« 走井山勧学寺の桜と、三岐鉄道北勢線のナローゲージ電車、そして私の好きな三猿の庚申塔 | トップページ | 初夏の雰囲気の中、鯉のぼり、ナミアゲハ、花筏など盛りだくさんの散歩【昭和9年頃の桜堤防の写真を追加(4/5)】 »

2013年4月 3日 (水)

諸戸水道遺構と、諸戸徳成邸……昨日の散歩から

 昨日からの雨も、朝には上がりましたが、それにしても猛烈な風が、終日吹きまくっています。以前にも書いたかも知れませんが、マンション9階のわが家では、風で吹っ飛んでいくのではないかと思えるくらいです。アメダスのデータを見ますと、全般的には6~8m/sくらいの風速なのですが、15時には、9m/sとなっていました。

 さて、こんな天候ですので(晴れ間も結構あったのですが)、それを口実に、本日は散歩をサボっております。さらにこの背景には、「あまりマジメにやり過ぎるのもよくない」という、屁理屈があります(笑)。まぁ、せっかくのフリーのみですから、これくらいの自由度、自在感は持っておきたいというところであります。

Img_1790  そこで、今日は、昨日の走井山への花見の途中で立ち寄った諸戸水道遺構について写真とともに書こうという次第です。場所などは、昨日のエントリに載せた地図をご覧ください。名称は、“諸戸水道貯水池遺構”といった方が、正しいでしょう。場所は、県立桑名高校の南で、やや細い道を上がったところにあります(住所は、桑名市東方になります)。何度か立ち寄ったことはありますが、他の方に出遭ったことはありません。小生、結構物好きなのでしょう(微笑)。

Img_1781  配水に便利なようにということだと思いますが、小高い丘の斜面にありますので、全体像を写真に収めるのは難しいものがあります。写真のように、遺構そのものがフェンスで囲まれ、近くには立ち入れません。

Img_1763 Img_1762  初代諸戸清六翁が、独力で上水道付設を計画し、東方丘陵地の地下水を集めた貯水池を築き、桑名市内に上水道を普及させた、というものです。軍用の水道を除いては、近代的な上水道としては、全国で7番目に完成したといいます。明治37年(1904)に竣工し、昭和4年(1929)まで使用されていたそうです。

Img_1766  実際には、初代諸戸清六氏が、この東方の丘陵地周辺の地下水を集水管で集め、まずは自宅(現在の六華苑、諸戸氏庭園)までの2.3㎞に鉄管を引いて、自家用水道を完成させたことに始まるようです。そして、その余った水を無償で人々に供給したといいます。この自家用水道に成功した諸戸清六が、次には本格的な水道建設に取り組んだということで、町民の使用に必要な水量を得るために、試掘を繰り返し、より多くの水源を獲得することができたため、この地(東方の丘陵地、標高は18.7m)に、斜面を削って、平地にしたところに貯水池をつくった訳です。

Img_1757  この貯水池にためられた地下水は延長14キロに及ぶ給水管と、55カ所Img_1759 の共用栓、24カ所の消火栓によって、桑名町・赤須賀村の全部と、益生村・大山田村の一部の人たちが、無償で利用できるようになったのです。水道は、諸戸清六氏の没後(明治39年、1906年)、大正13年(1924年)に、諸戸家から桑名町に寄付され、新しい水道が完成する昭和4年(1929年)まで公共上水道として使われたという歴史があります。平成20年(2008年)3月に三重県指定文化財に指定されています。

Rimg00020305  諸戸水道に関連して、諸戸氏庭園の西には、給水塔が残っています。水Img_9283 源から引いた地下水をためて、諸戸家の飲み水や、庭の噴水などに使用したようです。現在、諸戸氏庭園は、御殿など工事中で、給水塔や、周囲は写真のようになっています。

 赤須賀神社には、赤須賀村の人たちから、諸戸清六氏への感謝の石碑(諸戸清六顕彰碑)が建っているようです。赤須賀神社にも何度か行っていますが、この石碑については確認していません。また、近いうちに行ってこようと思います。

 こういう石碑を調べるのも面白いかも知れません(あまり手を広げすぎるのもよくないか??)。

Img_1753  ところで、この諸戸水道貯水池遺構の向かい(西)には、このようなお屋敷(の跡?)があります。以前は、もっと荒れていたように記憶していますが、きれいになった感じです。おそらく、“諸戸徳成邸”であろうと思います(三重県桑名市東方1524)。ここには、諸戸清六墓所もあるようです(【偉人録】郷土の偉人を学ぶ-諸戸清六による)。

 去年でしたか、市の教育委員会文化課の主催で見学会があり、応募したのですが、残念ながら、抽選で外れてしまい、参加できませんでした。あれこれ、検索していましたら、“47News”に、“桑名の諸戸邸、11月4日に特別公開”というニュースが載ってました。たぶん、これに応募したのだったと思います。

庭木の手入れが終わり、公開される諸戸徳成邸=桑名市東方で山林王として知られた二代目諸戸清六が建てた近代和風建築の諸戸徳成邸(桑名市東方)が、十一月四日に特別公開される。二十九日、関係者向けの内覧会が あった。 諸戸家が所有する諸戸徳成邸は大正末~昭和初期の建築物。約七千七百平方メートルの敷地に家屋と山荘風の庭園、茶室、代々の墓所などがある。庭園は丘陵だった地形を生かし、アカマツやモミジ、サクラ、山野草などが植えられ、素朴で四季を感じる造りになっている。邸宅…

 中日Webの記事は、すでに削除されてしまったようで、検索できませんでした。

 住所を検索しますと、やはり、この諸戸水道貯水池遺構の向かいのお屋敷が、この“諸戸徳成邸”のようです。見てみたいですねぇ。検索してみましたら、こちらのブログ“避雷針棒”さんのところに記事がありました。邸内の主屋のパノラマ写真が載っています。

 オマケの、ディープな話。桑名高校同窓会のサイトに、桑名の郷土史家・西羽晃さんが、「桑高百年」という記事を書いておられ、その中に、「シリーズ25 桑名中学と諸戸家」という記載がありました。それによれば、どうやら、この諸戸徳成邸は、「一説によれば」という断り書きがついてはいますが、諸戸家2代目精六の長男・民和氏の通学に便利なように建てたといいます。諸戸家次男の精太氏の長男・精文氏も同年、桑名中学に入学し、この徳成邸から通ったそうです。

 さらに、この徳成邸には2代目清六氏夫人が晩年の昭和61年まで住んでおられ、そのままの状態で残されているそうですから、ますます見学してみたい気持ちが強くなります。「桑名中学と諸戸家」の全文は、以下の通りです。

シリーズ25/桑名中学校と諸戸家

初代諸戸清六は1代で財産を築いた富豪ですが、彼の2男精太が古い屋敷を継承し、西諸戸と通称されました。また4男の清吾が2代目清六を継ぎ、隣接地に西洋館を含む新居(現在の六華苑)を建て、東諸戸と称されました。諸戸家では地域貢献や人材育成に力を入れています。

  桑名中学校は最初は県立でなく、桑名町立として創立されましたが、その創立資金10万円のうち、諸戸精太が3万円を出しています。また2代目清六は大正7年に10万円を醵出して、諸戸育英会を組織して、高等教育を受ける人に奨学金を支給していますが、大山田村在住者に限って中学生にも例外的に支給をすることにしています。そのころは未だ桑名中学校がなかった時代ですが、同12年に桑名中学校が出来ると同15年に規約を改正して、桑名町居住者にも支給することにしました。 

  大正14年に大山田村東方(現在の桑名高校の位置)に桑名中学校の校舎が完成しましたが、2代目清六は施設の充実などに支援をしています。昭和2年にテニスコートを寄贈、同3年に図書館の書籍数千冊の寄贈。さらに野球のバッテングゲージの寄贈、慶応大学から水原選手と土井捕手を野球のコーチとして呼んだりしています。

  2代目清六は昭和2年頃に桑名中学校の南隣に別宅の徳成邸を建てました。一説によると、彼の息子の民和が、この年に桑名中学校に入学したので、通学に便利なように徳成邸を建てたとも言われます。精太の息子の精文も同年に桑名中学校に入っており、同じ徳成邸から通学したようです。民和の弟である鉄男も桑名中学校へ通いました。

  この徳成邸は2代目清六夫人が晩年の昭和61年まで住んでおられました。今は主人不在の空き家になっていますが、夫人が住んでいたままの状態で残されています。先日見学させてもらいましたが、タイムスリップしたような、昭和の生活感が溢れている建物です。

  このままの状態では、いずれ取り壊される恐れがあります。樹木の繁茂する庭園も含めて、「水と緑と歴史が育む 豊かな快適交流文化都市」をスローガンとする桑名市の品格を象徴する環境を備えている場所と思います。
薄れ行く「昭和の記憶」を後世まで保存できるようにと私は念願しています。

 明日は、晴れて、20℃を超えそうですから、またまた散歩日和です。桜はどうなったでしょう? 見てこなくては。

【付記】

 さらに検索していましたら、桑名市教育委員会の依頼で、諸戸徳成邸を調査した結果の報告書(非売品)が出ていました。「諸戸徳成邸調査報告書(林廣伸建築事務所編集)」といい、市立図書館にあるようです。

|

« 走井山勧学寺の桜と、三岐鉄道北勢線のナローゲージ電車、そして私の好きな三猿の庚申塔 | トップページ | 初夏の雰囲気の中、鯉のぼり、ナミアゲハ、花筏など盛りだくさんの散歩【昭和9年頃の桜堤防の写真を追加(4/5)】 »

散歩」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

趣味」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 走井山勧学寺の桜と、三岐鉄道北勢線のナローゲージ電車、そして私の好きな三猿の庚申塔 | トップページ | 初夏の雰囲気の中、鯉のぼり、ナミアゲハ、花筏など盛りだくさんの散歩【昭和9年頃の桜堤防の写真を追加(4/5)】 »