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2017年9月 9日 (土)

4日連続のアオサギ(笑)……歴史を語る公園、春日神社にも行ってきました

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 今日も「出かけなければならない」ような、良い天気です(微笑)。午後から所用もありましたので、8時半から住吉神社、九華公園ルートで散歩。5.2㎞であります。朝夕は涼しいのですが、日中は、30℃近くになったせいもあってちょっと暑く感じました。
Img_1629_800x521 先日からアオサギに恵まれた日々が続いています。今日で4日目となりました(笑)。まずは、住吉神社の東、揖斐長良川の中州。合計5羽のアオサギが集まっていました。難点は、ちょっと距離があるということ。「キョリ測ベータ」というネット上の地図ソフトで調べますと、430mほどあるのです。左の写真も、250mmズームで撮り、トリミングをしています。
Img_1639_800x594 九華公園、いつものように、鎮国守国神社の社務所の裏にアオサギさんがImg_1679_800x598 いました。春先から8月末くらいまでは不在になります(たぶん繁殖期だからでしょう)が、9月頃からはよくここに来ています。アオサギがここにいると、なぜか安心します(微笑)。右は、近くでカラスの鳴き声がした直後の様子。頭の羽が一瞬だけ逆立ったのですが、それは取り逃してしまいました。
Dscn3362_800x600 公園内は静かでしたが、休日とあってか散歩する方はやや多し。鳥好きのSさんの同級生Oさんが、珍しく写真を撮っていらっしゃいました。訳を伺ったら、「最近、墨絵を習い始め、近々ここでスケッチをすることになっていて、その予習」とおっしゃっていました。御年81歳にして、新しいことを始められます。
Img_1690_800x551 鳥は、カワラヒワ、スズメ、ヒヨドリ、ムクドリなど。コゲラの鳴き声は聞こえるImg_1693_800x581 のですが、まだ姿を確認できないでいます。いつものカルガモたち。上左の写真の隅っこにも写っています。元気そうですが、今日はマッタリ中。
Img_1666_800x520 野球場の照明灯の上にカワウが、合計11羽。右下の照明灯にもいます。いつもの倍以上もいました。今日は、揖斐川から水を入れていましたので、餌を狙って待っていたような気がします。4枚前の、堀の中の東屋が写った写真の手前のところに揖斐川からの導水路があり、そこから水が入ってくるのですが、魚も一緒に流れてくるのです。
Dscn3370_800x600 九華公園からは少しルートを変えて、まずは歴史を語る公園へ。東海道Dscn3372_800x600 五十三次をモチーフにしてあるのですが、それよりもこの公園の東に旧・桑名城の城壁が残っています。「創建当時の面影を残す石垣」ということです。七里の渡し跡の川口樋門から南大手橋に至る堀川沿い、約500mです。ただ、残念ながら、ボートや船が係留されていて、景観としてはよろしくありません。
Dscn3379_800x600 春日神社が近くにありますので、お参りしていくことにしました。石取祭はDscn3386_800x600 この神社のお祭りです。桑名神社と中臣神社の2つからなっています。前から不思議に思っていることがあります。拝殿前の鳥居の脇にある灯篭が、大きいのです。右の写真をご覧下さい。手前にあるから大きく写っているのではありません。
Dscn3380_800x600 春日神社の境内社の一つに桑名東照宮があります。東照宮ですので、当然ご祭神は、徳川家康公。元和3(1617)年、千姫が勧請し、家康公の座像が祀られています。千姫はもちろん、二代将軍秀忠公の長女(家康公の孫)。豊臣秀頼に嫁いでいたものの、大坂夏の陣で逃れ、江戸に向かう途中桑名に立ち寄っています。そのとき、桑名藩主の息子・本多忠刻(忠勝の孫)が千姫一行をもてなし、その際に、千姫が忠刻に一目惚れしたというエピソードが伝わっています。
Dscn3366_800x600 午後からは、所用で外出してきました。明日は、10月4日の特別支援教育支援員養成講座のレジメの締切。ほぼできあがっていますので、チェックしてメールで送らせていただく予定。毎回、少しずつ手直しして、全く同じものではないようにしています。
Dscn3319_800x600 昨日の余談。長島へ行ったついでに、願證寺というお寺に立ち寄って来Dscn3311_800x600 ました。願證寺は戦国時代、長島一向一揆の舞台となった寺として知られています。ただし、元々の願證寺は、明治期の河川改修工事によって、長良川の川底に沈んでしまいました。現在の願證寺は、門徒のために祐泉寺を寺縁により願證寺の名称で呼ぶようになったものです。ところが、写真のような状況。何と、本堂の立て替え工事中だったのです。やすらぎパークの駐車場にクルマを置いて歩いて行ったのですが、途中から見えた光景が右の写真。「何かヘンだぞ」と思ったのですが……。
Dscn3320_800x596 工事現場の前に「長島一向一揆殉教之碑」がありましたので、そちらにお参りして来ました。工事は、来年の9月いっぱいかかるという掲示がありました。市民大学を聴講し始めて以来、歴史散歩への興味が甦ってきています。体調を崩して、散歩を始めた頃、名所旧跡、寺社仏閣を見て回っていたこともありますので、「甦ってきた」という訳です。こういうハプニングにめげず、折を見て続けたいと思っています。

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コメント

nakagawaさん、こんにちは。

資料はすでにお読みでしたか。
失礼いたしました。

養老-桑名-四日市断層帯は、上下に5メートルも動いたといいます(中日新聞に連載の「地震史話」、2016年6月10日付け、天正地震㊥によれば)。
この記事の7月8日付けの「天正地震㊦」では、長島城は本丸、多門櫓がつぶれ、石垣だけが少し残った(長島細布)といいますし、大垣城も建物が倒壊し残らず焼けたとあります。
清洲城でも、液状化現象が見られた跡が残っているそうです。

桑名でも被害は相当になったのではないかと思いますが、資料がないと確かなことは分かりませんね。

ご承知のように、慶長の町割では、「町中の家をすべて壊して、新しい道路をつくり、屋敷地を区割りした。強制的に立ち退かされた町民たちは、堤の上に小屋を建てたり、川に筏を浮かべて一時的に生活した」ようです(慶長自記)から、街はあったと思います。
ただ、これまたご存じのことで恐縮ですが、忠勝が来た頃の桑名は、町屋川と大山田川が町中に流れ込んで、自凝洲崎(おのころすざき)、加良洲崎(からすざき)、泡洲崎(あわすざき)の三つの島になっていたようですから、今の様子とはかなり違ったものと考えられます。

岸西山や、船着神社のあたりは、丘になっていますが、「袖野山見聞記」(新・桑名歴史散歩に引用されています)には、「今ニ於舟着大明神アリ。然レバ州崎タルコト疑ナシ」とありますから、島のようなところだったと思われます。
「岸西」という地名が付いたり、船が着いたので「船着神社」と呼ばれた由縁かと理解しています。
それと、あのあたりは、養老-桑名-四日市断層帯の一部ではないでしょうか。

「汰上」という地名、私も気になっています。
「汰」は、濁るとか、大波という意味だそうですし、読みは「揺」という文字につながるように思えます。

以上、素人考えですので、誤りもあろうかと思います。
またご教示いただければ幸いです。

投稿: mamekichi | 2017年9月11日 (月) 16時38分

ひらいさん、おはようございます。

姉妹遠征、お疲れ様でした。
私はいつものように近場でウロウロしていましたが、それでもアオサギを毎日見られ、それなりに満足です(微笑)。
アオサギにあまりこだわりすぎるとよくない気もしますが、見られないと張り合いがないのも確かで、困ったものです。

九華公園のカルガモさんは、フレンドリーです。
側に行っても逃げません。
餌をもらえることもあるというのをしっかり学習しているからのようです。

カワウは、この日、揖斐川から水が入っていたため集まっていたような気がします。
揖斐川から水を入れるのも、潮の加減も見計らわないといけないそうです。
最近、漁のシーンを見られないので、ちょっと残念です。

河口堰も少なめですね。
どこにいるのでしょう?

投稿: mamekichi | 2017年9月11日 (月) 07時38分

http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_31/HE31_179.pdf の資料は読んだことがありますが、えらい簡素ですね。(笑)今の桑名市街地域に関する資料がないのは街がそもそもなかったからでしょうか。今となっては結構高いところにある岸西山とか船着神社(尾野神社)とか汰上とか気になる地名がいくつかあります。

投稿: nakagawa | 2017年9月10日 (日) 19時11分

mamekichiさん、おはようございます!

昨日も「出かけなければならない」天気でしたね、もちろん自分も遠くまで出かけておりました。(笑)

アオサギ連続目撃記録更新中ですね、この時期、アオサギと出会う確率は高くなるのですが、この記録を気にし出すと止められなくなってしまいます。(笑) 自分は、行った先で会えなかったら、他の場所に行ってでも会えるまで探し続けていました。

カルガモさんはフレンドリーですね、ハイブリッドでは無い方、短い尾羽がカワイイです。カワウ、河口堰も最近少な目ですが、野球場の照明灯に集まってるとは、ちょっと驚きですね。湾岸弥富付近も殆ど見かけなくなりましたし、普段どこに集まっているのか気になります。

投稿: ひらい | 2017年9月10日 (日) 10時24分

nakagawaさん、おはようございます。

こちらこそご無沙汰しています。
ブログは拝読しております。

さて、天正大地震では、養老-桑名-四日市断層帯も動いたそうですから、桑名あたりも大きな被害があったと思われます。
しかし、私が調べた範囲では、桑名の被害について述べた資料がないようでした。

ちなみに長島については、さまざまな資料に被害状況が記されているようで、長島城の本丸、多門櫓が倒壊したとか、「大破壊」「顚倒」、天守閣他が焼失したなどの記述があると言います。
「長島細布」という地震後150年くらい後の資料ではあるものの、「長島城他、いくつかの寺社が顚倒、倒壊したことや、新田が液状化した」と書かれているようです。

例えば、次の資料がありました:
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_31/HE31_179.pdf

投稿: mamekichi | 2017年9月10日 (日) 06時01分

ご無沙汰しています。桑名の歴史に関してとても気になることがあります。それは1586年の天正大地震の影響です。それは17世紀初頭の慶長の町割の少し前で、町割の際に町屋川の流れを変えたというのが定説ですが、本当にそうでしょうか。「変えられた」町屋川の川筋から見ると、ものすごい規模の土木工事になります。シロウト的な目では、大地震で川筋が変わったという感じがします。というようなことを市民講座の先生にお伺いしたいですが、なかなか時間が取れません・・・

投稿: nakagawa | 2017年9月 9日 (土) 18時58分

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