今週は、諸戸氏庭園
ご覧のように、気持ちよく晴れ上がりました。北風はやや冷たい感じでした
が、日だまりは暖かでした。今日は、この本邸の奥にある“諸戸氏庭園”に行ってきました。今日が、この秋の一般公開最終日でした。\500なりを支払って、早速中に入ります。左の本邸、右の写真の大門、そして、あとから載せますが、御殿、さらに現在解体修理中ですが、玉突場の4箇所が、2002年に国の重要文化財に指定されています。
大門をくぐって入り、少し進むと、車廻しのある御殿前玄関が見えてきま
す。御殿玄関の床は、1890年(明治23年)に着工していますが、当時の外務省をもした寄せ木張りとなっています。これは、外務大臣・大隈重信の指示によるといいます。
これらの2枚の写真は、車廻しの周囲の様子です。紅葉も、さすがに師走に入り、終わりがけです。また、お庭は、至る所が、苔むしていて、歴史の古さを感じさせます。元も、ここは、1260年頃から館が築かれており、1467年以降、織田家家臣であった矢部慶金の館となったという歴史があります。
庭園に入ってきますと、まずは、この推敲亭があります。1700年頃の作と伝わっています。三畳の大きさで
障子をめぐらしてあり、小さいのですが、それなりに開放的な空間となっています。月見や歌詠みなどにも使われたところだそうです。この東側には、菖蒲池が広がっています。江戸時代には、杜若が植えられていたそうです。推敲亭に向かって、右手やや下には、右のように織部灯籠が佇んでいます。
推敲亭前に広がる菖蒲池です。6月頃には、種々、色とりどりの菖蒲が
咲き誇ります。奥の中央あたりには、蘇鉄が植えられていますが、位置は異なるものの江戸時代からの植栽といいます。桃山時代以降に、外来の珍しい樹木が流行したということで、蘇鉄もその1つであったようです。
こちらは、本邸の裏手にある建物です。本邸は、公的部分(店舗)と、私
的部分とが分かれており、その私的な部分であると思われます。右の写真は、この左の建物に上がるところから、さらに東の方角、ちょうどあとから出て来ますが、煉瓦蔵に続くところです。
これがその煉瓦蔵です。元々は、木造の蔵だったようですが、189年に
焼失したため、その後、煉瓦蔵として再建されています。当初は、5棟あったのですが、戦災で2棟が被害を受け、現存しているのは、3棟です。表の、総構堀の側からの写真は、たびたびご紹介していますが、これはその裏手から見たものです。米が保管されていたといいます。右は、煉瓦蔵の前から、西の方向、つまり、先ほどの本邸の私的部分の方角を撮影した写真です。なかなか良い感じのところです。
煉瓦蔵の前には、このような松の古木が生えています。かなり曲がりく
ねっており、巨大な盆栽のような意趣を醸し出しています。幹は苔むしています。このお庭で、私の好きな木の1つです。この松の古木から、北の方へと進みますと、茶室である、藤茶屋があります。この藤茶屋の辺りが、このお屋敷の東北の端に当たります。上がり縁にも、落ちてきた紅葉の葉っぱが散っています。何とも言えない風情です。この藤茶は、江戸時代に桑名藩主が、藤を愛でるために立ち寄ったといわれますが、戦災で焼失したため、現在の建物は、昭和43年に再建されたものです。この写真では、よく分からないのですが、正面から奥にすぼまった形となっているため、「扇の間」とも呼ばれるようです。桑名城が、一名、扇城と呼ばれる他ことと関わりがあるのでしょうか?
藤茶屋を出たあたりから、本邸の裏側方向を見た写真です。手前側は、
菖蒲池です。右の写真は、同じあたりから、推敲亭の方を撮った写真です。菖蒲池には、点々と置き石があり、さらに石橋がしつらえてありますので、その中を散策できるようになっています。右の写真で、石橋を渡った先、つまり右の方向に先ほどの蘇鉄の植えられた山があります。
六華苑にも神社がお祀りしてありましたが、こちらの諸戸氏庭園にも、あ
ります。金比羅神社、住吉神社、伏見稲荷、玉船稲荷、菅原神社が奉られています。金比羅神社や住吉神社が奉られているのは、江戸時代の豪商で、桑名藩御用商人でもあった山田彦左衛門が、海運業を営んでいたことに因むということです。この神社のすぐ横には掘り割りがあり、その向こうは、先週いってきた六華苑が、木立の間から見えます。右は、六華苑の洋館です。
その水路はけっこう幅があり、ちょっとした川舟であれば、十分に通行で
きたのではないかと思われます。また、右の写真で手前の石組みあたりからは、御殿前のいけに通じる水路があります。六華苑と同様に、御殿前の池は、潮入池であったようですから、ここから水を引き入れていたのではいかと想像できます。
御殿です。御殿も、1890年(明治23年)に着工し、数年がかりで完成した
といいます。庭がよく眺められるように、床が高く、柱の少ない作りになっています。この建物も、すでに触れましたが、国の重要文化財です。桑名の御料材や、東京から建材を取り寄せているそうです。ここには、大隈重信や、山県有朋なども訪れたといいます。また、池庭は、宮内省の技師小平義近を招いて設計し、琵琶湖を模した作りになっています。
御殿に向かって左には、もう一棟、和室の建物があります。御殿玄関と
御殿をつなぐ位置にありますので、控えの間か何かなのでしょう。床の間も付いていました。その近くに立つ灯籠も、灯籠自体が、苔むしていますし、あたりの地面も苔で覆われています。なぜか私は、以前から、苔の類が気になって仕方ないのです。育ててみたいのですが、これまでのところは、うまく行っていません。
これで、庭園を一回りしてきて、御殿玄関前に戻ってきました。ここから
南側を見上げますと、わが家のマンションがよく見えるのです。いつも、諸戸氏庭園を借景にしているというのは、こういうことなのです。左の写真を撮ったあたりを、マンション9階のわが家の玄関前から見ますと、右の写真のように見えるのです。
さらに、この写真も、マンション9階から撮ったものですが、大きな屋根が御殿です。木々が生い茂っていますので、庭園は、残念ながら、「居ながらにして見る」ということはできません。御殿の左上に、白い建物が見えますが、これは現在の諸戸林業の本社です。この当たらしものができるまでは、諸戸氏庭園の本邸が、本社として使われていましたし、玄関には、西諸戸家三代目の諸戸精文氏の表札がかかっていました。初代の諸戸清六氏が亡くなられたあと、諸戸家は、東西の2軒に分家しています。二代目は、六華苑の方に住んだ二代目諸戸清六氏が曳地で今っす。
御殿玄関や車廻しのあたりの風景写真です。この左のものは、大門の
奥から東の方向を写してみました。紅葉と大門のコントラストが何とも言えない良い味を出しています。
ということで、ほぼ1時間、庭園内を散策してきました。撮影した写真の合計は、230枚ほどにもなります。ここには、そのごく一部しかご紹介できませんでした。
さて、今週もボチボチと地道にやることにします。明日は、理事長選挙の、教職員による意向調査(投票)です。火曜日の授業以外には、打合せが1つだけです。授業準備と、専門分野の読書などをして過ごそうと考えています。ただ、やはり、今日も屋外ではかなりふらついていましたし、足の倦怠感や、右手の小指と薬指のしびれた感じもしています。職場への往復には、十分に注意します。

































































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