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2015年9月 3日 (木)

八丁縄手踏切が史蹟?、常夜灯が消えた……歴史ウォーキングの案内から謎を探る

 予報通り、午後からまた雨になっています。お盆前に猛暑、お盆過ぎは雨続きというのは、去年と同じパターンのように記憶しています。昨日は上天気になって、これで天候も回復かと期待しただけに、残念です。

 さて、マンションの掲示板に10月に開催される「歴史ウォーキング」の案内が貼られていました。私が住んでいる地区の自治会連合会の主催で、歴史案内人の会の方が案内をしてくださるそうです。ちなみに参加費無料で、お茶、昼食が用意していただけ、さらには終了後、ビンゴ大会もあるという好条件。

 そのコースが、市内西方の史蹟(八丁縄手踏切、照源寺土仏山、円妙寺墓地)となっていました。照源寺は、松平家の菩提寺(寛永元年(1624)創建)。「松平定綱及び一統之墓所」(県指定文化財)には藩主ら二十八基の墓石があります。ここは、私も好きなお寺でたびたび出かけています。

 土仏山は、聖衆寺といい、建仁四年(1204)の創建。織田信長の侵攻で焼失したのですが、のち桑名の焼き物の祖といわれる信行法師が再興ています。確か、ご本尊が焼き物でできているため、「土仏さん」の名で親しまれています。ここも一度訪ねたことがあります。また、円妙寺は、日蓮宗のお寺で、墓地には、桑名藩第6代藩主である松平定良公霊廟があります。

Eee05  八丁縄手踏切(JRの表示では、八丁畷踏切)は、JR・近鉄・養老鉄道桑名駅かEe05 ら名古屋方向の最初の踏切です。が、何故ここが「史蹟」なのでしょう? 見当が付きませんでした。

 分からないことがありますと、どうも気になる性格です(苦笑)。よくいえば、何かあるとすぐに調べてみるというタイプです。そこで、ネットを検索し、さらに手元にある資料も調べてみました。


Minokaidou  しっかりと分かった訳ではありませんが、手がかりは得られました。それは、江戸時代の街道に関わっているようです。左に市内の一部の地図を載せました。右下に「七里の渡し跡」があり、そこから、南(下)に緑のラインを入れました。これが、昔の東海道です。その途中、地名でいえば、川口町と江戸町の境から、「美濃街道」が別れています。「美濃街道」といえば、普通は、尾張の東海道宮宿と美濃の中山道垂井宿を結ぶ道だそうですが、桑名からも長良川右岸に沿って美濃に至る道が開けていました。地図では、赤いラインがそれです。東海道と別れてから、三崎通、堤原を経て、再び分かれ道に至ります。ここで、右が、美濃・多度方面へ向かう「美濃街道」、別名、「福島縄手」です。美濃街道は、分かれ道からすぐ北で、現在の国道1号線と同じルートをたどり、福島あたりでまた1号線とは別れます。美濃街道については、「みえの歴史街道」のサイトに説明があります。

Sanguudoori  この分かれ道あたりを拡大したのが、こちらの地図(上の地図では、ピンクの四角で囲ったあたり)。分かれ道で、左(西)に向かう道がありますが、この道、ほぼまっすぐに、上記の照源寺へとつながっています。これを「八丁縄手」と呼んでいたようです。ちなみに、「縄手(畷と書いても同じようです)」とは、「1.田の間の道。あぜ道。なわて道。2.まっすぐな道。3.縄の筋。なわ。」という意味。

 おそらく、この「八丁縄手」に関わりがあるため、今回の史跡巡りに「八丁縄手踏切」が含まれているのでしょう。というのが、現段階での推測です。

Dsc00374  ところで、こんなことを考えていましたら、上の地図で、美濃街道(福島縄Rimg00030903 手)と、八丁縄手の分かれ目にあった常夜灯と道標が、最近なくなっているのに気づきました。左は、このブログの散歩写真(その3)に載せているもので、2005年11月30日に撮ったもの。右は、今日、午後から宅配便を発送しに、サークルKまでいったときに撮って来たものです。ほぼ同じアングルから撮りました(上の地図では、赤丸のところ)。

 常夜燈は、安政3年(1856年)の建立。400人ほどが寄進を行い、現在も桑名で営業している店の屋号も刻まれていました。傍らの道しるべ(弘化4年、1847年建立)には、「右 みの 多度道」「左 すてん志ょみち」とあります。右のみの街道はすぐに国道1号に出ます。

Dsc00582  この美濃街道が、国道1号線に合流するところには、「参宮国道」と刻まれた石碑があります。大正時代、木曽・長良・揖斐の三大川は渡船に頼っており、ここに橋を架ける運動が進むとともに、「東海道国道」が新しくつくられました(現在の国道1号線)。町屋橋から伊勢大橋までの3.87㎞は、昭和6~7年(1931~32年)にかけて、当時のお金で55万円でつくられたそうです。その竣工記念として西桑名町(当時)によって建てられたのが、この参宮国道碑です。これも、散歩写真(その4)のところに載せています。

 余談はともかく、八丁縄手の謎は解明しつつありますが、常夜灯と道標はどこへ行ったのでしょう。背後の車庫などが取り壊されていることと関係するのでしょうか? とんだ暇つぶしネタにお付き合いいただき、恐縮に存じます。

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