2018年11月17日 (土)

九華公園でアトリのメス

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 昨日より暖かく、20℃を超えました。近鉄ハイキングへ出かけようとも思ったのですが、所用があり、断念。所用を済ませるため、三栄町を回って、京町から九華公園へ。いつもと逆回り。九華公園からは柿安コミュニティパーク、七里の渡し跡と4.6㎞。九華公園に着いたのは、いつもより1時間あまり遅く、9時50分頃。暖かいので、カモたちはあちこち動き回っていました。
Img_2468c 九華公園では、ユリカモメ3羽を見たものの、餌をやる人があり、飛び回ってImg_2516c いました。カモの数もきちんと数えられず、管理人Nさんに伺って67羽としました。ヒドリガモ2ペア、ハシビロガモ、ホシハジロのメス、キンクロハジロ。いつもと違うことをすると、まぁこんな風ですが、やむを得ません。
Img_2478c 九華公園にいたのは、9時50分から11時頃。今日は、小型の野鳥がたくさんいましたが、持って行ったのは超望遠コンデジのみ。いざというときには、やはりデジイチの方がピントが合うのも早く、役に立ちます。超望遠コンデジが役に立たないということはないのですが、近視、乱視&老眼では、液晶ビューファインダではよく見えないことがあったり、ピンぼけでも気づかなかったりするのです(苦笑)。カワラヒワは相変わらず、群れています。松の木の高いところにいたり、松の実を啄んでいたり。
Img_2490c 奥平屋敷跡への入り口にある花菖蒲園では、こちら。見つけて移動したもImg_2496c のの、こんな写真しか撮れませんでした。アトリのメスのようです。近くでは、シメの鳴き声も聞こえていたのですが、まだ地上には降りてきません。右は、証拠写真。
Img_2514c さらに管理事務所に近い方の花菖蒲園でも鳥影を発見。しかし、何だかはっきりとは認識できず。動いているウチに少し離れた木の上に。そこでようやくビンズイだと分かったような有様(苦笑)。これまた証拠写真。いつもとパターンが変わると、なかなかうまく対応できません。
Img_2529c 帰り道に鎮国守国神社の社務所裏を確認。アオサギ1羽と、ホシゴイ1Img_2540c 羽。ホシゴイは、西から見ると、枝かぶりしか撮れないところに。他にもヤマガラ、シジュウカラなどを見たものの、ピンぼけやら、暗い写真やら。まぁ、こういう日もあるということです。
Img_2544c 揖斐川では、今日もカンムリカイツブリの姿が3羽。しかし、いかんせん遠いのです。明日は、午後から三重K-ABCアセスメント研究会へ参加の予定。午前中、短時間でも散歩には行きたいと思ってはいますが、どうなりますか。
 今日の野鳥観察リスト:
  • キンクロハジロ オス、メス
  • ヒドリガモ オス、メス
  • ハシビロガモ オス、メス
  • ホシハジロ メス
  • ハクセキレイ
  • ムクドリ
  • ハシボソガラス
  • ユリカモメ
  • ヒヨドリ
  • カワラヒワ
  • シメ
  • アトリ メス
  • ヤマガラ
  • シジュウカラ
  • オオバン
  • カルガモ
  • ジョウビタキ メス
  • ビンズイ
  • モズ
  • ホシゴイ
  • アオサギ
  • カンムリカイツブリ

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2018年11月16日 (金)

ユリカモメ1羽、カモは69羽@九華公園

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 風はあまりありませんでしたが、雲が多い日。最高気温も16.6℃では、日が陰ると寒く感じます。いよいよ11月も後半。早いものです(と、いつも同じようなことを書くようでは、年を取ったといわれます)。今日も、午前中はいつも通りの散歩。住吉神社、九華公園、歴史を語る公園、寺町と5.8㎞。判で押したような毎日。
Img_2416c 今日も揖斐川にはカンムリカイツブリの姿が見えました。3羽です。昨日も書いたとおり、遠い。小生が歩いている右岸の方に来てくれれば良いのですが、ほぼ川の中央あたりにいます。七里の渡し跡には、赤須賀の漁船が3隻も入って来て、シジミ漁。見ていると石が多いので、ここまで獲りに来る? と思ってしまいます。お陰で鳥影はなし。
Img_2419c 三の丸公園の桜の木には、モズかと思ったら、ジョウビタキのオスでした。いつもは、モズの指定席なのですが。三の丸公園では、草刈り作業が行われており、ここもジョウビタキのみ。
Img_2426c 九華公園 では、ユリカモメが1羽だけ飛来。飛んでいたのですが、餌をやる方があり、堀に降りてきました。去年の今頃は10羽くらい来ていましたし、去年の11月20日前後には20~30羽という記録になっています。
Img_2424c カモは合計69羽。こちらは昨年並み。ヒドリガモのペアが2組、ホシハジロ

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のオスが1羽、メス2羽、ハシビロガモのオスが2羽、メスが4羽で他はキンクロハジロ。右の写真は、久しぶりに登場したホシハジロのオス。
Img_2016c ヤマガラはちょっと枝かぶりの証拠写真。今日も2羽が奥平屋敷跡へのImg_2026c 入り口にて。回りには、メジロやシジュウカラ。メジロ(右の写真)は、去年は少なかったのですが、今年は割りとよく見ます。昨日も今日も、ツツジの植え込みで「チャッ チャッ」という鳴き声を聞きますが、姿ははっきりとは見えません。ウグイスかなぁ?と思っています。
Img_2435c ゴイサギ。今日は、アオサギは不在。ホシゴイも見つけられませんでした。このゴイサギも、公園に着いたときは見当たりませんでした。じっとしているようで、けっこう場所を移動したりもします。ゴイサギにはそういうつもりはないでしょうが、こちらからすると「隠れ上手」です。
Img_2072c 帰り道、歴史を語る公園近くでジョウビタキのメス。天気が良いので、もっと鳥がいるかと思うと、なかなかそうは問屋が卸さないというところ。九華公園ではカワセミが飛ぶのを見たものの、写真は撮れず。知り合いの方は、スマホで止まっているところを撮れた! と喜んでおられました。
 本日の観察リスト:
  • ヒヨドリ(諸戸氏庭園、九華公園)
  • カワラヒワ(諸戸氏庭園、九華公園)
  • カンムリカイツブリ(揖斐川)
  • イソシギ?(七里の渡し跡)
  • ジョウビタキ オス(三の丸公園)
  • ハシブトガラス(三の丸公園)
  • ハクセキレイ(三の丸水門)
  • カワウ
  • ホシハジロ オス、メス
  • ハシビロガモ オス、メス
  • ヒドリガモ オス、メス
  • キンクロハジロ(九華公園、歴史を語る公園の堀)
  • オオバン
  • カルガモ
  • カワラバト
  • ヤマガラ
  • メジロ
  • シジュウカラ
  • ハシボソガラス
  • ユリカモメ
  • ゴイサギ
  • ジョウビタキ メス(歴史を語る公園)

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2018年11月15日 (木)

今朝は6.8℃……揖斐川にもカンムリカイツブリ

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 今朝は寒いと思ったら、最低気温が6.8℃となっていました。それでもいつも通り、散歩であります。8時20分から11時半前まで、これまたほぼいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、春日神社、田町と回って、6.8㎞。
Img_2252c 一昨日、長良川河口堰と三ツ又池公園でカンムリカイツブリを見て来ましたが、今日は揖斐川にも姿を現しました(11月13日:長良川河口堰と三ツ又池公園へ)。2羽です。ただ、河口堰や三ツ又池公園よりも遠くからしか見えないことが多いのが、玉に瑕。
Img_1873c 柿安コミュニティパークで知人と話していたら、揖斐川の上空をトビが飛んでいきました。気づくのが遅れ、慌てて撮ったらこんな写真。まぁ、こんなもの(笑)。
Img_1883c 九華公園、相変わらずもっとも賑やかなのは、ヒヨドリ。アオサギはいつもお降り、鎮国守国神社の社務所裏。アオサギの回りも盛んに”暴れん坊ヒヨドリ”が飛び回るのですが、アオサギはあまり気にしていない様子。今の時期、この時間、アオサギを見るとどうしても逆光になってしまいます。
Img_2294c ゴイサギは1羽、ホシゴイは2羽。8時50分頃と、9時半頃の2回の観察結果。Img_1957c 社務所裏を西側の堀越しに見るのと、稲荷社の参道から覗くのと。
Img_1973c カモは、合計58羽ヒドリガモのペアが2組、ホシハジロのメスが2羽、ハシImg_1893c ビロガモが5羽(オス2羽、メス3羽)とキンクロハジロ。他には、オオバン1羽と、カルガモ1羽。今日は、ユリカモメの姿は見られませんでした。
Img_1898c 管理事務所近くで、ヤマガラ、シジュウカラ、コゲラが群れになっていましImg_1916c た。このメンバーで一緒に行動しているところがよく見られます。ヤマガラは2羽、コゲラは1羽、シジュウカラは10羽近くです。
Img_1932c 奥平屋敷跡でシメ1羽を確認。奥平屋敷跡では、ヤマガラもよく見ますし、シメは今のところこのあたりにいるようです。「今のところ」というのは、昨年は本丸跡でよく見かけたのです。
Img_2277c ところで、九華公園にある鎮国守国神社の境内社の1つ、高龗(たかおかImg_2279c み)神社の祭礼。九華招魂社の南にあります。「」は、水をつかさどると信じられていた神、竜神です(リンク先をご覧いただくと、この文字が大きく表示されています)。松平定綱公(桑名藩主、久松松平の初代)が奉祀された神様です。定綱公は、寛永12(1635)~慶安4(1651)年、桑名藩主でしたから300数十年前から続くということです。また、定綱公は、寛政9(1797)年、鎮国大明神の神号を追祠され、鎮国守国神社に祀られています。
Img_2284c 9時から宮司さん、氏子の代表の方があつまって御神事。そのあとをちょImg_2289c っと覗いてきました。単なる興味ですが、お供え物がどのようなものか見てみたのです(微笑)。酒、餅、椎茸、野菜などの他に卵、お菓子、味付け海苔などが供えられていました。
Img_2321c 神社巡りではありませんが、久しぶりに春日神社へも。今日はちょうど七Img_2342c 五三の日。ご祈祷を受けに来た親子連れが何組もおられました。
Img_2352c これという話があまりありませんので、余談(苦笑)。24日の水郷花火大Img_1689c 会に向け、準備があちこちで行われています。揖斐川堤防通行止めの看板が我が家近くの道路にいくつも出ています。打ち上げ場所は、先日も載せましたが、草刈りが行われたのですが(11月13日:長良川河口堰と三ツ又池公園へ)、中洲のアオサギ集合場所のあたりもきれいになってしまい、アオサギその他が来なくなってしまいました。花火が打ち上げられると、河口堰など周辺にいるサギ、カモなどがパニックになって逃げ出すのも必至。
 本日の野鳥リスト:
  • ヒヨドリ(諸戸氏庭園、九華公園など)
  • カワラバト(諸戸氏庭園)
  • カンムリカイツブリ(揖斐川)
  • キンクロハジロ(川口水門)
  • ハクセキレイ(七里の渡し跡、九華公園)
  • トビ(柿安コミュニティパーク)
  • モズ(柿安コミュニティパーク)
  • アオサギ
  • ゴイサギ
  • ホシゴイ
  • ヒドリガモ オス、メス
  • ハシビロガモ オス、メス
  • ホシハジロ メス
  • キンクロハジロ オス、メス
  • オオバン
  • カルガモ
  • コゲラ
  • ヤマガラ
  • シジュウカラ(九華公園、貝塚公園)
  • シメ
  • ジョウビタキ オス
  • カワラヒワ(九華公園、貝塚公園)
  • メジロ(鳴き声)
  • キジバト
  • ジョウビタキ(鳴き声、貝塚公園)

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2018年11月14日 (水)

ツグミ、ユリカモメが九華公園に登場

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 最高気温は19℃を超えたものの、終日北寄りの風が吹いていました。冒頭の写真は、散歩から帰ってきた11時半頃の北の空。多度山の方から雲が流れてきています.これは、冬の空の定番。11月も中旬ですから、次第に寒くなっていく予感がします.今日はいつも通りの散歩。8時20分スタート、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀故縁から京町、寺町で6.1㎞。九華公園内をウロウロしていました。
Img_1795c その九華公園ではまずこちら、ツグミが登場しました。たいてい11月後半になると姿を現します。二の丸跡で、ヤマガラやシジュウカラを見ていたときに登場。おそらく来たばかりなのでしょう。樹上から降りてくることはありませんでした。
Img_1816c さらに、待っていたユリカモメもようやく姿を見せてくれました。といっても、6羽が九華公園の上空を旋回しただけで、堀には降りてきませんでした。知人に伺うと、昨日も飛んできていたということです。これで、冬の九華公園の役者がかなり揃ってきました(微笑)。
Img_1688c 危うく忘れるところでした。拙宅マンション前の住吉入江にも、キンクロハジロのメスが1羽、やって来ていました。散歩に出たときに確認です。ここ何年か、この住吉入江にも数羽のキンクロハジロが来ます。勝手に「住吉キンクロウズ」と名付けています。
Img_1698c 九華公園には8時45分に到着。北門から入りますが、すぐに相撲場があり、Img_1702c 相撲場の東、堀を挟んで鎮国守国神社の社務所。今日も、アオサギ1羽と、ホシゴイが1羽。アオサギとゴイサギ・ホシゴイは好みの鳥さんですので、彼らに会えると、散歩に出て来た目的のかなりの部分が満たされた気がします。
Img_1751c そして、今日もヤマガラに遭遇。それも、奥平屋敷跡、二の丸跡など、何Img_1757c 度もです。2羽が居着いています。最近はすぐ目の前にもやって来るようになっています。手乗りヤマガラになってくれないかと密かに期待していますが、どうでしょう? ヤマガラはたいていシジュウカラたちと一緒に行動しています。シジュウカラは数羽から10羽くらい。ここにコゲラが混じっていることもよくあります。
Img_1767c カモは今日は、45羽。最近餌をやる人が居ますので、あちこち移動してくImg_1847c れ、だんだんときちんとカウントするのが難しくなって困ります。ヒドリガモのオスが1羽、メス2羽、ホシハジロのメス2羽、ハシビロガモ5羽とキンクロハジロ。オオバンも1羽。今日はカルガモさんは不在。ハシビロガモは、甲羅干しスロープの残骸でマッタリしていることもよくあります。
Img_2230c ハシビロガモのオス。まだまだエクリプス状態が続いていて、あまり男らしくなってきていません。個体差もあるようで、昨日、三ツ又池公園で見たハシビロガモのオスの1羽は、頭部がかなり青くなっていました。
Img_1831c その他、毎年この時期の恒例ですが、カワラヒワたちが集団を組むようになって来ました。写真は、朝日丸跡で撮ったものですが、このように集まってきます。秋に、オスは樹上で集団で求愛ディスプレイを行います。
Img_2216c シメも複数の鳴き声がしていたものの、姿は確認できませんでした。ビンズイもその後、見られませんが、上述のように冬の役者が揃ってきましたので、野鳥観察の楽しみが、増して来つつあります。寒さも本格化してきますが、体調管理に留意してやることにしましょう。
 本日の野鳥リストは以下の通り。特記していないものは、九華公園にて:
  • キンクロハジロ(住吉入江)
  • シジュウカラ(桑名七里の渡し公園)
  • ハクセキレイ(柿安コミュニティパーク)
  • カワラバト
  • アオサギ
  • ホシゴイ
  • キンクロハジロ
  • ハシビロガモ オス、メス
  • ヒドリガモ オス、メス
  • ホシハジロ メス
  • オオバン
  • ヒヨドリ
  • カワラヒワ
  • ハクセキレイ
  • シメ(鳴き声のみ)
  • シジュウカラ
  • ヤマガラ
  • キジバト
  • ツグミ
  • ユリカモメ
  • ジョウビタキ(鳴き声のみ)
  • メジロ
  • ヒヨドリ(貝塚公園)
  • カワラヒワ(貝塚公園)

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2018年11月13日 (火)

長良川河口堰と三ツ又池公園へ

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 午前中は雲が多いという予報でしたが、しばらくよそへ行っていませんでしたので、長良川河口堰と弥富の三ツ又池公園へ行ってきました。まずは、長良川河口堰。
Img_2144c 曇っているのに河口堰に行ったのは理由があります。ブロ友のひらいさんImg_1575c が、カンムリカイツブリが来ていると書いておられたからです(2018.11.11 午後からまったり散歩~コサギに騙されてはいけませんぞ(笑))。いました、管理橋の上流側にも、下流側にも。合わせて9羽。今シーズン初見であります(微笑)。秋が深まると、揖斐川にも姿を見せますから、いつもの散歩でも見られるようになると期待しています。
Img_2122c カモは、カルガモが上流側に10数羽。キンクロハジロは、思ったほどはおらImg_1572c ず、16羽くらいでした。
Img_2119c サギは、着いた当初はあまりたくさんいませImg_1425c んでしたが、途中からアオサギが集まってきました。アオサギは、10羽くらいが集団でやって来て、河口堰と伊勢大橋の間あたりで「乱舞」(というとちょっと大げさですが、そんな感じ)。
Img_1493c そのうち、西側の魚道や、閘門のあたりに降りてきました。飛んでいるとImg_1515c ころを近くで見ると迫力があります。降り立つところもなかなかおもしろい。ポーズを取っているのかと思えるような雰囲気もあります。
Img_1402c ミサゴや、トビなどの猛禽類も見られましたが、あまり良い写真は撮れませImg_1484c んでした。
Img_1404c 曇天であまり良い写真は撮れませんでしImg_2135c た。河口堰の東では、何かいるなと思って撮ったらイソシギのようでしたし、西側ではジョウビタキのオス、メスそれぞれ1羽が縄張り争いをしているところに遭遇。どれも証拠写真で恐縮。
Img_1454c 長良川河口堰の南、揖斐長良川の中洲では、11月24日の桑名水郷花火大会の打ち上げ場所の整備が行われているようでした。お疲れ様です。それにしても、翌日は市会議員選挙の告示日。こんな時に花火大会をしていて大丈夫なのでしょうか?
Img_2155c 河口堰にほぼ1時間いて、三ツ又池公園へ移動。7月1日以来 (カイツブImg_1589c リのヒナ、親の背に……卵もまだありました)。ここでは桜も咲いていました。シキザクラだと聞いています。
Img_1665c 三ツ又池公園といえば、何といってもカイツブリ。数は多くはありませんでしたが、池のあちこちで元Img_2190c 気な鳴き声を響かせていました。
Img_1679c カモは、コガモやハシビロガモ、ヒドリガモの姿が見られました。コガモがImg_1646c もっとも多く、次いでハシビロガモ。コガモのオスは、いわゆるエクリプスの状態から変身中。まだ図鑑に載っているようなオスの姿にはなっていません。
Img_2171c ヒドリガモは、肉眼では、普通のヒドリガモと思ったのですが、パソコンでImg_2173c 写真を見たら、顔から頸が茶褐色ではなく、緑色をしているように見えます。確か、昨シーズンもこういう色をしたヒドリガモがいるのを見ています。
 今日の観察リストです。
 まずは、長良川河口堰:
  • カンムリカイツブリ
  • カワウ
  • ミサゴ
  • カモメの仲間
  • キンクロハジロ
  • アオサギ
  • カルガモ
  • オオバン
  • ハクセキレイ
  • イソシギ
  • ジョウビタキ オス、メス
 三ツ又池公園:
  • コガモ
  • オオバン
  • ムクドリ
  • カルガモ
  • ケリ
  • ヒヨドリ
  • ヒドリガモ
  • カンムリカイツブリ
  • カイツブリ
  • モズ
  • ハシボソガラス
  • ハクセキレイ
  • ハシビロガモ

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2018年11月12日 (月)

20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その5)……松坂城跡、松阪市立歴史民俗資料館を経て松阪駅でゴール(完)

 長々と書き連ねていますが、11月3日の近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」も、その5で完結としたいと思っています。

20181103kintetsuhikingmatsusaka3_2 本居宣長ノ宮から出て来たところでスタートから3.5㎞、正午直前です。続いて、松坂城跡へと向かいます。松坂城跡は、5月26日のJRさわやかウォーキングでかなり見て回りましたが、あとでチェックしたところ、見逃したところがありました(2018年6月23日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その3)……本居宣長旧宅、松坂城跡、 2018年7月6日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その4)……松坂城跡の続きから旧長谷川邸まで)。
Img_0816c 石垣のある城跡を見ると、いつも「いいなぁ」と思います。故郷は、明和Img_0830c 6(1769)年から明治に至るまで、駿河沼津領主・水野家の領地でしたので、御城はありませんでした(陣屋が置かれていたのです)。現在住んでいる桑名、桑名城は、揖斐川に臨む水城ですし、天守閣は、元禄14(1701)年の大火で焼失し、以後再建されませんでしたから、天守閣とか、城跡の石垣には縁がなかったのです。本居宣長ノ宮からは、搦手門跡から松坂城跡へ入ります。
Img_0852c ちょうどお昼になりました。武者行列は、11時に出発していますので、城跡Img_0845c は静かで、観光客もほとんどいませんでした。5月に来たときと同様、御城番屋敷が見えるベンチがあいていましたので、この日もまたそこで弁当。
Img_0856c これしかないのか? といわれそうですが、近鉄の駅ナカファミマで選ぶImg_2056c と、限られます。次からはパターンを変えたいと思っています(苦笑)。「お好み俵おむすびセット(税込み¥378)」。実は、あみま倶楽部に入っていると、「近鉄駅ナカファミマ100円割引券」が10枚もらえるのです(500円以上購入の場合に使えます)。それに、KIPSイコカカードで支払うと、100円で1ポイントが付与されます(Tポイントでは、¥200で1ポイント)。
Img_0861c 弁当を食べたのは、二の丸跡。ここには大きな藤棚があります。ただし、Img_0865c この藤棚は、明治23(1890)年に愛知県海部郡鍋田村(当時)にあった200余年の樹齢のものを株分けされたもの。昭和53(1978)年の説明で樹齢300数十年とか。
Img_0875c 見て回った順番に書きます。弁当を食べてまず向かったのは、松阪市立歴史民俗資料館。ここは、明治43(1910)年、皇太子の行啓を記念して建設され、明治45(1912)年に明治45(1912)年に飯南郡図書館(いいなんぐ
Img_0878c んとしょかん)として開館したところ。昭和52(1977)年に図書館が別の場所に新築移転したため、歴史民俗資料館となっています。国の登録有形文化財です。
Img_0893c 左の写真は玄関。右は倉庫。ここは、松阪市の歴史・民俗について展示Img_0895c しています。とくに松阪商人、伊勢白粉(いせおしろい)、松阪木綿に関する資料に特色があります。館内は撮影不可でした。
20181103matsukajoutenrankai 見て来たのは、「開館40周年記念特別企画 松坂城1588-2018 ~天下人も認めた武将 氏郷の城~」という展覧会。蒲生氏郷が松坂城を築き、城下町を整備してから430年という時間が経ちましたが、その氏郷と、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康との関わりや、明治以降の近代の松坂城跡にも焦点を当て、松坂城の変遷を関連する文献資料などに基づいて展示されていました。蒲生氏郷画像の他、下知状、氏郷公宮川行列図などなど150点ほどの資料が出ていました。平成31(2019)年2月17日までですから、まだまだチャンスはあります。入館料は¥100なのですが、あみま倶楽部の会員割引で、何と¥80。
Img_0970c 余談。松阪市立歴史民俗資料館に置いてあったスタンプを押してきました。他では気づきませんでしたが、こういうスタンプ、記念になって良いと思います。しかし、桑名では見かけません。九華公園でも、桑名市につくって欲しいと、原稿まで渡したのに、梨のつぶてとか。「もう原稿もどこに行ったのか分からないでしょう」というお話し。観光協会など、何となくお金儲けに走っている印象がしてしまうのですが、ちょっと違っているんじゃないの?!といいたい気がします。
Img_0904c 歴史民俗資料館で拝観を済ませ、5月に来たときに見逃していたところをImg_0901c 確認に。遠見櫓跡にある「大林翁祈念碑」。幕末・明治期の漢学者である大林省軒を顕彰する碑。大林は、斎藤拙堂門下の漢学者で、松坂学問所等の教官を経て、桂蔭塾を開講したとのこと(こちら)。大正6(1917)年建立。「松阪学問所」は、文化元(1804)年に紀州藩が、「代官小路」(現在の第一小学校の校舎の建っている殿町のところ)につくったもの。敷坪350坪。その後、慶応2(1866)年、紀州藩の藩校改革により、松坂学問所は、大手門通に移転し、「松坂学習館」として拡充されています(こちら)。
Img_0907c 遠見櫓跡から見た歴史民俗資料館。伝統的な和風のデザインですが、Img_0880c_3 左右に翼部、中央に玄関が突出した左右対称の構成。これで松坂城跡は、ほぼコンプリート(と思います)。松坂城跡を出るときには、4.2㎞ほど、時刻は13時前。
Img_0872c 帰りは大手門のところから出ます。コース設定上こうなっているのですImg_0925c が、本居宣長ノ宮でも同様、裏からはいって表から出るというパターン(苦笑)。東に200mあまりで市役所の前を通過。こんなに近いとは思いませんでした。地図だけ見ていても、小生のようなものには、具体的な位置関係は実感できません。やはり実際に歩いてみないことには始まらないと思うのです。
Img_0927c さらに、市役所前から100mあまりでここへ。ここは、5月のJRさわやかウォーキングで来たところ。旧長谷川邸や、牛銀本店がある通りなのです。これまた、こんなに近いのかと思ったのです。詳細は、7月6日の「20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その4)……松坂城跡の続きから旧長谷川邸まで」をご覧ください。今日のコース設定でも、旧長谷川邸を回ることになっているのですが、5月に見ましたし、ゴールしてからの抽選会が13時30分までということでしたので、パス。
Img_0929c 松阪もめん手織りセンター。ここも5月に来ましたので、パス。スタートかImg_0931c ら4.7㎞で本町交差点へ(右の写真)。ここは旧伊勢街道。本町交差点の北には、三井家発祥の地、松阪商人の館などがありますが、これらも5月に来ましたのでパス。そのまま旧伊勢街道を下ります。
Img_0934c 本町交差点から南東、日野町交差点あたりはこの日最も賑わっていたとImg_0937c ころと思います。あの有名な「和田金」さんもこの通りに面しています。創業は明治11(1878)年。東京の料亭「和田平」などで料理の修行を積んだ初代店主・松田金兵衛が松阪に帰郷し、鍛治町(現:本町)に牛肉店を開業したのが始まり。松阪肉を平切りにした「寿き焼」は、和田金が始まり。
Img_0941c 和田金さんも店の前に小さな露店を出していましたが、値段はお安くはなく、おいそれと手は出せませんでした(苦笑)。
Img_0936c これまた昔懐かしい射的の露店も出ていました。が、あまりゆっくりはしていられませんので、松阪駅に急ぎます。
Img_0949c もっと離れているかと思って急いだのですが、結局、13時12分にJR松阪駅前にある観光案内所にゴールイン。松坂城跡からはけっこう早かったですね。トータル5.8㎞。
Img_0951c 観光案内所で、抽選会。というか、最初にいただいたコースマップにあるImg_0954c 番号でチェック。下1桁が5また7が当選でした。残念ながら小生の番号は、左の写真にあるように、#270ということで、大外れ(苦笑)。しかし、松阪市、松阪市観光協会は太っ腹。外れても、右の写真のように、参加賞をいただきました。松阪茶のペットボトル500ml1本と、「ちゃちゃもどら」、茶のどら焼き(1個¥140)。都古水月 (みやこすいげつ)のお菓子。これ、ありがたいですねぇ。桑名である近鉄ハイキングや、JRさわやかウォーキングでも桑名市なり、桑名市観光協会なりがこういう企画をすればよいのに。
Img_1004c この日は、近鉄ハイキング終了後、家内の実家へ行く予定。11月7日がImg_1014c 家内の父の命日でしたので、土産兼ご仏前に松阪銘菓「老伴(おいのとも)」を購入。柳屋奉善(天正3(1575年創業)の和菓子。「老伴」は、創業当時の天正3年に作られたお菓子だそうで、後に松阪の豪商で茶人でもあった三井高敏(三井家)により、白楽天の詩集から「老伴(永遠に付合えるお菓子)」と改名されたといいます。ずいぶん昔、食べた記憶があり、これを買いました。羊羹の甘さを最中の皮で抑えた、上品で独特の風味が楽しめます。 愚息が絶賛しておりました(微笑)。「松阪まで買いに行っても食べたい」とか。
Img_0965c 松阪駅発13時32分の急行名古屋行きに乗車。久居まで。久居には、13Img_0967c 時47分着、¥300。JR松阪駅側から入りましたので、乗車券を購入(三重県内のJRは、関西線四日市駅までしかICカードが使えないのです)。
Img_1012c  という次第で、近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」も、その5でやっと完結しました。調べるのにあれこれ手こずりました。ネットでかなりの情報が出てくるのですが、万能ではありません。現地で可能な限りの情報収集をしてこなくてはなりません。お付き合いくださり、感謝申し上げます。写真は、和菓子「老伴」の反対側の面。くどいのですが、これ、お勧めのお菓子です。

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九華公園にシメ4羽……午後は市民大学最終回で修了証をいただきました

Img_2026c

 九華公園にシメ、再登場です(微笑)。それも、4羽いたのです。今まで集団(というと大げさですが)でいるのは見たことがありません。少し離れたところから鳴き声が聞こえ、観察した結果、4羽いることを確認。11月8日に1羽を見て以来、確認できなかったのですが(九華公園にシメ登場)、これで居着いてくれるとありがたいところ。まだ警戒心が強いのか、樹上にいてばかりでした。
Img_2025c こちらはジョウビタキのメス。珍しくないといわれそうですが、小生の散歩コImg_2023c ースでは、ここしばらくオスばかりでした。柿安コミュニティパークのところにて。すぐ近くには、三の丸公園あたりを縄張りにしているモズのメスもいましたが、とくにトラブルという様子もありませんでした。
Img_2016c さて、今日の散歩もいつも通り。ちょっとくらい遠征したい気もしていますが、今日は、午後から市民大学でしたので、いつも通りに。8時20分から11時にかけて、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園と公園巡りをして、京町、寺町という5.8㎞コース。写真は、住吉神社の前。水郷花火大会に向け、草刈りが行われ、サッパリしています。
Img_1332c 九華公園に着くまでに(8時40分頃)、ジョウビタキのメス、モズのメスの他、ハクセキレイ2羽(柿安コミュニティパーク)、ヒドリガモのペア1組(三の丸水門)。九華公園のアオサギ、鎮国守国神社の社務所裏にいるのですが、木のどこにいるかは、日によって微妙に異なります。左の写真は、わざと枝かぶりのものを載せました。
Img_1381c カモは、今日も合計53羽。ハシビロガモのオスが2羽、メスが3羽、ホシハジロのメスが1羽、ヒドリガモのペアが1組、他はキンクロハジロ。ヒドリガモは、遅れて登場しましたので、三の丸水門からやって来たのかも知れません(まったくの推測です)。
Img_2036c ホシゴイは2羽。こちら、公園についたときには見つけられず、2回目(9時Img_2039c 半過ぎ)のチェックで確認(アオサギ、ゴイサギ、ホシゴイは何故か2回見に行く習慣になっています)。左は、鎮国稲荷の参道から撮ったもの。右は、社務所裏にいるのを堀を挟んだ西側から撮影。こういう枝かぶりの位置にばかりいます。このあと左の写真のホシゴイは、西の方へ飛んで行ってしまいました。
Img_1349c こちら、写真としてはできが悪いと思いますが、カワラヒワの行動が分かるもの。松の木に来て、松の実を啄んでいます。
Img_1391c 九華公園の野球場横でハクセキレイ、右のジョウビタキのオスは内堀公Img_1398c 園にて。貝塚公園も毎回チェックしていますが、ヒヨドリばかり。カワラヒワは割りとよく見ますが、最近、他の鳥は少なくて残念。ここにはシロハラやツグミが来ますので、それを楽しみに足を伸ばしているのです。
18jukouhyou ところで、5月7日に開講した本年度の「くわな市民大学」講座ゼミナール「郷土史学科」、本日、最終回を迎えました。10月1日は台風の影響で日にち変更がありましたが、無事に皆出席。今年のテーマは「戊辰戦争 それぞれの戦い」。戊辰戦争に至った経緯、朝廷と幕府の関連、諸藩や公家の立場と動き、外国の影響、桑名藩の動きなど7回にわたって聴講。講師のO先生は、毎回手作りの年表を示してくださいました。最後に、戊辰戦争とはいったい何だったのかという問いかけ。「薩長のための戦争。徳川幕府が、薩長幕府になっただけ」ということをおっしゃった方があり、思わずうなずいてしまいました。ものごとにはいろいろな立場からそれぞれの見方がありますから、これがすべてではありませんが、1つのポイントを突いていると思います。
181112shuuryoushou この年になってもこういうものがいただけると、嬉しいものです(微笑)。無事に修了証もいただけました。
 以下、本日の野鳥リスト(写真を載せたものと重複します):
  • ドバト
  • ヒヨドリ
  • キジバト
  • ヒドリガモ
  • ハクセキレイ
  • キンクロハジロ オス、メス
  • モズ メス(柿安コミュニティパーク)
  • ジョウビタキ オス(九華公園、内堀公園)、メス(柿安コミュニティパーク)
  • アオサギ
  • ホシゴイ
  • シメ
  • ホシハジロ メス
  • ハシビロガモ オス、メス
  • カワラヒワ

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東海地区K-ABC研究会のお知らせ

20181216toukaikabc  東海地区K-ABC研究会から研究会のお知らせです。9月に台風のため延期した研究会を下記のように開催します。年末になり、お忙しい時期ではありますが、ご参加くださいますようお願いします。

  1. 日時:平成30年12月16日(日) 13:30~16:00(受付は、13:00~)~
  2. 場所:岐阜大学教育学部附属特別支援教育センター2F 研究室(〒501-1193 岐阜市柳戸1-1)
  3. 内容:①「KABC-Ⅱ体験」(13:30~14:30)、②事例検討「書き困難のある小学2年生の事例」(14:40~16:00、助言者:小笠原昭彦(桑名発達臨床研究室 代表 元・名古屋市立大学教授)
  4. 参加費:1,500円(当日会場にて支払)
  5. 定員:70人(定員になり次第〆切、参加不可の場合のみ連絡します)
  6. 事前申込:氏名、所属、メールアドレスを記入の上、toukai14kabc@yahoo.co.jp(@マークは、迷惑メール防止のため全角サイズで表示しています。メール送信の際には半角サイズ(@)に変更してください)もしくは当会HP(https://toukaikabc.jimdofree.com/)よりお申込下さい
  7. 申込〆切:平成30年12月12日(水)
20181216toukaikabc2 交通アクセスについては、先の画像または、岐阜大学のサイトからご確認ください。

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20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その4)……松阪神社、本居宣長ノ宮

20181103kintetsuhikingmatsusaka3  近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策(11月3日)」のその4です。その3では、松阪神社の前まで来て、武者行列を御城番屋敷のところで見ました(20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その3)……和歌山道道標、樹敬寺で本居宣長墓所、御城番屋敷で武者行列を見る)。御城番屋敷も見たかったのですが、武者行列が通過するまでは、入れませんので、松阪神社へ。

Img_0713c  松阪神社も5月の時は、一の鳥居だけを見て、参拝はしていません。神社Img_0715c由緒書きによれば、古来「意悲神社」(おいじんじゃ)と称し、平安時代以前の創立とされますが、年代は詳かではありません。天正16(1588)年、蒲生氏郷が、飯高郡矢川庄の宵の森と呼ばれていた丘に築城した時に、城の鎮守社と定めて、宵の森の南の丘に社を新たに御造営されて出来た神社です。氏郷は、また、この鎮守社に新たに武士尊崇の神である「正八幡様」を勧請して、祭り神として祀り「八幡宮」と唱えています。明治41(1908)年には、市内各所に祀られていた17神社が、ここに合祀せられ、社名を「松阪神社」して、今日に及んでいます。
Img_0703c 松阪工高の西、御城番屋敷入り口にある一の鳥居から100mあまりのところImg_0727c にある二の鳥居(その3にも載せました)。由緒書きにあったように松坂城跡の南の丘で、ここから登って行きます。鳥居に向かって右脇に「本殿遙拝所」と刻まれた新しい石柱があり、気になります(坂がけっこうキツい予感)。
Img_0731c 実測ルートを描くときに調べたら、一の鳥居のところが標高17mほど、松阪神社の拝殿前でImg_0733c_2 30m近くになります。数値的には大したことはないのですが、実際に登るのはなかなか。ご覧のような階段を登って三の鳥居へ。境内が見えてきました。
Img_0758c 正面に拝殿。拝殿の背後にあるご本殿は、昭和5(1930)年の遷宮の際、伊勢の豊受大神宮の三御殿の中の一つである、西宝殿をそのまま下附されたものがもとです(こちらに写真があります)。神明造の本殿であったものに、千木鰹魚木・銅板屋根の部分を新しくしたという由緒のある本殿です。豊受大神宮の西宝殿の拝戴は、このあたりでは松阪神社だけで、江戸時代以来、20年毎に下附を受け、昭和5年の時は第8回目。
Img_0760c 御祭神は、主祭神が誉田別命と、宇迦之魂神。合祀されている神様は、以下の33柱。明治に17神社を合祀したために多いと思われます。
天照皇大神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、建速須佐之男尊、豊受大神、思兼神、大山祗命、火霊神、金山彦命、蛭子命、猿田彦命、大国主命、少彦名命、熊野久須毘命、天御柱命、国御柱命、雅日女命天棚機姫命拷幡千々姫命、安徳天皇、多紀理毘売命高木大神因幡素莵神(こちらの白兎神社のサイトもご覧ください)、多岐都比売命市岐島姫命天之忍穂耳命天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、八百万神、事代主命、上筒男神、中筒男神、底筒男神
 なお、すべてを調べ、リンクを示すのは大変な手間ですので、独断と偏見により、初見もしくは小生の記憶があやしい神様についてのみ、リンクしてあります。
Img_0736c ご神木は、楠の大変古い巨木。鳥居を構え、注連縄が巻かれています。Img_0739c このご神木は、氏郷が松坂城をつくった頃すでに、この位置に500年を経過した木としてあったといいます。それ故、樹齢900年以上。樹高25m、胸高周囲7mで、木下には、深さ3mの穴があり、太い根が穴の上にまたがって生えています。
Img_0748c 境内社としてあるのは、少彦名命社。これは、松阪市愛Img_0752c 宕町から昭和38(1963)年2月に松阪神社境内に造営鎮座祭が斎行され、できたお社です。少彦名命は“一寸法師”の童話のモデルともいわれています。また、薬や酒を造ったとされ、特に病気平癒に御利益があると、信仰を集めています。
Img_0751c この少彦名命社を囲む塀のところには神様のお名前を刻んだ石柱が並Img_0755c んでいました。向かって左には建速須佐之男命、右には山の神2柱と少彦名命。朱塗りの小さな鳥居も置かれています。合祀された神社のものかと思いますが、詳細は不明。
Img_0766c 拝殿に向かって左には、神輿殿。神輿が2基。雨龍神輿と、八重垣神輿。Img_0769c いずれも立派なもの。7月中旬に祇園祭が催行され、そのときに使われるものかと思います。
Img_0746c 拝殿に向かって右手、手前には立派な神楽殿もありました。このほか、Img_0773c 筆塚もありますが詳細はよく分かりません。まだ新しいものでした。
Img_0788c 松阪神社のすぐ北隣には、本居宣長ノ宮があります。ただし、両方の神社は、無Img_0792c 関係。主祭神は、秋津彦美豆櫻根大人(本居宣長)、相殿神は神霊能真柱大人(平田篤胤)。本居宣長を神と祀る世論は早くからあったようですが、明治8(1875)年3月、川口常文等が主唱し、旧山室村(現・松阪市山室町高峰)の大人奥墓の傍に社宇を建て、山室山神社と号しました。その後、現・松阪市役所所在地を経て、昭和6(1931)年に現在地に遷座。昭和21(1946)年に社号を本居神社と改称。平成7(1995)年4月、本居宣長ノ宮と称しています。合格祈願・学業成就などの御利益があるとされます。
Img_0778c 本居宣長ノ宮には、本居宣長の歌碑があります。「志きしまの やまとこImg_0784c ころを 人とはば あさひににほふ 山さくら花」という宣長61歳(寛政2(1790)年)の時の自画像に添えられたもの。この自画像は、本居宣長記念館のサイトにあるこの画像と思います。
Img_0794c 境内社として、末廣稲荷大神がありました。この稲荷社Img_0798c は、昭和4(1929)年4月、興和紡績松阪工場の前身である松阪木綿株式会社が、伏見稲荷から勧請したものです。同工場が閉鎖されるにともない、平成11(1999)年4月にここに御遷座。御祭神は、宇迦之御魂大神。
Img_0804c JR松阪駅前にもこの「驛鈴」のモニュメントがありましたが、本居宣長ノ宮Img_0813c にも石でつくられた驛鈴がありました。後で調べたら、「七種鈴をあしらった石灯篭もある」ということでしたが、まったく気づかず(苦笑)。表参道へ出ると、右のような景色。
 その4はここまでとします。残りは松坂城跡、松阪市立歴史民俗資料館とそこで開催されていた「開館40周年記念特別企画 松坂城1588-2018 ~天下人も認めた武将 氏郷の城~」という展覧会、そしてゴールへ。次回で完結の見込み。

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2018年11月11日 (日)

20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その3)……和歌山道道標、樹敬寺で本居宣長墓所、御城番屋敷で武者行列を見る

 11月3日に出かけた近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」のその3です。八雲神社、愛宕山龍泉寺にいろいろとありましたので、遅々として進んでいません(苦笑)。進みが遅い上に、調べが付かないことも多々あります。本来であれば、ネット検索だけでなく、本、パンフレットなど印刷された資料を調べるべきなのですが、それを始めると収拾が付かなくなる恐れがありますので、それなりというところでご容赦を願います。

20181103kintetsuhikingmatsusaka2 愛宕山龍泉寺を出てわずかに国道42号線を歩いて、愛宕町西交差点を右20181103ujistomatsuri2 折。旧伊勢街道へ入り、北西へ。ここも氏郷まつりが開催されているエリア。
Img_0619c 小生が通ったときには、忍者ショーが行われていましたImg_0628c。日野町の交差点まで来たら、ベルタウンの近くで見かけた「松阪しょんがいソーラン」の方たちと再遭遇(11月 8日:20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その1)……八雲神社(調べが足りませんが……))。ここが中央ステージ。パンフレットによれば、10時35分から11時15分が出番で、ちょうど終わったところでした。ここでスタートからほぼ2㎞。
Img_0631c 日野町交差点には、見逃せないものがあります。ここにあるヒシナカ薬Img_0637c 局の前に道標が立っているのです。大賑わいで、苦労したものの何とか写真を撮ってきました(2018年6月15日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その1)……小津安二郎青春館、夢休庵で松阪撫子、原田二郎旧宅から松工、松坂神社【明治天皇樹敬寺御晝餐所を付記しました(6/17)】)。「左 さんぐう道 八雲神社 右 わかやま道」と刻まれています。ここで旧伊勢街道から旧和歌山道が分かれるのです。ちなみに、「日野町」という地名は、蒲生氏郷が近江国日野から移転してきた際、日野から連れてきた商人や住民がいたことから、町名になったといわれます。
Img_0639c 日野町交差点から100mほどの左手に樹敬寺(じゅきょうじ)があります。和歌山街道に面しています。今年5月26日に来たときも入り口あたりは見たものの、その日は蒸し暑くて、疲れており、ここにある本居宣長墓所へ行くのを諦めていました(2018年6月15日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その1)……小津安二郎青春館、夢休庵で松阪撫子、原田二郎旧宅から松工、松坂神社【明治天皇樹敬寺御晝餐所を付記しました(6/17)】)。この日はリベンジ。
Img_0644c 浄土宗、山号は法幢山。京都知恩院の末寺にあたり、建久6(1195)年、俊乗坊重源上人によって開かれました。ここは、代々、本居一族の菩提寺です。天正16(1588)年、蒲生氏郷の松坂城下建設に伴い、松ヶ島城下より現在地に移ったといいます。本堂は、明治35(1902)年に再建されました。1枚前の写真に写っていますが、明治天皇が、明治13(1880)年7月7日、三重県庁、裁判所、師範学校、津中学校を御巡覧され、伊勢陣国御参拝になっていますが、ここ樹敬寺にて昼食を摂られたということです(詳細は、上記のJRさわやかウォーキングのリンク先にあります。
Img_0648c_2 前回は、この案内図を見て、本居宣長墓所がとてつもなく遠く感じたのでImg_0646c す(苦笑)。この日は、何が何でも行ってみようと思ってきています。樹敬寺山門には、どう見ても三ツ葉葵紋がありました。紀州藩領であったことが関連するのかと思うのですが、詳細は不明。
Img_0650c 境内にはかつて8つの塔頭(たっちゅう)がありました。山門を入ってすぐImg_0655c 左手にあったのは、嶺松院。ここは、宣長歌会の会場だったといいます。歌碑には、「しめやかにけふ春雨のふる言をかたらん嶺の松かけの庵 舜庵」とあります。「舜庵」は宣長の雅号の一つ。院は明治の大火で焼失しました。
Img_0660c こちらが樹敬寺の本堂。俊乗坊重源上人によって開かれImg_0663c たと書きましたが、上人は治承4(1180)年、法然上人の推挙により、東大寺の大仏殿復興大勧進の職を拝命され、大仏殿落慶供養された方です。上人は、この功徳をもって国中に7ヶ所の念仏同所を建立され、樹敬寺はその中の一つです。文化財もあります。これから行く本居宣長・春庭墓は国指定の史跡、木造地蔵菩薩立像は県指定文化財。
Img_0669c 樹敬寺の裏手、市道を渡ると墓所があります。門があり、そこには「鈴屋大人月参墓」と、「原田二郎翁墓所」という看板があります。「鈴屋大人」は、本居宣長。宣長は、自宅の鈴屋(すずのや)で門人を集め講義をしたことから「鈴屋大人(すずのやのうし)」と呼ばれたといいます。原田二郎は、5月26日のJRさわやかウォーキングでも訪ねましたが、(2018年6月15日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その1)……小津安二郎青春館、夢休庵で松阪撫子、原田二郎旧宅から松工、松坂神社【明治天皇樹敬寺御晝餐所を付記しました(6/17)】)、。原田二郎は、紀州藩松坂領の町奉行所の同心の家に生まれたのですが、英語と医術を学んだ後、大蔵省に勤め、31歳で横浜の第74国立銀行(現在の横浜銀行の前身)の頭取となり手腕を発揮。34歳のとき松阪に戻ります。54歳の時、井上肇の依頼で大阪の鴻池銀行の整理、再建にあたりました。71歳で再建に成功した後、退職。その後、社会公益事業に対する助成団体、原田積善会を設立しました。
Img_0676c  こちらが、本居宣長墓所。宣長は72才で生涯を閉じる前年、遺言書をしImg_0681c たため、墓所と戒名を定めています。「高岳院石上道啓居士(こうがくいんせきじょうどうけいこじ)」を刻んだ墓石が、子の春庭の墓と背中合わせに並んでいます。左の写真では、「史跡 本居宣長墓」の石柱に向かって左側に宣長の墓があります。これで5月26日以来の念願というか、宿題というかようやく解決した感じです。
Img_0678c ちなみに、こちらが宣長の息子の春庭の墓。小生はまったく知らなかったのですが、春庭も国学者です。ただ、32才で失明し、鍼術を業としたといいます。家督を父の養子・大平に継がせ、自らは宣長の学問を受継ぎ、『詞のやちまた』『詞乃通路』等、語学研究上の名著を出し、国語学史上不朽の貢献をしたそうです。知りませんでした。常日頃、「知っていること藩でも知ってるが、知らないことは何も知らない」と嘯いていますが、本当にそうでした。これからは、もっと謙虚にしなければなりません。春庭は、文政11(1828)年歿、享年66。
Img_0673c こちらは、原田二郎翁墓所。原田二郎の業績は、上述のように、大蔵省や、第74国立銀行での活躍の他、退職後に原田積善会を設立しています。原田積善会は、公益財団法人に模様替えし、設立から98年を経過した現在もその事業を続けています。驚くべきことです。
Img_0695c 和歌山街道に戻り、新町交差点で右折して北西へ。歌ーとから3㎞を過Img_0693c ぎると、左手(南側 )に松阪工業高校のグラウンドがあります。ここで右折して、松阪工高の方に入るのですが、その前に、グラウンドの隅に「三重県立松阪商業学校 松阪商業高高等学校跡」という石碑がありました。松阪市殿町のここに、大正9(1920)年4月に三重県立松阪商業学校創立が創立されたのです。その後、いくつかの経緯を経て、昭和27(1952)年4月に県立松阪商業高校になり、昭和43(1968)年10月までここにありました。
Img_0699c グラウンドのところを入って行くと、県立松阪工業高校の正門に出ます。Img_0850c このあたりでスタートから約3㎞、11時40分頃。明治35(1902)年創立。当時から木造校舎の外壁は実験に用いる硫化水素の影響を受け黒変することがないようにと朱色に塗装されていました。それ故、創立早々から「赤壁(せきへき)」と呼ばれ、地元で親しまれてきました(右の写真、松坂城跡から御城番屋敷越しに見たもの)。
Img_0703c 松阪工高の西を回ると、松阪神社へ。ここも、5月26日にJRさわやかウォImg_0706c ーキングで来たときは、一の鳥居だけを見て、参拝は断念。この日はリベンジ・シリーズなのです(笑)。二ノ鳥居(左の写真)まで来て、一の鳥居(御城番屋敷の端にあります)を見ると、武者行列が来たようでした。これは見逃す手はないと思い、急いで見に行きました。
Img_0708c 松坂城跡を11時にスタート、御城番屋敷あたりは11時40分~45分で、ここが絶好の撮影ポイントとあったのです。蒲生氏郷や冬姫には間に合いませんでしたが、武者行列の一部を撮影できました。その3は、キリが良いのでここまで。次は、松阪神社、本居宣長ノ宮、松坂城跡。

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