2019年2月20日 (水)

久しぶりにユリカモメ25羽登場……最高気温17.3℃でぽかぽか陽気

Img_4037c 午前中はこんな空でしたが気温は高く、午後には、何と17.3℃にもなりました。3月下旬くらいの陽気ではないかと思います。朝8時半頃まで弱い雨雲がかかっていましたので、散歩に出たのは8時40分頃。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町を回って、6.1㎞。11時過ぎに帰宅。

Img_1099c 七里の渡し跡でジョウビタキのオスが出て来ました。このあたりを縄張りにImg_1104c_2 しているジョウビタキと思います。堤防から七里の渡し跡に降りてきたら、視野の端を何かが横切ったのに気づいたら、このジョウビタキでした。三の丸公園では、スズメたちの他に、ツグミが2羽。しかも、かなり接近しているのに出遭いました
。あまり見ない光景。三の丸水門では、今日はヒバリは見当たらず。
Img_1111c 九華公園のゴイサギ&ホシゴイ。最近は、クスノキより北側にあるビワの木Img_4001c にいるところを見かけます。今日も、左の写真の2羽の他にもう1羽がここにいました。いつぞや10数羽が出て来て驚いたことがありましたが、クスノキが過密になっているためなのかと考えたりしています。
Img_1190c 鎮国守国神社の社務所裏にあるクスノキには、こんな色のゴイサギがいました。お腹の辺りが茶色っぽくなっています。汚れているのか、それとも元々こういう色なのかは、不明。パッと見たところでは、ゴイサギ?と思ってしまいました。
Img_4009c 奥平屋敷跡でも、ジョウビタキのオス。七里の渡し跡からは直線距離でImg_4017c 500m以上離れていますから、上のとは別のジョウビタキでしょう。二の丸跡へ行くと、ビンズイが2羽。たまたま数mのところに出て来てくれ、ラッキー(微笑)。
Img_1138c カモは、今日は、64羽でした。二の丸堀と吉之丸堀に散らばっています。写真は、野球場の南にある吉之丸堀の様子。ハシビロガモのオス、メスとも4羽ずつ、ヒドリガモは2ペアで他はキンクロハジロ。今日は、ホシハジロの姿はありません。
Img_1153c 珍しくというか、久しぶりにというか、ユリカモメが25羽来ていました。九華Img_1172c 公園の入り口で出遭った、鳥見の大先輩Sさんが、「今日は餌をやっている人がいて、ユリカモメがたくさんいた」とおっしゃっていました。やはり、餌がもらえるとやって来るようですが、どうやって探知するのでしょう? 偵察に来ているユリカモメでもいるのでしょうか。
Img_1186c 他にもシメも2ヶ所で見たのですが、遠くてまともな写真にはなりませんでした。カワラヒワ、シジュウカラ、キジバトなどの常連はいつもどおり。写真は、本丸跡で見たハクセキレイ。貝塚公園や、内堀公園ではヒヨドリくらい。
Img_1177c 鎮国守国神社境内では、梅の花が少しずつ増えてきています。白梅も、Img_1184c 紅梅もあります。桑名藩主を務めた久松松平家の家紋が梅鉢紋ということに因むのでしょう、鎮国守国神社にはたくさん梅の木があるのです。
 
Img_1208c 帰り道、寺町商店街の河津桜を確認してきました。花はまださほど増えてはいませんでしたが、つぼみは皆かなり膨らんで来ています。今週末からもっと咲き始めるように思います。

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2019年2月19日 (火)

20190209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」(その2)……長谷神社、能部神社、後藤酒造場から星川駅にゴール(完)

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 2月9日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」のその2です。その1では、稗田で春日神社、矢部駿河の守墓碑、敷政稲荷神社跡を見てから、桑部に入って、教専寺と善徳寺の2つのお寺を見て来ました。善徳寺でスタートから2.5㎞、時刻は10時半頃。
Img_2589c 200mほどで、県道3号線に面する長谷(ながたに)神社の一の鳥居まで来Img_2593c ました。社号標には、「延喜式内」とあります。右手に忠魂碑などが見えます。これは後できちんと見なくてはと思いつつ、鳥居を潜り奥へ。すぐに右手に二の鳥居。
 

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称徳天皇(第48代、ご在位は764~770年)神護景雲(じんごけいうん)元(767)年に常陸国鹿島神宮の祭神を勧請して、桑部村谷奥長谷に祀ったImg_2604c のが始まりで、正安年間今のところに遷ったといいます。地形的に谷間にあったということでしょう。主祭神は建御雷之男神(タケミカヅチノカミ)。経津主神とともに、葦原の中つ国に派遣され、国譲りの交渉に成功し、また、神武東征においても、天皇の危難を救った神。鹿島神宮の祭神で、春日信仰の主祭神。相殿神は、斎主神(フツヌシノカミ、経津主神とも;香取神宮の祭神。天孫降臨に先立って、建御雷之男神とともに出雲に行った神)、天児屋根命(アマノコヤネノミコト;天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神。中臣(なかとみ)氏・藤原氏の祖神)、姫大神(ひめがみ;神道の女神で、特定の神の名前をさすものではありません)、品陀和気命(ホンダワケノミコト、応神天皇)、大山祇命(オオヤマツミノミコト、山の神)、天目一箇命(あまのまひとつのみこと、天津彦根命の子、桑名首の祖という)、須佐之男命(スサノオノミコト、出雲神話の祖神。天照大神の弟)。
 なお、「くわな史跡めぐり」には、「祭神は『衝立船戸神(つきたてふなとかみ;道などの曲がり角の神)』で、この付近は町屋川における船舶の標的な意味と思われる。また、朝明郡と桑名郡との郷境の意味もあったと思われる」とあります。「新桑名歴史散歩」にも似た趣旨が書かれています。しかし、神社検索(三重)では、「船運が盛んになった後世に祀られることはあるとしても当初は建御雷男之神を祀ったと考える方が正しいと思われる」と書いています。
 さらに、由緒書には、創建について、次のように詳しくありました:神護景雲年間に、藤原不比等が常陸の国(茨城県)より春日山に祭り、藤原氏の氏神として崇拝し、これが現在各地に祭られている春日神社の始まりであること、また、この建御雷之男神を勧請する時、常陸国より使者が当時交通の要所であった桑部に立ち寄った際、藤原氏の隆盛にあやかりたいと当地の有力者の懇願によってその御分霊を桑部の長谷に鎮座したが長谷神社のはじまりであること。その後、200年を経て、延喜式にも記載され桑名地方におけるもっとも由緒ある春日系の神社として崇敬されていたところ、正安年間(13世紀末)に至って、新興地として栄え始めた三崎三ヶ村(現在の桑名市街地)の有力者が、春日神を勧請した時も春日信仰の先達である長谷神社に敬意を表してその道中、桑部に一夜鎮座したとあります。これが、明治初年に至るまで、桑名春日神社(桑名宗社)の御事(石取祭)に桑部の人達が招聘され、長谷神社の協力を得てその神事が行われたと伝わっているともあります。
 明治41(1908)年に、能部神社(武甕槌男命)、須賀神社(素戔嗚命)、春日神社(武甕槌男命)を合祀しましたが、昭和56(1981)年に春日神社(東金井字西谷)、昭和54(1979)年に能部神社(能部字南貝戸)を分祀しています。
Img_2606c 文章ばかり続きました。境内社としては、こちらの八天宮社。八天宮は、Img_2608c 火伏の神。桑名・員弁地方ではたくさん祀られているそうです(こちらに言及があります。八天宮は秋葉神社と同じとも書かれています)。それは、江戸時代、文政7(1824)年、桑名藩主(松平定永公)の命で各村に八天宮を祭るようにされたからだといいます。ちなみに、阿岐葉社もあるとこちらにはあります。
Img_2618c 八天宮社の南に「忠魂義胆郷党軍人記念之碑」があります。この記念碑は、明治28(1895)年2月、桑部村大字桑部壮年会が建てています。明治28年は、日清戦争の翌年です。「従六位 東 吉貞 書」となっています。碑の形が気になります。正面から見て右上が欠けているように思えますが、そうなのかどうか、わかりません。
Img_2623c さて、一の鳥居の西側にあった忠魂碑などを見て来ましょう。向かって右から忠魂碑、日露戦役祈念碑、五箇条の御誓文碑が並んでいます。
Img_2630c まずは、忠魂碑。昭和15(1940)年1月に石原末松という方が建立しています(「桑名の戦争遺跡」による。三重県遺族会のサイトには、「桑部遺族会」とあります)。高さは、3.6m。碑陰には、支那事変(日中戦争)と大東亜戦争(太平洋戦争)戦没者83名の名が刻まれています(「桑名の戦争遺跡」による)。海軍大将・永野修身が筆を執ったもの。永野(明治13(1880)~昭和22(1947)年)は、高知出身の軍人で、海軍大将・元帥。ロンドン軍縮会議首席代表・海相・連合艦隊司令長官・軍令部総長などを歴任。
Img_2634c 中央にあるのは、日露戦役祈念碑。山本鐵太郎始め、19名の方が明治40(1907)年4月に建てたとあります。高さは2.9m。碑陰には、戦没者7名、従軍者36名の名前が刻まれており、佐治為善(さじためよし)の書となっています。佐治は、兵庫出身の軍人。陸軍少将。大佐、歩兵第19連隊長として日露戦争に出征。旅順攻囲戦に参加しています(ここにあります)。
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 向かって左にある五箇条の御誓文碑は、桑部小学校にあったものを戦Dscn5164c 後、現在地へ移したそうです(こちらに記述があります)。「廣く会議を興し万機公論に決すべし」に始まるご誓文が、五角柱に刻まれています。五箇条の御誓文の碑は、四日市の諏訪公園にもありました(2017年11月28日:またもや四日市へ……「阿弥陀さまと極楽の世界-四日市の浄土教-」を見て、鵜の森神社、浜田城跡、諏訪神社そして旧・東海道も(微笑))。諏訪公園の五箇条の御誓文碑は、右の写真のように、塚(といって良いのか?)の上に立っており、そこに上っていけるようになっていました(昭和9(1934)年に建立)。
Img_2655c あれこれ書きましたが、長谷神社滞在は、10時35分から10分ほど(微Img_2667c 笑)。西側の参道、鳥居を見て、桑部の町の中を進みます。桑部公民館の先で南に入って、さらに少し先で西へ。このあたりで3㎞を過ぎ、正和郵便局付近で4㎞。このあたりは、しばらく前に開発された、当時の「新興住宅団地」です。右の写真は、正和郵便局を過ぎて、東名阪自動車道に向かう坂道。
190209kintetsuhikingrengeji2 実測ルートマップは、その2になります。正和郵便局のところから、正和台Img_2669c という、住宅団地。知人がお住まいですが、団地の中を東名阪自動車道が通っています。東西の境がこの自動車道でないところが微妙。知人の話では、自治会や老人会の活動でちょっと困るそうです。余談はさておき、東名阪自動車道をくぐっていきます。
Img_2672c すぐそこに能部(のんべ)神社があります。創立は不詳。能部村には春日神社(村社)、無格社、山神社、八幡宮社、白山神社が鎮座していたものを、明治40(1907)7月、八幡宮境内(現在地)に移し、合祀。「能部神社」となりました。能部神社は、さらに明治41(1908)年3月、長谷神社(先ほど参拝してきたところ)に合祀となりました。終戦後、氏子の総意により、昭和57(1982)年3月、大字能部の旧社地に分祀されています。
Img_2675c 主祭神は、建御雷之男神(タケミカヅチノカミ;由緒書きには、武甕槌命となっていますが、同じ)。相殿神は、大日孁貴命(オオヒルメノムチノミコト、天照大神の異称)、素盞嗚尊(スサノオノミコト)、品陀和気命(ホンダワケノミコト)、大山祇命(オオヤマツミノミコト)、菊理姫命(くくりひめのみこと;黄泉国からにげる伊奘諾尊が伊奘冉尊とあらそったとき、二神の主張を聞きいれ、助言した神。石川県白山比咩(しらやまひめ)神社の主祭神)。
 本来であれば、どうしてここにこれらの神様がいらっしゃるかまで考察できると良いのですが、まだまだそのレベルに至っていません。
Img_2685c 能部神社でスタートから4.5㎞でしたが、桑部に入ってからけっこう坂道もあって、たくさん歩いたような気がします。東正和台、西正和台と歩いて、正和台西公園で5分ほど休憩。赤尾台の団地の東を下って、西へ。正面に西南山浄光寺(浄土真宗本願寺派)が見えますが、酒蔵がもう目の前ですし、寺までは2~300mくらいありそうでしたのでパス。写真の右手に「桑名の地酒 青雲」という幟が見えていて、そちらの方が誘因力がはるかに強かったのです。いうまでもなく、信心が足りません(苦笑)。ちなみに、浄光寺は、創建は不明ですが、織田信長の伊勢長島の一向一揆により、一度途絶えた(​1573年)というくらいで、由緒あるお寺です。当初は、真言宗でしたが、明応5(1496)年、蓮如上人の時代に浄土真宗に改宗。18世紀の終わりに再興されています。員弁郡野田村にあったのですが、度重なる水害にあい、文化2(1805)年に、現在地(桑名市赤尾)に移って来ました。
Img_2694c 11時25分にようやく後藤酒造場に到着。スタートしたのが、9時55分ですから1時間半、5.7㎞。酒蔵みてある記ですから、大賑わい。皆さんほとんどの方は、ここでの試飲、即売品の購入が目的と思います。。灯街道のイベントで、青雲を飲んで以来、一度来て見たかったところです(2017年4月2日:改めて灯街道・桑名宿のイベントを見てきました(4/1)、2018年4月7日:
風雨をついて、灯街道・桑名宿イベントへ……「青雲 樽酒」をゲット(笑))。1年前のハイキングは参加できませんでしたので、ようやくということ(微笑)。なお、お断りしておきますが、私、決して大酒飲みではありません(微笑)。
Img_2704c 無料試飲は、青雲の大吟醸。三重県産山田錦100%、アルコール分は16~17度。何と形容すべきか、果物のような香りがしますし、なめらかで飲みやすいのに、コクがあるという感じ。これ、堪りません(微笑)。
Img_2707c 「大酒飲みではない」と書いたものの、もう一つ、有料試Img_2708c 飲の方も気になりました。1杯100円でありましたので、ナイショで(誰に?)、「久波奈」を1杯。いずれも三重県産の山田錦と、神の穂が減量。特別吟醸で、醸造用アルコールは添加されていません。アルコール分は15~16度。青雲とは異なりますが、果物の香り。「マスカットを思わせる」とありましたが、そこまでの判別はできません。のどごしは、青雲に比べ、こちらの方が柔らかくて、飲みやすい。2口でいただいてしまいました(もったいない)。
Img_2713c 恒例の土産は、地元の酒造場ということもあって、特別に(笑)2種類。1Img_2834c つは、「青雲 しぼりたて生酒」。720ml入り、¥1,300。冬季限定で、アルコール分19~20度。「冷やのままお召し上がり下さい」です。
Img_2844c もう1種類は、「北勢線 応援酒」と銘打った「嘉例川(かれがわ)」。「嘉例川」は、近くの地名。嘉例川地区で栽培された酒米・五百万石でつくられています。有料試飲で出ていましたが、試してきませんでした。「爽やかで軽い旨みの純米酒」だそうです。アルコール度数は16。
Img_2697c 甘酒の振るまいもありましたので、もちろんいただいてきました(微笑)。Img_2698c 酒蔵によって微妙に味が異なることや、どういう酒の酒粕を使っているかによっても違うことは分かりますが、それを言葉にできるほど繊細な舌および文章力はありません。
Img_2716c 飲食ブースも出ていました。ちょうど小腹も空いていましたので、桑名のImg_2715c とらや饅頭が売っていたみたらし団子を1本。¥100。小声でいいますが、私的には、郷里の「天王の団子屋」のみたらしがベスト。
Img_2652c この日のハイキングでは、桑名市観光協会提供の「お楽しみ抽選会」もImg_2692c ありました。コースマップに付された番号で抽選となります。私のものは、#43。しかし、酒粕(下一桁2、6が当選)も当たらず、残念。う~ん、外れても、ポケットティッシュくらいくれても良いのにと思います。それに抽選会場には、無愛想なオッサンが二人。あちこち回って比べてみて、はっきり書けば、桑名市も、観光に力を入れるなら、もっと気合いを入れて、サービスしないと。やる気があるのかと思えてしまいます。
Img_2722c これでこの日のハイキングは、コンプリート。「一人宴会」はせず(微笑)、滞在20分でImg_2729c ゴールの三岐鉄道北勢線・星川駅に向かいます。後藤酒造場から県道26号線に降りてきました。星川駅には、この道をまっすぐ行って、坂井橋を渡るのが最短ルートですが、あいにくこの道には歩道が整備されていません。「交通事故を招く恐れがある」ということで、1本東の水田地帯の道がコースに指定されていました。確かに、この道の方がのんびり、ブラブラ歩けます。ほろ酔い加減ですから、賢明な配慮。
Img_2734c 正和中学校の前を通って、員弁川の右岸の堤防に上がります。中学校Img_2736c の前でスタートから7㎞。この日は、土曜日でちょうどお昼でしたから、部活から帰る中学生たち多数。右の写真、前方に見えているのが坂井橋。これを渡ったすぐのところがゴール。
Img_2761c 星川駅には、12時15分にゴール。スタートから8.0㎞でした。西桑名行き190219kintetsuhikingrengeji3 は、星川駅が見えたところで出発していってしまいました。次は、12時41分発。幸い、隣に三洋堂星川店があります。ここはよく来る本屋ですから、そこで時間つぶし。赤尾の水田地帯から、正和中学校を経て、星川駅までの実測ルートマップは、右の通りです。
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Img_2766c 12時41分の西桑名行きに乗車。帰りは、三岐カラーのナロー電車です。ガタンゴトンとゆられ、西桑名には12時56分に到着します。停車駅は、在良、蓮花寺、西別所、馬道、西桑名。
Img_2784c 三岐鉄道北勢線は、在良から西桑名に向かうあたりは、桑名の市街地を走ります。民家の庭先というか、軒先を通っていくようなところもたくさんあります。次に、動画を載せておきます。あまりよく撮れたものではありませんが、ご容赦を。
Img_2819c 西桑名駅には、既述の通り、12時56分に到着。この日の近鉄ハイキングImg_2840c への参加で、あみま倶楽部のスタンプは6個目(その後2つのハイキングに行っています)。
 近くで名前は知っていても、行ったことがないところ、あるいは、自分ではわざわざ行かないであろうところへ行けること、またそれなりに歩くことができるというのが、こういうハイキング/ウォーキングの楽しみです。ボチボチと続けましょう。近鉄ハイキングでは、3月以降、「お伊勢さん参り」ハイキングという12回シリーズが始まります。これは、何とかすべてに参加したいと思っています。

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2019年2月18日 (月)

20190209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」(その1)……春日神社(稗田)、矢部駿河の守墓碑、敷政稲荷神社跡、教専寺から善徳寺へ

 2月9日に行ってきた近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」のその1です。10日近く経って、ようやくここまで到達しました(苦笑)。去年も同じような企画があり、後藤酒造場を訪ねてみたかったのですが、予定が合いませんでした。

Img_2459c 近鉄ハイキングではありましたが、受付は、三岐鉄道北勢線・蓮花寺駅でしImg_2464c た。徒歩で三岐鉄道西桑名駅へ。北勢線は、JR・近鉄桑名駅の南にある西桑名駅からいなべ市北勢町の阿下喜駅まで20.4㎞を結んでいます。日本では数少なくなった一般的な営業を行う762mm軌間のナローゲージの鉄道路線の1つで、鉄ちゃんには有名。大正3(1914)年4月、大山田(現在の西桑名)~楚原間14.5kmが開業したことに始まります。軽便鉄道の名残です。三重県内には、四日市のあすなろう鉄道も、ナローゲージです。
Img_2468c 電車もご覧の通り、ミニサイズ。西桑名駅を9時40分に出る楚原行きに乗車。蓮花寺までは8分、¥170。乗車した電車は、レトロカラーにペイントされています。調べてみると、もとは三重交通モ4400形電車です。北勢線開業100周年記念(2014年)に作られた旧北勢線の復刻カラーとして、三重交通であった時代の塗装になっているのです。これに乗るのは初めて。
Img_2472c 車内はこんな感じで。ロングシートの間も狭い。足が長い人同士が向かいImg_2475c 合って座ったら、つかえそう。ちなみに、小生は大丈夫(胴長短足の典型的日本人体型なのです)。
Img_2486c この日のコースマップ。蓮花寺駅をスタートして、長谷神社、後藤酒造場で酒蔵見学、三岐鉄道・北勢線・星川駅がゴールという約8㎞のコース。ホームページには載っていなかったのですが、矢部駿河守の墓碑(薬師堂)も立ち寄り先になっていました。これら以外にも、稗田で春日神社(石取祭のある桑名宗社とは別)、桑部では2つのお寺、さらに、能部神社もコース沿いにあって立ち寄って来ました。
190209kintetsuhikingrengeji こちらが実際に歩いた実測ルートマップ。桑名の上水道の水源である員弁川の南側を歩いています。桑部など古くからの町や、正和台という、少し前の新興住宅地を通ります。実際に歩いたのは、7.9㎞。員弁川(町屋川)を、桑部橋と、坂井橋の2回、渡ります。ゴールの星川駅の隣には、三洋堂星川店、さらに、時々買い物に出かけるMEGAドン・キホーテUNY星川店(以前は、ピアゴ星川店)があります。土地勘はあるようなないような、微妙な地域。
Img_2487c スタートの蓮花寺駅(れんげじと読みますが、地元では、「れんげいじ」といわれています)。受付は10時からでしたが、着いた時(9時48分)にはすでに数10人の方が並んでいました。酒蔵みてある記は、やはり人気。コースマップを受け取り、あみま倶楽部の会員証に捺印してもらって、歩き始めたのは、9時55分。
Img_2495c 蓮花寺駅を出てすぐ、市立在良小学校のところで、横断歩道橋を渡り、Img_2498c 西別所地内から、稗田へと進みます。ここで、年末の近鉄ハイキング(2018年12月8日:20181208近鉄ハイキング「千年の歴史を、あるこう 伊勢西国三十三所観音巡礼 四日市の古刹・宝性寺から街中の禅寺・長興寺へ」(予告編))で顔なじみになった男性と遭遇。四日市の富田にお住まいの男性と遭遇。近鉄益生駅から歩いてきたとおっしゃり(3㎞弱あります)、ビックリ。さらに、帰りは、後藤酒造場から歩いて帰宅する積もりだとも! 伊坂ダムなどちょっとした山を越えて、直線距離でも5㎞はあります。いろいろな方がいらっしゃいます。
Img_2502c  スタートして800mほど、桑名市稗田にある春日神社。石取祭で有名な春日神社(桑名宗社)とは別です。創祀は伏見天皇(在位1287~1298)以Img_2504c 前とされます。奈良の春日神社より、春日神社(桑名宗社;中臣神社の方です)へ分祀される時、この春日神社に小休があったといいます。そのための仮殿から始まったのでしょう。御祭神は、建御雷之男神(たけみかづちのかみ;鹿島神宮の祭神。伊弉諾尊が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生した神)、斎主神(経津主神(ふつぬしのかみ)、刀剣の神格化された神。建御雷神と共に,高天原からの最後の使者として出雲に派遣されて、大国主命に国譲りを承知させた)、天児屋根命(あめのこやねのみこと;天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)、姫大神(特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すもの)。
Img_2508c 境内にはもう一つお社がありましたが、何も説明はなく、不明。「第10回北勢線の魅力を探る~お地蔵さんを巡って、酒蔵へ~ 」を見ると、伊奈利社かも知れないと思います。詳しい方でしたら、お社の形から何系の神様かお分かりになるのかもしれませんが、まだそこまで勉強が至っていません。
Img_2510c 神社の隣の空き地には金ピカの仏像などがあります。こImg_2512c れも気になります。グーグル・マップなどを見ても、何も記載されていません。空き地の中央には、これは卒塔婆といって良いのでしょうか、「南無妙法蓮華経 奉」と書かれています。その下には、仏像が刻まれた板。裏側を見てくると、何かわかったかもしれません。ネットの検索では、限界があります。現地でよく見る、地元の方がいらっしゃれば聞いてみることが必須でした。
Img_2514c 春日神社のすぐ東辺りのお宅の玄関の屋根にこういうものが飾られていました。ハトをかたどったものです。私は初めて気づいたのですが、検索して見ると、こういうハト飾りをつくっている瓦会社もありました(タツミ)。ハトは、八幡神の神使とされてきたといいます。八幡神は軍神ですから平和とは結びつかず、武士の家紋ともなったそうです(Wikipediaの説明を参照)。「平和のシンボル」というのは、戦後入ってきた西洋的な価値観の影響。こういうハト飾りは「無病息災 子孫繁栄 招福の象徴」と書いているブログもありました(こちら)。このあたりで1㎞ほど。
Img_2522c 春日神社の先でグルッと回ると、薬師堂があります。正式には、宝増山薬王寺。室町時代に天台宗の寺院として建立されましたが、織田信長の北勢侵攻の際に焼失し、その後、江戸時代に法華宗に改宗してこの地に移転したと伝えられています(こちら)。
Img_2526c この薬師堂の境内に「史蹟矢部駿河守埋葬之地」という石碑があります。矢部駿河守定兼(寛政元(1789)~天保13(1842)年)は、江戸後期の旗本。天保12(1841)年、江戸南町奉行となりました。住民には思いやりのある名奉行だったものの、老中水野忠邦天保の改革を断行した老中)と対立。目付鳥居耀蔵(大学頭林述斎の子。甲斐守を名乗ります。旗本鳥居家の養子となった後、目付として蛮社の獄で洋学を弾圧し、老中水野忠邦の信任を得ました。天保12(1841)年、江戸町奉行となり天保改革を推進。厳しい市中取締りは江戸町人から妖怪(耀甲斐)と恐れられ、また反感を買いました)の画策により在任8カ月で罷免され、桑名藩へ永預け、改易の処分を受けました。これに抗議し、絶食して死んだといわれます(病死という説もあります)。
Img_2532c これは、石碑の碑陰の写真。「矢部駿河守定謙ハ幕府旗本ニシテ令名アリシガ天保ノ幕政改革に際シ鳥居甲斐守ノ讒ニ遭ヒ職ヲ追ハレ桑名藩ニ預ケラル、桑藩コレヲ吉之丸に置キ優遇セシガ定兼桑名着後自ラ食ヲ断チ憤死ス、顕本寺日顕上人コノ所ニ葬ル、法名隔雲院孤月日高大居士、 天保十三年七月廿四日歿、行年五十二」、さらに「小説『天保図録』作者松本清張氏ノ援助ヲ得テ建之」とあります。桑名市文化財調査委員会によって建てられたのは、昭和39(1964)年7月。
Img_2531c  矢部駿河守定兼が桑名藩に預けられてからのことについては、こちらに詳細な言及があります。天保13(1842)年7月に亡くなり、その後、顕本寺で日顯上人が葬儀を執り行い、薬王寺に埋葬されました。その後、許されて、遺族・家来が町屋川の河原で荼毘に付し、遺骨を持ち帰りました。跡地に村人がムクノキを植え、墓標代わりにしていたのですが、枯れてしまい、その跡に北勢史談会が木製の墓標を建てました(昭和25(1950)年8月)。昭和36(1961)年、作家・松本清張が訪れ、多額の寄付を寄せ、昭和39(1964)年9月、この墓碑が建立されています。松本が訪れたのは、歴史小説「天保図録」の取材のためです。「天保図録」は、天保の改革(天保年間 (1830~44) 年)を描いています。「天保図録」は1962年(昭和37年)から1964年(昭和39年)まで「週刊朝日」に連載された作品です。水野忠邦が、いわゆる天保の改革を着手する前夜(1841年)に政敵となる中野石翁・水野美濃守一派を追放した『かげろう絵図』の終わりから始まっていますが、その描くところは、商品経済の発展についていけなくなった徳川幕藩体制の崩壊プロセスといわれます。
 この「矢部駿河守定兼埋葬之地」も以前から、一度訪れてみたかったところでした。
Img_2538c 「矢部駿河守定兼埋葬之地」の石碑から、西へ3㎞半くらい。県道3号線との交差点の西に、鳥居が見えました。グーグル・マップなどを見ますと、「敷政稲荷神社」とありますが、鳥居と社号標が残るのみ。こちらのサイトに2016年12月2日づけ鳥居の写真が載っています。しかし、ネットではめぼしい情報は出て来ません。2年あまり前までは、神社としてあったと思われます。
Img_2543c このあと、員弁川を桑部橋で渡って、桑部に入っていきます。桑部橋をわたってすぐのあたりでスタートから2km。10時20分頃。桑部橋をわたってすぐに右折するのですが、直進して、コンビニ(セブンイレブン)や、コープみえ桑名センターの辺りは桑部城跡だったようです(こちらの文化財のサイトもご参照ください)。下調べが足らず、そちらには行きませんでした。
Img_2561c 桑部橋からは桑部の町へ入っていきます。200mほどで桑部小学校の北Img_2557c に至ります。昔からの町で、古い民家の壁には、昔の看板が残っています。桑名でよく見かける「結納品 宝石 羽田」、「結納 宝石 平岡」、「松岡電気」が揃っています。
Img_2563c 桑部小学校のすぐ西には、藤花山教専寺があります。浄土真宗本願寺Img_2565c 派のお寺。かなり立派なお寺なのですが、由緒書きや、説明板はありません。ネットではこれという情報はありませんし、「くわな史跡めぐり」などにも記述はありませんでした。
Img_2575c もう少し進むと、小学校の北西にも浄土真宗本願寺派の善徳寺がありまImg_2580c す。こちらも、教専寺と同じく、由緒書き葉見当たらず、また、ネット検索でも、「くわな史跡巡り」などの本でも言及されていません。
Img_2584c 善徳寺で印象に残ったのは、こちら。山門を入って右手に、戦死なさった方々の墓が多数並んでいたことです。おそらく、門徒の方で会ったと思われます。いずれにも花が手向けられ、今でも篤く供養されていることが窺われました。
190209kintetsuhikingrengeji1 ここまでの少し詳しい実測ルートマップ。蓮花寺駅から員弁川の南側に来て、歩いています。桑部橋の南にある「城山台」の辺りが、桑部城跡です。善徳寺までで約2.5㎞。その1はここまで。次は、長谷神社から。

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エナガ、今年初お目見え、そしてウメジロウに、今日は「シメ・デー」

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 朝は氷点下でしたが、日中は13℃を超え、暖かくなりました。散歩日和でImg_1087c す。寺町商店街の河津桜は、ポツポツと花が増えていますし、ほころび始めたつぼみも見られます。明日の午後から明後日の朝にかけて雨が降り、その後気温が上がるという予報ですから、今週後半にはもっと咲くと期待しています。
Img_3899c 8時半から3時間あまりも、散歩をしてきました(笑)。途中、同級生の職場の前で、その同級生と遭遇。「ちょうど良いから、コーヒーでもどう?」ということで、30分弱、あれこれ話をしてきたからです。その前にも、九華公園で知人とおしゃべり。歩く、鳥を見る他、こういう楽しみがありますから、止められません。コースはいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から京町、寺町と、5.3㎞ほど。
Img_1019c 今日はまずは、エナガ。今年初お目見えです。1羽だけが、メジロやシジュImg_1023c ウカラと一緒に行動していました。管理事務所近くや、公園の外周遊歩道の南で見かけています。いつ見ても、モフモフで可愛らしい。
Img_0985c エナガと一緒にいたメジロは、2羽。管理事務所の南で咲き始めた白梅のImg_1035c 木で、「ウメジロウ」を撮らせてくれました。鎮国守国神社にはたくさんの梅の木がありますが、九華公園のエリアでは梅の木はこれ一本。シジュウカラは3~4羽がいました。3種類とも賑やかで、少し離れたところからでもいるのがわかります。
Img_0872c 三の丸水門の下流側では、今日もヒバリが5~6羽。草の間に顔を突っ込んで、懸命に餌探しをしています。鳥たちの行動を見ていますと、春近しという気がしてきます。あとで載せますが、キジバトなど、巣材を咥えているところも見られました。
Img_0891c 九華公園では、しばらく見ませんでしたが、アオサギさんが1羽。ブロ友のひらいさん情報では、弥富のサギ山にすでにアオサギたちが集まり始Img_0957c め、巣作りの準備をしているようです。ゴイサギ&ホシゴイは、3~4羽。右の写真は、鎮国稲荷社の参道から撮ったもの。社務所裏の堀越しからは、4羽ほどいるように見えました。相変わらず、葉っぱの陰でよく見えません。
Img_0904c 九華公園内、今日は、「シメ・デー」が開催されていました。奥平屋敷跡でImg_0906c は、3羽を同時に確認。少しずつ間を置いて、採餌をしていましたので、3羽が写った写真は撮れたものの、それぞれ米粒くらいで見られたものではありません。本丸跡にも1羽がいて、やはり今シーズンは九華公園にシメは4羽滞在中と考えて間違いなさそうです。
Img_0942c カモは74羽。ほぼ、いつものメンバー。ハシビロガモはオス・メスとも5羽。5ペアということでしょう。ヒドリガモは、今日は1ペアしか見えませんでした。ホシハジロのオスが1羽で、他はキンクロ。オオバン、ユリカモメ這いませんでしたが、カルガモさんは1羽。
Img_3967c 本丸跡で、何度かジョウビタキのオスが出て来たのですが、写真はイマイチ(苦笑)。左はデジイチによるもの。超望遠コンデジでも撮ったのですが、ピンぼけばかり。
Img_1039c 貝塚公園では、初めの方にも書きましたが、キジバトが巣材にすると思われる枯れ枝を咥えているところを見つけました。内堀公園でも、キジバトが枯れ枝を運ぼうとしていました。が、止まっていた木の枝にそれが引っかかり、バランスを崩して落ちかけていて笑えました。木から落ちるのは、サルだけではなさそうです(微笑)。
Img_1050c さらに貝塚公園では、どこかからモズのけたたましい鳴き声が聞こえてきました。探してみると、このモズが警戒音を発していました。近くを見回すと、別のモズが1羽。縄張りを侵したようです。普段ならモズも、あまり近づくと逃げるのですが、このモズさん数mくらいまでいっても逃げず。「縄張り死守」という風に見えました。
Img_1065c シロハラ、今日は2羽がいました。南側のエリアと、西側のエリアと、棲みImg_1068c 分けているようです。左の写真は南側で、右の写真は西側で撮ったもの。
Img_3915c 余談であります。以前も触れましたが、事情により、九華公園に掲出していただいていたパネル「桑名の東海道」(2018年9月27日:九華公園のパネルを「桑名の東海道」に変えていただきました……トビと、桑名七里の渡し公園拡張工事のお話しも)は、取り外してもらいました。写真に写っている地図だけはしばらく残っています。この先、今の見通しでは、パネルの再掲出はありません。

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20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(その3)……笠寺一里塚からわずかに東海道を歩き、七所神社へ、粕畠公園で弁当を食べ、笠寺駅にはほぼ3時間でゴール

 2月3日のJRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」も、その3となり、今回でゴールの見込みです。

190203jrwalkingkasadera2_2 その2の最後にも載せた、この日のウォーキングの実測ルートマップの後半部分。見晴台考古資料館のある笠寺公園の入り口でほぼ4㎞。公園を出て南下し、4.8㎞のところに次の目的地である「笠寺一里塚」。ここは、再び、旧・東海道。
Img_1806c こちらが、笠寺一里塚。名古屋市内には、かつて9ヶ所の一里塚があったそうですが、現在残っているのはここのみ。徳川幕府は、慶長9(1604)年、日本橋を基点に東海道をはじめ主要街道に一里塚を築きました。36町を一里(約4㎞)とし、一里ごとに土を盛って塚を築き、その上に木を植えて目印としました。ここも、かつては、一対の塚で、道を隔てた南側に大正時代まで塚があったそうです。江戸・日本橋からは、88里にあたります。この一里塚の上にはエノキが植えられています。写真は、南側から撮っています。向かって右の道からここへ来ました。塚に向かって左が、旧・東海道。
Img_1803c 一里塚跡は、県内の旧・東海道沿いで、朝日町(縄生)や、四日市市(富Img_1811c 田、日永)で見たことがありましたが、塚そのものが残っているのは、初めて見ました。ここから、わずか70mほど、また東海道を歩き、笠寺精治寮病院の手前で、右折。ちょっと大回りして(たぶんコース設定上、ある程度の距離を歩くようにするためでしょう……笑)、七所神社へ。
Img_1816c 住宅街を通って、スタートから5.7㎞。七所神社(ななしょじんじゃ)。御祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)、須佐之男尊(すさのおのみこImg_1822c と)、宇賀魂命(うがみたまのみこと)、天穂日尊(あめのほひのみこと;天照大神の子。天孫降臨に先立って、葦原の中つ国に遣わされたものの、大国主命に味方して復命しなかった)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父。天照大神と素戔嗚尊が誓約(うけい)をしたときに生まれた神)、乎止与尊(おとよのみこと;天火明命の子孫で尾張氏の十一世。尾張国造となった)、宮簀比売尊(みやずひめのみこと;日本武尊の妃。尾張の豪族の娘)の七柱。そのため、七所神社と呼ばれます。
Img_1832c 天慶3(940)年に、平将門の乱を鎮める祈願のため、熱田の宮の神々をImg_1844c 勧請したと伝わっています。確かに、御祭神は、熱田神宮に関わりが深い神様が多くなっています。将門の乱は、平安中期、関東に起こった内乱です。平将門は、天慶2(939)年、常陸・下野・上野の国府を占領し、一時関東を支配下において新皇を称したのですが、天慶3(940)年、平貞盛・藤原秀郷らに討たれています。同時期に瀬戸内海で起こった藤原純友の乱とともに承平・天慶の乱という。
Img_1838c 下調べをしたところ、七所神社には熱田神楽の正統を継承してきた「神楽師の碑」があるということで見て来ました。熱田神楽は、愛知県の尾張・西三河地方に伝わる巫女神楽の一種で、熱田神宮内で行われていたものがこの地域全体に広まったのだそうです。碑表には、「熱田神楽師 宗家 荒川関三郎師 稲熊代三郎師 壽碑」とあります。昭和27(1952)年の建之。この年、荒川関三郎氏は56歳、稲熊代三郎氏は58歳でした。碑にある荒川関三郎(あらかわせきさぶろう、明治30年生まれ)は、4代目宗家を名乗り、多くの弟子を育てたそうです。碑陰の文章は、次のリンク先にあります:神楽師の碑
Img_1852c これで、コースマップに示された回るところはすべて制覇。時刻はちょうどImg_1866c 正午。七所神社の西に粕畠公園があり、目の前を名鉄名古屋本線が通っていて、電車も見られましたので、ここで昼食としました。名鉄は、高校から大学院まで通学に9年間お世話になりましたから、いささかの思い出や、思い入れがあります。
Img_1871c 実は、もっと時間がかかると思って、朝、桑名駅の駅ナカファミマで弁当をゲットして来たのです。「いなり&おむすびセット」、税込み¥378であります。あみま倶楽部の会員は、駅ナカファミマで¥500以上購入すると、¥100引きのチケットが10枚あるのです。ハイキング/ウォーキングでは、歩くのに支障が出ないように昼は少なめに食べようと思いますが、そうすると、選べる弁当のバリエーションが限られてしまいます。ファミマでは、是非とも「ハイキング/ウォーキング用弁当」を発売して欲しいですねぇ。それも攻めて週替わりのメニューで(笑)。
Img_1878c 15分ほど休憩した後、再スタート。粕畠公園の少し先で左折、名鉄名古Img_1882c 屋本線の高架下を通って、前浜通へ。南区役所の前を通って右折し、再び、名古屋高速3号線沿いに進みます。笠寺駅には12時25分にゴール。結果的には、残り10分でしたから、わざわざ弁当を食べるほどでもありませんでした(爆)。せっかく買って行った訳ですし、ウォーキングですから、公園など空の下で食べた方が良いか、ということで(微笑)。
Img_1892c ゴールは、スタートと同じではありますが、こちら。JR東海道線・笠寺駅Img_1897c 東口。スタートからは、7.0㎞。スタートしたのが、9時半でしたから、ほぼ3時間。その9時半には、ゴール受付が始まっていましたので、右の写真の状況は、スタートの時も見ました(苦笑)。
Img_1894c JRさわやかウォーキングのスタンプは、これで3個目。たぶん去年よりハイペース。今日は、先着2,500名に新春キャンペーンとして、「笠寺駅 絵馬型駅名バッジ」(先週、伊勢市駅でもらったものと同じタイプ)がもらえるということでしたが、すでになくなっていました。前にいた男性が係の方に聞いているのが聞こえて来ました。が、「2,500人は、とっくにゴールしました。お客様で3,000番目くらいです」だそうで、残念。名古屋で開催されるJRさわやかウォーキングには、これで2回目の参加でしたが、いずれも参加者はとても多い感じです。
Img_1908c 帰りは、笠寺駅発12時28分の東海道線・岐阜行き普通に乗車。名古屋Img_1926c 駅着は、12時40分。¥200。今日は、珍しく指令があり(微笑)、「きよめ餅を買ってくるように」ということでしたので、名古屋駅で下車。ギフトキヨスク名古屋で探したものの、売っておらず、ピンチ! 「これはヤバい」と思い、「エエイッ」と思い切って、近鉄名古屋駅へ。改札を通って、駅ナカファミマへ。良かった、10個入りと5個入りとを売っていましたので、5個入りをゲット(¥600)。何となく、ここで売っていたような記憶があったのです。指令を無事コンプリートし、安心して帰宅(微笑)。今日の3時のおやつ。名古屋からは、近鉄電車。13時1分の松阪行き急行で、桑名着は、13時22分。¥440。
190203miharsidaistampc オマケは、名古屋市見晴台考古資料館のスタンプ。ハイキング・ウォーキングに行くようになってから、スタンプがあると押してきます(子どもみたいで我ながら笑えます)。このように台紙があるところではそれをいただきますし、なければ、メモを書いているコクヨのLevel Book(測量野帳)に押してきます。毎度毎度書きますが、桑名にはこういうスタンプはありません。九華公園でも、管理者の方が市にスタンプ作成を申し出て、原稿までつくって提出したのに、梨のつぶてだそうです。せっかく、東海道や、旧・桑名城など歴史・文化遺産があるのに、それを活かさない手はありません。と、ここでぼやいていても始まりませんが……。この日は、現地で7.4㎞、桑名駅往復が1.8㎞で、合計9.2㎞。よく歩きました。
 これでようやく、2月はじめのハイキングの記事が終えられました。3編に分けるほどではなかったような気もします。もう少し全体像を考えてから、個々の記事を書かねばなりません。自分でもそう思っていますが、なかなか実現しません(サボっているだけですが)。調べ始めると、ささいなことまで気になります(そうでなくても、どうでも良いことや、ささいなことが気になる質ですから)。この年になって、行動パターンを変えるのは難しいでしょうが、次からはもう少し見通しを持って、それぞれの記事を書くことにしましょう。昔はうまく行かないと、すぐにムキになったのですが、さすがにそういう傾向は弱まったと思っています。
 笠寺観音は、また平日にでも行ってみたいと思うのですが、こういうイベントでもないとわざわざ出向くというのは難しい気がします。

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2019年2月17日 (日)

20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(その2)……笠寺観音、名古屋市見晴台考古資料館、笠寺公園、きんさん桜・ぎんさん桜

 2月3日に開催されたJRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」のその2です。週末になると、ハイキング・ウォーキングに出かけていますし、確定申告作業もあり、記事を書くのが遅れています(苦笑)。

190203jrwalkingkasadera1 左は、この日の実測ルートマップのその1。その1の記事では、「旧・東海道」Img_1665c とある辺りまで来ました。名鉄・本笠寺駅の東に「笠寺西門」とあります。ここが、笠寺観音への入り口。右は、信号待ちの時に撮った写真。交差点を渡ると、歩行者専用通路になっていますし、露店も出て、大賑わいの様相。この日は節分で、豆まき。今年、笠寺観音は、恵方ではないので、さほど混んではいないだろうと思ったのですが、大外れ(苦笑)。
Img_1667c_2 笠寺西門の交差点を渡って、露店がたくさん出ているところを進み、山門にImg_1672c 至ります。右の写真が、笠寺観音の西門。西門の前辺りは、まだまだ空いていたのですが、いざ境内に入ると、とんでもない状況が待っていました。
Img_1680c それがこちらの写真。前に進めない、身動きできない……。台風や事故で電車が止まったときの名古屋駅の構内のような感じ(たとえがヘンですが、写真を見ていて、昔のことを思い出しました)。
Img_1677c 西門を入って左手、お堂の前に仮屋を建て、そこでお神楽というか、お祓いというか。このときはよく分からなかったのですが、仮屋にかかった幕には「熱田神楽 笠寺保存会」とあります。熱田神楽は、愛知県の尾張・西三河地方に伝わる巫女神楽の一種で、熱田神宮内で行われていたものがこの地域全体に広まったのだそうです(あとで訪れる七所神社にも関わります)。写真はトリミングしてしまい、写っていませんが、この手前には「白山大権現」と書かれた提灯が下がっていました。
Img_1687c このお神楽のところからが大変でした。まったく進まなくなってしまったのImg_1684c です。左の写真は、本堂前まで来て振り返って撮ったもの。並んでいる人たちがたくさんいます。これは、「豆まき祈祷」を受ける人たちの列。とてつもない時間がかかりそうでしたので、本堂にお参りするのは諦めました。
Img_1686c 笠寺観音の正式な名称は、天林山笠覆寺(りゅうふくじ)。真言宗智山派の寺院。尾張四観音の一つである他、尾張三十三観Img_1718c 音、名古屋二十一大師やなごや七福神などの霊場の札所です。ご本尊は、十一面観音。聖武天皇の天平8(736)年、呼続の浜に流れついた流木に禅光上人が十一面観音像を刻んで安置し、小松寺と称したのが始めといわれます。その後1世紀以上を経て、堂宇は朽ち、観音像は雨露にさらされるがままになっていたのですが、旅の途中で通りかかった藤原兼平藤原基経の子、875~935年)が、雨の日にこの観音像を笠で覆った娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫(たまてるひめ)と名付け、妻としました。この縁で兼平と姫により現在の場所に観音像を祀る寺が建立され、笠で覆う寺、即ち笠覆寺と名付けられたといいます。笠寺の通称・地名等もこの寺院名に由来するそうです。
Img_1714c  さて、本堂前は大賑わいで、きちんとお参りしようと思うと、先ほどくぐってきた西門または仁王門(左の写真、後で寺の南に回って撮ったもの)から並び直す必要があります。この賑わいでは、とてつもなく時間がかかりそうでしたので、早々に諦め、境内にあった玉照姫を祀ったお堂にだけお参り。
Img_1696c_2 こちらがその玉照姫と藤原兼平公を祀ったお堂である玉照堂。「玉照姫・藤原兼平公ご夫妻」という幟や、「親子、兄弟、姉妹、恋人、友人 えんむすぎ縁結びの柱」と書かれた幟が奉納されていました。本堂にはお参りできませんでしたが、この混雑ではやむなしと思い、玉照堂の先で南へ(右折)。そのため、芭蕉句碑(千鳥塚「星崎の闇を見よとや啼千鳥」、春雨塚「笠寺やもらぬ岩屋も春の雨」)、宮本武蔵の碑などは見ませんでした(ここを参照)。
Img_1705c 境内の南東、仁王門の東辺りにあった笠寺稲荷と、辯才天にはお参りしImg_1710c てきました。辯才天は、水の守護尊。技芸の守護尊でもああります。このほか、この辺りには、鐘楼や、白龍社もありました。このあと、上に載せた仁王門の賑わいを撮って、次へと思ったものの、「JRさわやかウォーキング」の矢印が見つかりません。警備員の方に伺ったところ、少し戻って、鐘楼とお稲荷さんの間に看板があると教えられ、笠寺観音に心残りを抱きつつ、名古屋市見晴台考古資料館へ。
Img_1725c 笠寺観音からほぼ東へ一直線。笠寺公園のある台地に名古屋市見晴台考古資料館があります。ここは、見晴台遺跡(みはらしだいいせき)と呼ばれ、弥生時代後期を中心とした環濠集落の跡です。資料館には、見晴台遺跡に関する史料の展示や、調査研究を行っています。毎年、市民参加で発掘作業も行っているそうです。
Img_1741c 資料館の南に「住居跡観察舎」という建物がありました。これは是非ともImg_1751c 見なくてはなりません。弥生時代の竪穴住居跡をご覧いただけます。実際に現在の施設が建っている場所を発掘調査した際にみつかった遺構を、特殊な樹脂で固めて剥ぎ取り、遺構に砂をかけ埋めもどした後に、ほぼ同じ場所にかぶせたものだそうです。
Img_1760c 住居跡観察舎を出て、笠寺公園内を歩くと、資料館や観察舎の裏手(東Img_1762c から南東)にかけて、「笠寺公園高射砲砲座(かさでらこうえんこうしゃほうほうざ)」があります。左右の写真は同じところです。太平洋戦争中、ここには高射砲陣地があり、これは、高射砲を据えていた砲台の跡。6基あったもののうち、2基が残っています。
Img_1765c こちらは、少し離れたところにあったもの。向かって右側に残っているもImg_1770c のは、説明によれば、砲側弾薬庫(ほうそくだんやくこ)というもののようです。愛知県は軍需工場と熱田神宮があるため、いくつかの高射砲陣地が造られ、また、本土防空は陸軍の担当なので、笠寺陣地は陸軍の施設であったといいます(こちらによる)。なお、見晴台考古資料館には、この陣地から見つかったという、アメリカ軍爆撃機B29のジュラルミン破片が常設展示されてていました。
190203jrwalkingkasadera2 笠寺観音を出てからの実測ルートマップです。見晴台考古資料館を出て、反時計回りに歩きました。公園のマークやその近くに高射砲砲座跡があります。そこから少し北に行くと、きんさん桜・ぎんさん桜。さらに公園の台地から降りて、時計回りに1/3一周ほど歩いて南に向かいます。
Img_1779c きんさん桜・ぎんさん桜がこちら。「きんさん・ぎんさん」は、双子の長寿のImg_1784c 姉妹で有名になり、親しまれた方。故成田きんさん(享年107)、故蟹江ぎんさん(享年108)。生前、お二人は名古屋市南区にお住まいでした。これらの桜は、もとは平成12(2000)年に、南区役所新庁舎の完成を記念し、岐阜県根尾村(現在の本巣市)から植樹された淡墨桜です。その後、平成25(2013)年に「健康と長寿」の象徴としてより親しまれるよう、ここ笠寺公園に移されています。
 きんさん桜・ぎんさん桜のところでスタートから4.2㎞ほど。時刻は、11時20分を過ぎていました。そこで、笠寺公園を出る前に、小休止。記事も少し短めではありますが、その2はここまで。

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ジョウビタキ、ツグミ、ヒバリ……梅も、河津桜もまだこれから

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 晴れてはいますが、次第に風が強くなり、午後からは数m/sという強い風。今日も、近鉄ハイキングはあるのですが(酒蔵みてある記 水郷蟹江散策と山田酒造「醉泉」・「最愛」)、一休み(微笑)。いつものコースを8時20分から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、寺町と5.7㎞。三の丸水門のところで、散歩で知り合った男性から誘われ、お宅にお邪魔して、コーヒーをご馳走になって来ました。正月に、初日の出、大漁旗の写真を差し上げたのですが、「きちんと飾ってあるので、見に来て」ということです。御年87歳でいらっしゃるのですが、一人暮らしで、身の回りのことはほとんどご自身でやっておられます。食事も三度三度つくっておられるという立派な方。
Img_0757c ほとんど証拠写真ですが、ジョウビタキのオス。この男性のお宅の前に来まImg_3859c した。このお宅の庭にもよくやって来るようで、ちょっと羨ましい。ツグミは、三の丸公園にて。その他、七里の渡し跡では、コガモ15羽とオオバン。
Img_0767c 三の丸水門の下流側の土手には、今日もヒバリたちが4羽。ようやくうまく接近できるようになりました。先週のハイキングでは(2月10日:20190210近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ……早川酒造部で楽しんで「完」)、朝日町内の水田で揚げ雲雀を見ましたが、ここではまだ。
Img_0782c コーヒーをいただいていましたので、九華公園到着は9時45分。ゴイサギ&ホシゴイ、今日はほとんど見つけられませんでした。ゴイサギが2羽、飛来して、1羽はビワの木、もう1羽はクスノキに降りてきました。これだけです。
Img_0805c
 カモは68羽でした。ハシビロガモはオス、メスとも5羽ずつ。ヒドリガモのペアは2組。他はキンクロハジロ。今日は、珍しく餌をやる人がいて、大騒ぎ。よく見たら、ユリカモメが3羽混じっていました。年が明けてからは、本当に滅多にこなくなっています。
Img_0789c 時間も少し遅かったせいもあるのか、他の鳥は少なめ。ツグミは奥平屋Img_3883c 敷跡で。シメは、3ヶ所で目撃(奥平屋敷跡、本丸跡、鎮国守国神社境内)。右の写真は、本丸跡にて撮ったもの。たぶんこれらの3羽は別の個体と思います。
Img_0826c シジュウカラは、本丸跡にて。電柱を支えているワイヤーに止まって、鳴きながらせわしなく、姿勢を変えているところ。すぐ下まで行ったのですが、しばらくは逃げませんでした。近くにもう2羽。
Img_0797c 鎮国守国神社の梅は、少しずつ花が増えてはいるものの、見頃はまだ先。来週くらいでしょうか。あの「ウメジロウ」を狙ってはいるのですが、なかなかメジロが来てくれません。今日は、ツグミが梅の木にいたので渡来したのですが、ピンぼけばかりで残念。
Img_0849c 貝塚公園も静かでした。ヒヨドリ、カワラヒワの他にいたのは、シロハラ1羽だけ。貝塚公園でも、白梅が少し咲いてきています。
Img_0851c 寺町商店街の河津桜の並木、花が付いているのは、4本の枝のみ。つぼみは十分膨らんで来ています。通う~水曜にかけて雨が降った後、かなり暖かくなるという予報ですから、今週末くらいにはもっと咲くかと期待しています。

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2019年2月16日 (土)

20190216近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 銘酒『鈿女』伊藤酒造と智積養水をたずねて」(完)

 今日は(も)、近鉄ハイキングに行ってきました。昨年もこの時期に開催されましたが、「酒蔵みてある記(踏破賞対象)銘酒『鈿女』伊藤酒造と智積養水をたずねて」です。コースは、まったく同じでした。

Img_3617c スタートは、近鉄湯の山線・高角駅。9時50分から受付でしたので、桑名駅を9時1分に出る五十鈴川行き急行に乗車。四日市駅には9時14分に到着。9時半の湯の山線・湯の山温泉行きに乗り換えて、高角駅には、9時41分に到着。¥420。今回も酒蔵みてある記ということもあってか、大賑わいでした。
Img_3613c これが本日のコースマップ。昨年と変わりありませんでした。高角駅を出190216kintetsuhikingtakatsuno て、一生吹山を登り、毘沙門天に参拝。東名阪自動車道をくぐって、大師堂、椿岸神社、智積養水、西勝寺と回って、伊藤酒造で酒蔵見学。ゴールは、湯の山線・桜駅です。マップ上は約6㎞となっていますが、実際に歩いたのは、4.6㎞でした。
Img_3622c 高角駅からは、上述のように、一生吹山 を登ります。「登ります」と書きましたが、最初はゆるかな坂道ですが、次第にけっこう急坂になります。もらったコースマップにも「急な上り坂」と書いてあります。去年もけっこうキツかったことを思い出します。今年は、腹式呼吸をして、鼻から吸って口から吐くということをすると、割りと楽に登れることを発見しました。
Img_3628c 頂上にある毘沙門天には、9時50分に到着。スタートからほぼ1.5㎞。暖かくImg_3640c て、かなり汗ばみましたので、マフラーを外し、着ていたものを1枚脱ぐくらい。参拝し、境内を見て回りましたが、去年気づかなかったのは、百度石くらいでした。詳細は、割愛します。去年のハイキングの時の記事は、末尾にリストを示しておきますので、ご興味がおありでしたら、それらをご覧ください。
Img_3646c 昨年は、毘沙門天にいる頃から空模様があやしくなり、下り始めたら、雨模様になり、参りました。今年はそういうこともなく、その意味では楽でした。
Img_3649c_2  ほぼ下りきって、東名阪自動車道の高架をくぐったところには大師堂があります。江戸時代末期、一生吹山山麓の開発が行われ、「雨池」をつくり周囲を灌漑しました。ここは、地形上も、豊富な清水が湧き出すところで、この水が永遠に絶えん事を祈って、昭和の初め頃、弘法大師を祀り、今に受け継がれているとあります(こちらを参照)。写真をきちんと撮りませんでしたが、大師堂の右奥に「掘り抜き井戸跡」がありました。
Img_3660c 大師堂でスタートから2.3㎞。そこから桜の町を1㎞ほど歩いて、椿岸神社へ到着。主祭神は、天宇受売命(アメノウズメノミコト)。その他、相殿神がImg_3665c 多数いらっしゃいます(詳細は、昨年のその2をご覧ください)。ここも境内を見て回り、境内社などにお参りしてきましたが、去年見落としたところはありませんでした。
Img_3731c 椿岸神社のすぐ北西に桜岡山西勝寺。浄土真宗本願寺派。山門の前をImg_3737c 智積養水が流れています。桜郷土史研究会では、「1504(永正1)年、教尊法師、智積に一宇造立。(桜岡山西勝寺)」とあります。建物は、安政の大地震で倒壊後、再建され現在に至っているといいます。境内には、「引石」が残っています。「生水川(しょうずがわ;現在は矢合川)」にかかっていた石橋には欄干がなく、増水時には渡るのがかなり危険だったそうです。そこで、寛政7(1795)年、この「生水橋(しょうずばし)」の両岸に、石柱を一本ずつ建て、その間に綱を張って手すりとしたといいます。この石柱を当時の人々は「引石」と呼んだのです。
Img_3718c 西勝寺の山門前に智積養水(ちしゃくようすい)が流れています。江戸時Img_3724c 代に敷設された灌漑(かんがい)施設で、隣町の三重郡菰野町神森にある湧水池・蟹池の水を智積町に引き入れています。その全長は1,784m、幅は1~2mあります。昭和の高度成長期には生活排水が流れ込んだりしたそうですが、住民の努力により、清流が戻り、昭和60(1985)年には、環境省選定の「名水百選」に選ばれました。そのプロセスで鯉の放流も行われ、現在に受け継がれています。
Img_3722c 去年は見なかったと思いますが、今日は、かなり大きく、立派な体格をした色とりどりの鯉が悠然と泳いでいました。ちなみに、用水ではなく、「養水」と表現するのは、水田を潤し人々を養う惠(めぐみ)の水という意味だそうです。
Img_3766c ここからは、伊藤酒造も近いのですが、去年見忘れた「延福寺跡」を確認してきました。その場所は、椿岸神社から道路(西勝寺の前の道路)を挟んだ西。現在は、智積公会所になっているところでした。「公会所」は、公民館あるいは地域の集会所のようです。建物の前に説明板があります。
Img_3762c 創立年月は不詳ですが、古文書の記述からは、長禄2(1458)年以前のと推測されています。元は、ここより北東180mのところ(薬師というところ)にありました。享禄2(1529)年に戦火で灰燼に帰したのですが、翌・天正8(1580)年6月、当地の世話役(小林三郎太夫頼勝)の末子で三河国吉良庄泉念寺住持であった秀牧が帰郷した際、延福寺跡から薬師如来の仏頭を掘り出し、これに因縁を感じ、寺の再興を発願したといいます。寺は、その後、嘉永7(1854)年、大地震で堂宇は大破してしまいます。当時の庵主・小林涼心は、伊勢神戸の仏師・磯部重兵衛に本尊修復を依頼し、地元民の協力も得て、その年の10月には落慶法要を営んだものの、明治7(1874)年、廃寺となりました。しかし、明治45(1911)年、篤信者によって、この地に堂宇が移築され、臨済宗系の尼僧によって護持される一方で、地区の公会所としても使用されていました。昭和18(1943)まで尼僧によって護持されていたのですが、最後の尼僧・實道全覚禅尼が病気のため、本尊薬師如来、阿弥陀如来、釈迦誕生仏、釈迦涅槃図一幅が西勝寺に動座され今日に至っています。
Img_3792c 延福寺跡も確認でき、これで心置きなく伊藤酒造へ(微笑)。延福寺跡かImg_3770c らは400m、スタートからは4.1㎞、11時の到着。創業は、弘化4(1847)年ですから、江戸時代末。米は、「山田錦」など三重県産米。仕込み水は、鈴鹿山麓から湧き出る「智積養水」の伏流水を使っているそうです。
Img_3774c 去年と同様、酒蔵を見せていただけ、さらに発酵が進むタンクも覗かせてもらえました。山廃仕込みのタンクです。酒のよい香り。「帽子、めがね、ケータイなどを落とさないように願います。取り出せませんから、タンクごとお買い上げいただきます」などと冗談なのか、本気なのかわからない注意を受け、緊張して覗いてきました。
Img_3783c タンクを覗いた後で試飲を1杯いただき、さらに進むと、即売会の会場。Img_3851c 買ってきたのは、去年と同じく、「鈿女 特別本醸造 生原酒」です(しぼりたて)。試飲させてもらったもの。720ml入りが¥1,200。
Img_3849c このお酒、去年も載せましたが、キャップに「生」とあり、気合いが入っています(微笑)。気合いが入っているだけでなく、癖がなく、美味しいのです。「鈿女」は、もちろん、「天鈿女命(アマノウズメノミコト)」から来ています。椿岸神社の主祭神は「天鈿女命」ですから、これに由来すると思われます。
Img_3790c 即売会を出たところで、甘酒の振るまい。大吟醸の酒粕でつくったものだそうです。これは美味しい。お代わりをする方多数でした。
Img_3810c このあと、道路を渡ってアンテナショップImg_3796c の1つ、「わみん」へ。試飲が少なかったので、「鈿女」をワンショット(微笑)。¥200なり。
Img_3804c もう一つのアンテナショップ、「慕蔵(ぼぐら)」。蔵出しの酒の試飲と販Img_3800c 売、量り売り、酒を楽しむ酒器やグッズの販売などが行われています。おちょこの良いものがあればと思って覗いてきましたが、私の気に入ったものは見つからず、残念。「慕蔵」の前で本日の抽選会の当選番号の発表。でしたが、残念ながら、今日も外れてしまいました。
Img_3797c 「青空宴会」の方多数でしたが、今日は、上述のワンショット1杯。伊藤酒造に滞在したのは、20分ほどで、ゴールの近鉄湯の山線・桜駅へ向かいます。
Img_3822c その桜駅には、11時27分にゴール。4.6㎞。去年より20分ほど早いゴールイン。次の四日市行きは、11時45分。四日市駅には、11時49分着。ここでいったん途中下車して、四日市近鉄百貨店にある丸善で本を物色したものの、先日来探している外山滋比古先生の「伝達の整理学」も、毎月購読しているBirderもなく、ガッカリ。12時28分発の名古屋行き急行に乗車。桑名駅には、12時40分着。湯の山線が¥280、四日市から桑名が¥300、計¥580。高校の大先輩である外山滋比古先生(旧制中学時代のご卒業)の本である「伝達の整理学」、丸善なら在庫があると思ったのですが、残念。
Img_3837c あみま倶楽部のスタンプは、早くも8個目をゲット。去年よりハイペースですが、息切れするといけませんので、無理せず、ホドホドにしようと思っています。
 以下は、去年のハイキングの記事のリスト。詳細は、こちらをご覧ください:

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2019年2月15日 (金)

20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(その1)

 ようやく2月3日に行ってきたJRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」の本編その1に到達しました(苦笑)。このところ、3週連続で、週末は近鉄ハイキングか、JRさわやかウォーキングに行っております。そのせいで、バックオーダー山積。現役の頃も、いろいろ頼まれたり、与えられたり、無理強いされたりして、仕事の山でしたが、それを思い出します。ぼやいていても始まりません。現役当時は、やむにやまれず頼まれ仕事を引き受けたand/or引き受けざるを得ませんでしたが、現在はすべて自己責任であります故。
Img_1465c この日は、JR東海道線・笠寺駅がスタート&ゴール。今回は、マジメにJRでImg_1460c 出かけました。桑名駅を8時38分の名古屋行き普通に乗車。名古屋駅には、9時9分着。いったん改札を出ますが、そうすることによって桑名~名古屋、名古屋~笠寺ともに近郊区間料金が適用されるのです。9時18分の東海道線・岡崎行き普通に乗って、笠寺着は、9時29分。¥350+¥200=¥550。
Img_1467c スタートは、JR笠寺駅東口。ここは、日本ガイシホール(旧・レインボーホーImg_1902c ル)の最寄り駅。ずいぶん昔、ユーミンのコンサートなどに来たことがあります。ガイシホールは、駅の西側。
190203jrwalkingmapc こちらがコースマップ。JRさわやかウォーキングでは、コースに矢印の案内が掲出されますので、マップはおおよそのものが配られます。この日訪れたのは、笠寺駅の北東側。節分でしたので、笠寺観音がメインです。笠寺駅をスタートして、富部神社、呼続公園、長楽寺から旧・東海道を少し歩いて、笠寺観音。そして、見晴台考古資料館。資料館のある笠寺公園と、そこに移植されたきんさん桜・ぎんさん桜、笠寺の一里塚、七所神社を経て、笠寺駅に戻るという、マップ上約6.8㎞のコース。
190203jrwalkingkasadera こちらは実際に歩いたルートマップ。7.4㎞でした。スタートしたのは、9時半。受付は8時半から始まっていますが、驚くことに、私がスタートする時点ですでにゴール受付をしている人たちが20~30名もいるのです。今日のマップ上の距離6.8㎞は、1時間では歩けません。この人たちには、「JRさわやかジョッギング」か、「JRさわやかランニング」だとしか思えません。それに立ち寄り先にはたぶん立ち寄らず、とにかく回って来たのではないかと思えて仕方ありません。まぁ、他人様のことはともかく、きっちりと歩くことにします。
190203jrwalkingkasadera1
 この日のコース、その1。笠寺観音は、一度はお参りしたいと思っていたお寺。今年は恵方観音ではないので、空いていると勝手に決めてかかったいたのですが、予想は見事外れ。大賑わい。コースを見失いそうになりました。しかし、これもまた楽し。
Img_1473c 笠寺駅を出て東へ。すぐに左折して、名古屋高速3号大高線の下を北に向かって歩きます。都会でのウォーキングは、三重県内で歩いているのとは、まったく景色が違いますし、参加者も桁違いという印象。900mほどいったところで右折。呼続という辺りに向かいます。名古屋市南区の北側エリアです。学生時代、名鉄電車で名古屋に通っていましたが、「呼続」という地名は何となく不思議だなと思っていました。このウォーキングを機会に調べてみたら、「『よびつぎ』は『よび・つぎ』で、よぼよぼ(よびよび)の傾斜地と平地とのつぎ目(継ぎ目)を表す地形地名で、現地はかつて『呼続浜』と呼ばれた海岸で、丘陵状の土地が平地に落ちる所につけられた地名だ』という説がありました(こちら)。鎌倉時代の笠覆寺文書にも「呼続の浦」とあるそうで、古くからある地名と考えられます。地形的には山崎川を挾んで瑞穂台地と笠寺台地の間の低地を呼続の浜と呼んでいる(ここをご覧ください)。
Img_1482c スタートして20分、9時50分頃最初の目的地、富部神社に来ました。慶長8(1603)年、愛知県津島市に鎮座する津島神社から牛頭天王を勧請したもので、「戸部天王」とか、「蛇毒天王」とも呼ばれたそうです。「蛇毒神(あるいは蛇毒気神((ダドクケノカミ)」というのは私にとっては初見。京都の八坂神社に祭られているそうで、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が変化したものとも言われています。神様の世界も奥が深い。
Img_1495c  その後、慶長11(1606)年、清洲城主・松平忠吉(ただよし)(徳川家康四男)が、病気平癒の祈願をしたところ、日ならずして快復し、その恩頼奉謝のしるしとして本殿以下拝殿・祭文殿・廻廊が創建されました。本殿は桃山建築の姿を残し、国の重要文化財に指定されています。ここは名古屋市南部の笠寺台地の上。古代、この周辺は海で、「年魚市潟(あゆちがた)」と呼ばれ、「愛知」の地名のおこりの地ともいわれます。万葉集では、「桜田に鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟 汐干にけらし鶴鳴き渡る」「年魚市潟汐干にけらし知多の浦に 朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ」と詠まれています。
 ちなみに、清洲の藩主だった忠吉がなぜここまで来て祈願したのでしょう?津島神社の方が近い気がします。
Img_1503c_2
 御祭神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)。相殿神は、田心姫命(タゴリヒメノミコト;記紀神話の神。宗像三女神の一柱。天照大神と素戔嗚尊との誓約(うけい)の際生まれた)、湍津姫命(タギツヒメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約のときに、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神)、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト;こちらも、天照大神と素戔嗚尊との誓約の時に生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の辺津(へつ)宮の祭神)、菊理媛神(ククリヒメノカミ;伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの神とされているものの、そのとき菊理媛神が何を言ったかや、出自なども不明の神様)。田心姫命や湍津姫命の名前は初めて。なぜここに宗像大社の三女神が祀られているのでしょう? わからないことがたくさんあり過ぎです。ちなみに、相殿神は明治11(1878)年に合祀されています。回廊は改築されていますが、本殿と祭文(さいもん)殿(写真のもの、拝殿はなく、祭文殿がその役割を果たしています)は造立当時のものです。本殿は一間社流造、桧皮葺で、正面の蟇股、破風、懸魚、等桃山時代の建築様式をよく伝えており、昭和32(1957)年、国の重要文化財に指定されています。
Img_1549c 富部神社でもう一つのお宝は、こちら。享保12(1727)年に造られた山車(高砂車)。名古屋市指定有形文化財。本体屋根の上に社檀(神を祀るとImg_1556c ころ)と呼ばれる屋形を飾り付け、そこに高砂尉と姥の人形が飾られていますので、「高砂車」と呼ばれています。全高8mの車楽は(鳥居よりはるかに高い!)、昭和12(1937)年まで、祭礼時(戸部天王祭)には東海道を曳行されていたといいます。現在は上部の社檀を外し、2階造の屋形の状態(全高4m)で収蔵庫に納められ、10月の大祭日に一般公開されています。この日は、特別に収蔵庫を開けていただけました。
Img_1483c 境内社もみておきましょう。まず、一の鳥居の脇には、秋葉社が祀られています。Img_1486c秋葉社が祀られた経緯その他は、神社のサイトにも説明はなく、よく分かりません。
Img_1514c 拝殿に向かって左(西)には2つのお社。1つは、八王子社と居森社。八王子社は、素戔嗚尊の八柱の御子神を祀る神社です。八王子宮、八柱神社(やはしらじんじゃ)などとも呼ばれます。また、居森社は、素戔嗚尊幸御魂(すさのおのみことさきみたま)を祀るお社で、「幸御魂」は「幸福な働き」。八柱社、居森社ともに津島神社にもあります。というよりも、牛頭天王を津島から勧請したときに一緒に来られたのかもしれません(想像です)。由緒書きには触れられていません。
Img_1517c もう1つは、富部龍王社。こちらも由緒書きにはありませんので、よく分からないというのが正直なところ。
Img_1546c さらに混迷を深めるようなものを見つけました。イチョウImg_1544c の木なのですが、右の写真のような掲示があります。「お葉つき銀杏」だそうで、茨城県笠間市にある天然記念物・親鸞上人御手植えの「お葉つき銀杏」の子木だということで、寄贈された方がその実を育て、昭和43年に寄附されたとあります。神社に親鸞聖人御手植えの銀杏というのは、ちょっと不思議な感じもします。ちなみに、お葉つき銀杏は、銀杏の変種で、葉の上に実を結ぶ、または葉上に(やく)を付けるイチョウのことをいい、全国に約20本ほどの存在が知られているそうです。
 これで富部神社も一通り見たと思って、隣の呼続公園に行ったのですが、後で調べたら、境内末社にさらに金毘羅社もあったようです(こちら)し、鳥居付近には石碑もあったようですが、いずれも見逃しました(苦笑)。下調べが不十分。
Img_1569c 富部神社の北から北西に呼続公園があります。次はこの公園内を通っImg_1576c て、神社北東にある長楽寺へ向かいます。野球場や、噴水のある曽池があります。この曽池では、バンを目撃。初見です。この曽池のほとりには、頼朝公旗かけの松があるというのですが、コース沿いには見当たりませんでした。源頼朝公が上洛の折、ここに旗を掛けて休息を 取ったといわれる松だそうです。源頼朝が上洛したのは、建久元(1190)年。その前年、文治5(1189)年の奥州征伐によって藤原泰衡を滅ぼし、10年にも及ぶ戦乱の世に終止符をうっています。ということは、800年以上の樹齢の松、どんなふうなのでしょう?
Img_1592c 呼続公園からすぐに稲荷山長楽寺(ちょうらくじ)。曹洞宗のお寺。寺伝では、弘仁Img_1631c 12(821)年に弘法大師が巡礼に訪れた際に見た夢のお告げで、呼続の浜に七堂伽藍を創建、真言宗戸部道場寛蔵寺と命名して「鎮守清水叱枳眞天」を安置したのが始まりといいます。「吨枳尼天」は、今まであまりよく知りませんでしたが、前日の近鉄ハイキングで行った円光寺にも祀られていました。右の写真は、その「鎮守清水叱枳眞天」が祀られている稲荷社。「清水稲荷大明神」とあります。その後、寺は一山十二坊を有する大寺になりましたが、文明の頃(1470年頃)に衰微してしまいます。 それを稲荷山2世の義山禅師が再興し、宗派も曹洞宗に改宗し、第1世の明谷禅師を中興の開祖として、寺名を現在の長楽寺と改めましました。
 富部神社のところでも書きましたが、慶長8(1603)年、清洲城主松平忠吉が、長楽寺境内にあった素盞鳴尊を祀る祠に病の平癒を祈願し、回復したことから、慶長11(1606)年にこの祠を東に移して富部神社とするとともに、書院、客殿等の諸堂を建てたとも伝わっています。
 ここで先に告白しておきますが、よく調べずに行ってしまったこともあり、本堂に参拝してくるのを忘れました。ウロウロしていたら、あるだろうと思ったのですが、本堂の方だけ行かず仕舞い。失態です(苦笑)。
Img_1603c 長楽寺という名前はどこかで見たことがあったと思っていたのですが、最近は、ペット・動物の火葬・葬儀・供養で有名でした(長楽寺動物霊園)。我が家の近くにも大きな看板が出ています。寺には、礼拝堂・葬儀場・納骨堂・個別仏壇(室内墓)・写真供養棚・位牌棚があり、火葬場・合同慰霊碑を併設されています。ペットロスの相談も受けているそうです。この日も、礼拝堂では、ペットの葬儀が執り行われていました。左は、盲導犬の慰霊碑。有名な盲導犬・サーブの墓もあるそうです。
Img_1594c  大木の陰になってしまっていますが、左の写真は、立木観音堂。このお堂は、平成21(2009)年に再興されたもの。珍しい名前のお堂ですが、由来があります。かつて境内には、樹齢600年余りの松の木があり、寛政10(1798)年に17世・智海和尚が、その下に観音石像を安置して霊木としていました。その後、木が枯れかかった時、一人の老人に弘法大師の夢告があり、それを基に、立木のまま十一面観世音菩薩像が彫刻されたといいます。現在は、尾張三十三観音・東海百観音の第四番霊場となっています。
Img_1637c_2 こちらは、行者堂。扁額には「役行者」とありました。詳細は不明。礼拝堂Img_1617c の隣に、老犬と犬小屋。よく分かりませんが、かなりの老犬(と見受けました)も飼われており、「勝手に散歩させないでください」とあり、微笑。
Img_1624c こちらは、予習の成果(笑)。「境内には、戦国時代に織田と今川両家の国境線であった谷が残っている」とありました。案内板などは見つけられませんでしたが、これがそうだと思います(こちらも参照。また、ここにも言及があります)。
Img_1649c 長楽寺を出たのが10時半頃。2.5㎞ほど歩きました。長楽寺から少し先Img_1650c、150~60mで旧・東海道に出ます。ここを南下、名鉄名古屋本線・本笠寺駅の手前で左折(この先も東海道)し、笠寺観音に向かいます。その1は、ここまで。

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河口堰とM池公園へ……セグロカモメ、ホオジロ、ミコアイサ、ケリ、帰りにプチ歴史散歩

Img_3355c

 天気もまあ良さそうでしたし、何より風がさほど強くないという予報でしたのImg_3351c で、プチ遠征。長良川河口堰と、弥富のM池公園へ。まずは、こちら長良川河口堰へ。8時45分到着、9時半まで。右の管理橋を往復。片道約800m。長良川右岸から、揖斐川と長良川の中洲まで。中洲には親水広場がありますが、最近また、伊勢大橋の架け替え工事が始まっています。
Img_0636c まずは、こちら。親水広場まで行って戻る途中で下流から飛んできました。セグロカモメです。いつもの散歩でも、揖斐川の下流から飛んでくるのを見ることがあります。しかし、飛びものがこんなに綺麗に撮れるのは、珍しい(微苦笑)。
Img_0610c 親水広場では、イソシギ。孵化の実験を行う水路にいました。今日はうまく気づかれずに、接近できました。
Img_0621c 親水広場から管理橋に戻る坂道を歩いていたら、中洲からImg_0626c 鳴き声。ホオジロがいました。ペアで行動しているように見えます。
Img_0587c さて話というか、時間を戻して、河口堰管理橋の、特に下流側にはカモの大Img_0591c 群。といっても、広いスペースに散らばっていますが……。途中まで数えかけて止めましたが、数100~1,000羽くらいはいるでしょう。キンクロハジロが大半でしたが、ホシハジロも混じっています。
Img_0601c 上流側には、カルガモや、カンムリカイツブリがいます。下流側に比べれImg_0596c ば、少ないのですが、カルガモは数10羽、カンムリカイツブリは10数羽。
Img_0608c 管理橋西側には、閘門がありそこへの下流側のアプローチには、アオサImg_3396c ギたち。戻るときには、コサギも仲間入り。
Img_0603c このほか、トビも出て来ましたが、こちらは撮影失敗。伊勢大橋の架け替え工事は、ご覧のように、中堤入り口交差点の近くで行われています。
Img_3491c 続いて、弥富のM池公園へ移動。9時55分から11時頃まで。もちろん、ミコアイサを確認に来たのです(微笑)。
Img_3485c そのミコアイサ、中之島の南あたりにオス7羽、メス5羽がImg_3472c 見えました。ひょっとしたらいないかとも思ったのですが、良かった。
Img_3474c カイツブリは、数組がすでにペアになっているように思われました。あちこImg_3443c ちでさえずりが響き渡っています(こちらで聞けます)。巣を作る発泡スチロール板の回りにいるペアもいましたが、さすがにまだ巣作りは早いでしょう。
Img_0709c 池の西側でモズ2羽に遭遇。オス、メスそれぞれ1羽。もう1羽いたかもしImg_3481c れません。
Img_0703c 他に見られたのは、小ガモ、ハシビロガImg_0655c モ、カンムリカイツブリ、オオバン。今日は、ヒドリガモの姿はありません。
Img_0734c 駐車場に戻ってきたら、西の水田の方からケリが飛んできて頭上を通Img_0742c_2 過。また、東側の畑では、ツグミ1羽。
Img_0721c 中之島の西で、ヌートリアに遭遇。ここではたびたび目撃しています。近くで見ていても、まったく動ぜず、餌を探しているようでした。
Img_3503c 時間があれば、弥富のサギ山もと思いましたが、すでに11時。昼までに帰宅しようと思うと、ちょっと微妙。ということで、帰り道にある、気になるところへ寄って来ました。左は、「孝女曽與(そよ)宅址」(弥富市鳥ヶ地)。享保13(1728)年、鳥ケ地(とりがんじ)で生まれた曽與は、幼い時に母親と別れ父親に苦労して育てられたため、父親に孝養をつくし、その話が鳥ケ地に住む西河菊荘により「孝女曽與伝」として、安永7(1778)年に出版され、さらに明治から大正時代にかけての修身の教科書に載り、全国にこの話が広まったといいます。
Img_3518c 曹洞宗の大慈院(弥富市平島町)。なぜ気になっていたかといいますと、右の写真にあるImg_3558c ように、「尾張徳川初代義直公 念誦佛 大慈院」という看板が建っているからです。念誦(ネンジュ)は、心の中で仏に祈り、口に仏の名号や経文などを唱えることです。しかし、境内には説明板もありませんし、本堂も閉まっていて詳細は不明。
Img_3561c もう1ヶ所は、弥富市歴史民俗資料館のすぐ近くの神社(弥富市小前ヶ須)。Img_3569c ご神木らしき老木が気になったのです。素盞之男社とありました。素戔嗚尊を祀っています。ここでは、桑名の石取祭と同じく、鉦太鼓を叩きながら祭車を曳き回す祭があるということでした(こちら)。これらは、今日のところは「いってきました」という報告。まだほとんど調べても居ませんので、また。
 明日は、懲りもせず、またもや近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 銘酒「鈿女」伊藤酒造と智積養水をたずねて」に出かけたいと思っています。「鈿女」は、天鈿女命(アマノウズメノミコト)に由来します。去年も、2月17日に同じコースに参加しています(20180217酒蔵みてある記「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」(予告編))。

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