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2015年8月31日 (月)

8月最終日は、居職……10年前の散歩写真から(有王塚、俊寛塚)

 8月も最終日となりました。天候不順の日々が続きます。8月なのに「秋雨」前線が停滞していて、変な気もしますし、立秋もとうに過ぎているから、まぁいいのかなどとつまらないことを考えております。

 朝一番に出かけましたが、あとはほとんど終日居職であります。居職、すなわち、「自宅で仕事をする職業。また、その人。裁縫師・印判師など。座職」であります。裁縫師や、印判師ではありませんが、ご依頼を受けたWISC-Ⅳのアセスメントやら、来月初めが締切の研修会の資料に取り組んでいました。午後から郵便局に行きがてら、散歩でもしようとは思ったのですが、出がけに小雨が降り始め、まさに出鼻をくじかれました(笑)。

 こういう天候の中、パソコンに向かって作業をしたり、資料を読んだり、図表をつくったりということを繰り返していますと、なかなか気分はスッキリしません。天気予報も、木曜あたりまではぐずつくということですから、しばらくはこういう風かも知れません。

Dsc00016050516  さて、居職をしながら、合間に昔の写真を眺めていました。10年前の散歩写真から、有王塚と、それに付随した俊寛塚をご紹介しましょう。どちらも、近鉄益生<ますお>駅裏にあります。塚への曲がり角には、「有王塚」という標石があります。ここから南20mくらいのところに、石垣で囲まれた塚があります。

Dsc00019050516  「有王塚付俊寛塚」は、平家物語に登場する俊寛僧都にDsc00017050516_2 関連する伝説の塚です。俊寛僧都の侍童有王が、流罪中の俊寛を鬼界ヵ島に訪ねたものの、すでに師は亡くなっていたため、高野山に収めるべく師の骨を抱いて行脚をしていた途中、鎌倉時代にここにあったりん(舟偏に侖)崇寺<りんそうじ>の前で没したと伝わっています。大正時代に俳人天春静堂と桑名の俳人達によって修築保存されたといいます。左が、有王塚です。

Dsc00022050516  俊寛塚は、近鉄名古屋線の線路脇にあります。ただ、平家物語に有王とDsc00020050516 いう侍童は述べられていないようで、有王が登場するのは、潤色されて後代の俗書だといいます。この伝説は、後年、りん(舟偏に侖)崇寺によって流布されたもののようです。俊寛僧都の伝説は所々に残っていて、高野聖<ひじり>の宣伝によったものとされているといいます。

Yamanobenanbumap  地図はこちら。右下に近鉄名古屋線の益生駅があります。そのすぐ脇に、有王塚と俊寛塚があります。ここを訪ねたのは、2005年(平成17年)5月16日でした。この年の1月に体調を崩し、療養をしていました。家内と二人で歩いていたら、私よりも年配の男性にお目にかかり、教えて頂いたものです。その方は、「療養中ならば、俳句でもやられたらどうですか? 桑名は俳句が盛んですよ」と勧められたのですが、今日に至るまで、一句も詠めていません(苦笑)。

Dsc00014050516_2  益生駅の近く、三岐鉄道北勢線の馬道駅を降りたすぐのところに、この三猿の庚申塔があります。同じ日にこの上にある走井山勧学寺にも行ったのですが、何故かこの庚申塔が気に入りました。その後、何度か見に行っていますし、ある時期は、「魔除け」にこの写真を使っていたこともあります(笑)。最近は見に行っていませんので、また出かけて、御利益に預かりたいところです。

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