活した」というほどの大規模なものだったようです(慶長自記)。町屋川も大山田川も、それらの流れを付け替えて、外堀に利用しています。町は城を中心に武家屋敷、その西側は商工業地とし、職業によって居住地を定めました。そのため、鍜冶町・職人町・油町・紺屋町・鍋屋町など、今に伝わる町名もたくさんあります。寺は、主に南北2ヵ所(現在の寺町と、新町・伝馬町・萱町あたり)に集め、街道の守りとしています。
 この他、桑名城築城の話や、その特徴なども聞いてきました。徳川家康など将軍家に便利なようにつくったのだそうです。地方にある城としては、、堅固な守りになっているといいます。「正保城絵図」についての話は、桑名市立中央図書館のブログにあります(こちら)。
 午後からは、講座の復習(笑)。自分の授業でも、「復習してね」といつも学生たちに言っておりますから、自分も実践です(苦笑)。
Dscn3210_800x582 歴史講座に行ったというのと、足首のねんざの用心のため、散歩にはいDscn3220_800x600 っておりません。講座の帰りに、拙宅マンションと諸戸氏庭園の間にある水路の方を回って来ました。ここでは、この夏、イトトンボをよく見ます。今日も、10羽近く見かけました。また、今日は、ギンヤンマが交尾&産卵中でした。
Dscn3219_800x553 この水路、ご多分に漏れず、ミドリガメもいます。この頃は、小さいのがいますが、今年生まれたカメかなと思ってみています。九華公園では、今のところ、こんな小さなミドリガメは見ていません。他には、ボラの子どもがけっこう泳いでいます。愚息が中学生くらいの頃には、ライギョもいたといいます。
 さて、明日くらいには、足首が大丈夫か、少し歩いてみようかと思っています。散歩に出ないとどうもいけません(苦笑)。

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