2018年5月24日 (木)

九華公園に巣立ったツバメのヒナが登場

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 昨日とは打って変わって(苦笑)、天気はよく、気温も上がり、風も吹いてまぁまぁ気持ちの良い日になりました。公園の緑も青々としています。プチ遠征もとは思ったのですが、この風では鳥もいないかと思い直し、いつも通り、8時半過ぎから住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と歩いてきました。
Img_3348c 九華公園でシジュウカラの鳴き声がしたので、探しに行ったら、シジュウカラImg_4962c は見つからなかったものの、ツバメの巣立った雛が3羽来ていました.土俵のあるところの西の堀の上。電柱を支えるケーブルで親が来るの待っている様子。それぞれにあちこち見上げていますが、親を探しているようでした。
Img_3318c シルエットになってしまいましたが、親が来ると飛び立って、写真のように空中でエサをもらっています。ヒナなののに飛翔能力は、かなりのものがあり、驚かされます。
Img_3365c ツバメつながりで、巡回している巣の様子を。左は、京町の呉服屋さんのImg_3377c 巣。異変があったようで、何度確認しても、この1羽しか見えません。今日はこのお宅の方にはお目にかかれませんでしたので、詳細は不明。親はエサを運んできていました。
Img_3371c 同じ京町のマンション駐車場では、4羽が健在。親がときどきエサを運んImg_3390c できていました。一方、田町の商店にある巣は、不在。しばらく見ていましたが、親は来ず、ヒナの姿も見えずでした。
Img_3391c 田町のもう一つの巣も、2羽が元気にいました。ここも親がやって来ますImg_3397c が、その親は巣のあるお宅の屋根で休んでいることが良くあります。ということで巣立ったヒナがいる一方、京町の呉服屋さんのように、ヒナが減ってしまった巣もあります。
Img_3190c さて、九華公園の花菖蒲は、少しずつ増えてきています。管理事務所南Img_3186c のところは、花菖蒲祭の頃には見頃を迎えられるかという気がしてきました。左は、「曲水の詩(肥後系)」、右は、「青柳(伊勢系)」です。
Img_3250c こちらは、本丸跡のところ。左は、「万里の響(江戸系)」、右は、「麗月(肥Img_3252c 後系)」。本丸跡のところは、花菖蒲の背丈が短く、生育は余り良くないように見えますが、何種類かは咲き始めてきています。
Img_4977c ところで、昨日の講義のQ&A書きは、今日になって完成(微笑)。夜なべ仕事をすれば、昨日中にできましたが、まぁそこまで頑張らなくても良いかと勝手に思った次第。新しい科目についても、来週の分は準備は終えています。再来週以降も2~3週分はほぼできていて、再確認、微調整が必要というところです。また明日以降、取り組む予定。
Img_4978c 最後の2枚の写真は、5月20日に載せた、京町近くのお宅のアジサイ(5月らしい陽気……花菖蒲はボチボチ)。青い方は少し色づいてきました。

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2018年5月23日 (水)

昨日の写真の正解はこちら

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 アタマまでヘロヘロになってしまい(苦笑)、失念していました。これは、どうも支援が必要な状況かも知れません。お知り合いの皆様には、何卒よろしくお願いいたします。という冗談なのか、本当なのか、よく分からない与太話はさておき、引いて撮ると、次のようシーンになります。
Img_4889c 正解はお稲荷さん(九華稲荷社)の参道の赤鳥居が並んでいるところで撮ったものでした。切り取り方によって、見え方や、印象はまったく変わりますね、という好例と思ったのです。芸術的な写真を目指す、というのは多分にあいませんし、小生の能力を超えております。あくまでも遊びの一つ。

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承知はしていたものの、午前中2コマ、3時間はやはり大変(笑)

Dscn6965c 予報通り、雨。出勤の途中、鈴鹿を過ぎたあたりからぽつぽつと雨粒が落ちてきました。江戸橋方面へ出勤するときには雨が多い気がします。心がけが悪いのか、単なる巡り合わせか、それとも僻みか(苦笑)?今日からは、1コマ目、2コマ目と10分休憩を挟んで、2科目・3時間コース。別々の科目ですが、同じ教室、受講する学生たちもかなり重複。承知の上で引き受けたものの、やはり大変でした(笑)。が、学生たちのコメントは、どちらの科目もおおむね好評で、それに助けられました(微笑)。
 朝の電車も、7時半というのは、津方面に向かうとはいえ、かなり混んでいました。これは、多少お金を使っても何か、対策を考えたいと思っています。ヘロヘロとはいいませんが、けっこう疲れて帰宅。しかし、考えようによっては、週1回くらいはこういう機会があった方が良いのかも知れません。
Dscn6966c  帰宅後は、いつものように、出欠チェックと、出席票のコメント・質問の確認、Q&A書き。ただし、受講登録者は、2科目合計で110人とほぼ倍増。先週までは、夕方には作業を終えられたのですが、さすがに今日の分は、明日に一部持ち越しせざるを得ません。
 準備するものも増えた結果、忘れ物、忘れたことも出来してしまいました。4月から担当している科目の補足説明のパワーポイントファイルを更新し忘れたのと、印刷をお願いしてくるのを1種類失念していたのです。これも、チェックリストをつくるなり、対策を考えないといけません。
 写真は、いずれも帰るときに撮ったキャンパス風景。雨に濡れて、それがかえって良い感じでした。

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2018年5月22日 (火)

御礼 190万アクセス達成

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 お陰様で本日、190万アクセス(PV)を達成できました。このブログをお読み下さる皆様に厚く御礼申し上げます。最近(5月に入ってから)は、1日あたり100~200PVで推移しています。一頃は、1,000PVに近いアクセスをいただいていたことを思うと、減ってはいますが、これだけの方にお読みいただいているかと思うと、感謝の一言しかありません。勝手気まま、自分の趣味のままのブログではありますが、今後ともよろしくお願いいたします。
 なお、ブログにも表示していますが、@nfityのブログ容量の制限によって、2005年10月26日のブログ開始当初から、2018年2月4日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」(Livedoorブログ)に移行しました。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2015年1月以降の記事を残し、2014年12月以前の記事は削除しました(2015年1月から2018年2月4日の記事は、両方にあります)。
 バックナンバーを検索していただいて、ご覧になれない記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」(Livedoorブログ)をご確認いただければ幸いに存じます。
 ちなみに、最近は、Instagram、Facebookにも手を広げてしまっています。「しまっています」というのは、手を広げすぎたかと反省しているのですが、新たな方々との交流も生まれ、しばらくはこのままで行こうと考えています。Instagram、Facebookとも、ブログとほぼ同じ写真が載っていますが、ご覧ください。個人的には、このブログが、本来の場所と思っています。

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アジサイで遊んでみました

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 5月らしい天候も今日までで、明日は朝から雨という予報。どうも、江戸橋に出かけるときには天気に恵まれないという巡り合わせ(苦笑)。しかも、明日は、8時50分の1コマ目からの授業。いやはや……とぼやいていても仕方ありません。今日は、皆早く出かけてしまいましたので、8時15分から散歩。早く帰ってくるつもりが、こういうときに限って知り合い、それもたまにはお目にかかって話をしたいと思う方に出会います。結局,11時を回って帰宅。住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と5.5㎞。午後からは、ブログを書くだけでなく、江戸橋方面の授業準備にいそしんでおりました。
Img_4899c2 いつも通りの散歩コースですが、多少とも変化をと思ってカメラのアングImg_4909c ルや、注目するところを変えてみました。とはいえ、一気に激変とは行きません。アジサイは、ヒガンバナの応用で,逆光+下から見上げるアングルにチャレンジ。Instagramでは好評をいただきました(微笑)。右は、ここで写真を撮っているときに女性が通りかかりましたので、勝手に撮らせていただきました。個人的には気に入ったショットです。
Img_3052c こちらは、このブログにて初公開。さてどこで、どのように撮ったと思われるでしょう? 正解は、明日のブログで公表することにいたします。
Img_3057c このように遊んでいるということは、鳥はあまりいなかったということの証明であります(苦笑)。九華公園では、スズメやドバト、キジバトなど以外には、シジュウカラくらい。このシジュウカラさん、5~6羽で揃って移動中。ファミリーかという気がしますし、さらにはヒナかなぁ?と思っています(ただし、確信はありません)。
Img_3016c 話題は脈絡がありませんが、スズメや、キジバトさん。スズメは、今日はImg_3045c 余り見かけませんでした。一方のキジバトさんは、巣材を集めているようでした。これから繁殖というカップルもいるようです。ゆっくりand/orよく見て回ると、それなりの写真が撮れるということかも知れません。ささやかな喜び、楽しみを見つけることがよさそうです。
Img_3047c その他、九華公園で見たもの。ミドリガメたちは、あちこちに上陸して来ています。左は、本丸跡、野球場の西側で見つけたもの。産卵場所を探して歩いていたようです。昨日、九華招魂社の脇でも卵を産む穴を掘っていたカメがいましたが、今日見たら、しっかりと埋めてありました.カラスに掘られないことを祈ります。
Img_4887c こちらはドクダミ。鎮国守国神社の拝殿前に咲いています。子どもの頃、これを干して煎じたものを「毒消し」として飲まされた記憶が鮮明に残っています(苦笑)。
Img_3094c ツバメの巣も巡回してきました。左は、京町の呉服屋さんの巣。ここは、3Img_3096c ヶ所の巣があり、1ヶ所でヒナが生まれ、現在4羽がいます。この奥にもう1組のカップルが営巣するかと思っていたのですが、ややこしい事情が生じているようでした。子育て中のカップルの他に、1組がやって来るのですが、その子育てカップルが必死に追い払おうとしているようなのです。ヒナたちは、我関せずで、元気にエサをねだっています。
Img_3141c その近くのマンション駐車場。昨日、ヒナがいるようだと書きましたが、今日は、4羽を確認。見ている間に親はやって来ませんでしたが、覗きに行くと、ご覧のような反応。親でなくとも、何かが近づくと、このように「エサ頂戴」アピールをするのかも知れません。
Img_3155c あちこちでスイレンが咲いているという話が聞かれますので、桑名別院本統寺を見てきました。一輪だけが咲いていました。わが家の「このままスイレン」は、植えるのがちょっと早かったかも知れません。説明書をよく読んだら、「最低気温が20℃を超えたら」とあったのですが、「最高気温が20℃を超えたら」と勘違いしていました。どうなるか気になるところ。
Img_4853c  明日は、朝7時半頃の電車に乗って出かけようと思っています。新しい行動パターンを習慣化するには、少し時間がかかるかも知れません。この写真は、江戸町にある歌行燈本店の前にあるアジサイ。去年もみましたので(2017年6月11日:歌行燈本店のアジサイ)、今年の様子を見てきたという次第。さすがにまだ早かったようです。

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20180512近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”へ(その1)……冨田一本松と四日市港ポートビル、うみてらす14

Img_3873c ようやく5月12日に行ってきた近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”の本編に取りかかれます(微笑)。この日のコースは、近鉄富田駅がスタート。四日市港ポートビルを見学し、霞ヶ浦緑地、霞ヶ浦パークブリッジ、三滝公園を経て、萬古まつり会場へ。近くのばんこの里会館と萬古神社も立ち寄りスポットで、ゴールは、近鉄名古屋線・川原町駅。マップのサブタイトルに、「萬古焼の始祖 沼波弄山(ぬなみろうざん) 生誕300年記念」とありますが、沼波弄山は、桑名の豪商。元文年間(1736~1741年)、当時、桑名藩領だった、現在の朝日町小向に窯を構えたのです。今では、萬古焼というとすっかり四日市のイメージで、個人的には「お株を奪われた」と思っています。それはまた、後ほど触れるかも知れません。

20180512 いただいたコースマップには、約8㎞とありました。ほとんど寄り道するところがありませんでしたので、距離測βで確認しても、8.8㎞でした。左が、実際に歩いたコースと距離。今回行きたかったのは、四日市港ポートビル(うみてらす14)と、萬古まつり、萬古神社です。いずれも、近いのに今までいっていないところ(微笑)。
Img_3877c 受付は9時40分から11時。ポートビルが10時からのため。桑名駅を。9時22分発の松阪行き急行に乗り、9時30分到着。¥260。スタートの富田駅には、到着時、すでに100名以上が列をなしていました。受付は予定より早くから行われ、9時40分にはスタートできました。富田駅から東南へ。国道1号線を目指します。
Img_3879c 富田駅から200mほど、北側にお稲荷さんが見えました。道路の右(南側)を歩いていましたので、今回はパス。後で調べたら、吉玉稲荷というお稲荷さんでしたが、詳しいことは不明。ちなみに、この吉玉稲荷と、近鉄富田駅の間にある市立富田幼稚園のあたりは、旧・富田城跡だそうです(ただし、遺構は何も残っていません)。
Img_3881c 吉玉稲荷の隣に三重銀行富田支店があり、その先で、旧・東海道とクロImg_3880c スします。左の写真が、朝日、桑名方面、右は四日市方面。ここの東海道は、去年(2017年)12月22日の“近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」”で歩いています。このときは、川越富洲原駅からスタートし、中風封じの田村寺、茂福神社や垂坂公園を経て、名古屋線・霞ヶ浦駅まででした。こうして実際に歩くと土地勘ができ、それが次第にアタマの中でつながって来ます。
Img_3889c 国道1号線に出て、近鉄富田駅口の信号で南下。少しだけ1号線を歩き、Img_3893cJR関西線の跨線橋の手前、東富田町と富田浜元町の境あたりで脇道にそれて行きます。このあたりではスタートして間もないので、参加者がずらり。
Img_3900c コースマップにはありませんが、脇道に入ってすぐのところに「富田一本松」があります(東富田町)。市指定記念物(史跡)になっています。東富田Img_3895c_2 付近が波打ち際であった頃に、伊勢湾の内海航路の船、伊勢湾の漁船の目印となっていたといいます。「伊勢軍記」によれば、永禄3(1560)年の茂福合戦で、鈴鹿の神戸勢が海路から上陸する際、目印になったといいます。樹齢700年を数え、高さ12mの立派な松でしたが、昭和34(1959)年の伊勢湾台風などで遂に枯れてしまい、今見られるのは、その後に植えられた2代目の松だそうです。
Img_3905c 一本松の脇には、かつてこの地に居住していた俳人山口誓子の「町なかImg_3903c_3 の 昔の松の 春の暮」の句碑が立っています。病気療養のため富田にしばらく居を移していた時にこの一本松を詠んだもの。昭和22(1947)年7月に富田保勝会が建てたものです。句は、山口誓子自筆の書で刻まれています。句碑に向かって右には、同じく山口誓子の書による「史跡 一本松の碑」があります。昭和49(1974)年9月に富田文化財保存会が建てたもの。碑陰には、「碑の謂われ」が刻まれています。茂福合戦のことや、安永9(1780)年の富田大火にも類焼せず「瑞祥の松」として崇められたことが記されていました。なお、この一本松のすぐ南を十四川が流れています(予告編の記述には誤りがありました)。
Img_3917c  一本松のすぐ先に赤煉瓦の塀があり、その内側にはレトロな建物が見えます。赤煉瓦塀はマップにも載っていまImg_3920c した。網勘製網株式会社という看板が掛かっています。寛政6(1794)年に始まる老舗の漁網製造業。富田漁港があったことから、富田地区は漁業に使用する漁網作りの製網が江戸時代から盛んだったといいます。この本社事務所は、昭和初期に完成した木骨タイル張りの2階建て一部3階建て塔屋付きの建物。瓦屋根の木造建築が多い四日市富田地区で、モダンな洋風の建物として国道1号線を通行する人々の目印となったそうです。本社事務所・正門・煉瓦塀は、国の登録有形文化財(建造物)。
Img_3921c 漁業の衰退に合わせて事業を多角化し、現在の社名は、アミカン (平成12(2000)年に変更しています)。製網だけでなく、スイミングスクールを運営するスポーツ事業などにも参入しているそうです。
Img_3930c  富田浜の町を進み、富田浜病院がある交差点を左折し、東へ。国道23号Img_3938c 線を富田浜交差点で渡り、そのまま国道23号線を浜園緑地に沿って南下し、霞大橋に向かいます。このあたりで出発から2km。
Img_3948c 霞大橋は、国道23号線や、東名阪道の四日市東インター、北勢バイパスImg_3950c の斎宮西インターから霞埠頭への入り口。これまでのコースのところどころからも見えていましたが、いよいよ四日市港ポートビルがよく見えてきます。四日市港ポートビルも、わが家からも遠望できるのですが、これまでに来たことがないのです。近くにいながら、行ったことのないところというのが、けっこうたくさんあります。そういうところへ行きたいということもあって、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに参加しています。
Img_3963c 四日市港ポートビル四日市港管理組合の所有。四日市港の開港100Img_3979c 周年を記念して、平成11(1999)年8月に開館しました。 14階建てですが、13~14階までの間は18mの吹き抜け構造になっています。高さは、地上100mですが、これでも三重県内で最も高いビルです。今日は、近鉄ハイキング参加者は、コースマップを提示すると、無料で入れました(微笑)。10時20分到着。出発から2.8㎞ほど。
Img_3983c ポートビルの14階は、展望展示室になっています。愛称は「うみてらすImg_4007c 14(フォーティーン)」。地上90mからの眺望が楽しめますし、四日市港について学べるような展示があります。昼は、鈴鹿山脈からセントレア、名古屋方面まで見渡せますし、夜は全国的にも有名になった四日市港の夜景が一望できます。夜景も見てみたいと思いますが、それはまたいずれ。
Img_3984c この日は霞んでいて、遠くの眺望は今ひとつでしたが、それでも眺めは抜群。左の写真では、ここに来るのに渡ってきた霞大橋が見えます(写真中央)。うみてらす14の西側。写真の右端から左に伸びているのが、国道23号線。霞大橋から右上に向かうラインが、北勢バイパスや、東名阪道につながる道。写真の左端が、近鉄四日市駅あたり。鈴鹿山脈は、霞んでしまっています。
Img_3986c 左の写真は、南側の眺め。霞地区のコンビナート風景。夜眺めると、絶Img_3999c 好の夜景でしょう。向かって右が、霞大橋(西)。右の写真は、東側の景色。東ソー、中電、東邦ガス、コスモ石油などがあるところです。ガントリークレーンや、コンテナも見えています。この方向の先に、あの(苦笑)セントレアが見えるはずですが、肉眼ではよく分かりませんでした。
Img_4002c そこで、だいたいこの方角と思われる方向を、エイヤッと超望遠コンデジで撮ったのが、左の写真。結果オーライで、セントレアの管制塔と、滑走路、ジェット旅客機らしき姿が映っていました(微笑)。霞んでいなければ、当然もっときれいに見えたと思います。
Img_4013c こちらは北の眺め。霞埠頭から北に向かって伸びている、新しい道路は、4月1日に開通したばかりの「四日市・いなばポートライン(臨港道路 霞4号幹線)」です。霞埠頭と、伊勢湾岸自動車道・みえ川越インターチェンジを結んでいます。
Img_4019c 上にも書きましたが、この四日市港ポートビル、わが家からも見えますのImg_4290c で、うみてらす14からも拙宅マンションが見えるかもと思って、これまたテキトーにエイヤッと撮ってみました(苦笑)。肉眼では分かりませんでしたが、超望遠コンデジ+パソコンのお陰で何とか判別できました。左の写真のとおりです。ちなみに、帰宅後、わが家のベランダから撮った四日市港ポートビルの写真は、右の通り。
Img_4045c ここうみてらす14は、展望展示室になっていると書きました。中央には、Img_4046c 四日市港の大きなジオラマがあります。左の写真で、中央からやや右が、ポートビルのある霞地区。その部分をクローズアップしたのが、右の写真(ちょっとピントが甘い)。
Map_kouwan2015 それにしてもさすがに広い。左の画像は、四日市港管理組合のサイトからお借りしたものですが、これが四日市港の全体像(左上のジオラマとは逆向き)。川越から塩浜まで広がっています。この画像で「四日市地区」とあるあたりは、いわゆる「旧港」と呼ばれ、これまでの近鉄ハイキングや、JRさわやかウォーキングで訪れたことがあります(去年11月25日(どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)と、今年3月23日(近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ……海山道稲荷を訪ねる)と2回訪れています)。
Img_4057c 展示も一通り見てきました。左は、港のあゆみコーナー。稲葉三右衛門Img_4051c_3 の港づくりなどについて勉強できます。稲葉三右衛門は、四日市で廻船問屋を営んでいました。明治6(1873)年、四日市港の修築に着手し、私財を投じて明治17(1884)年に完成しました。このほか、港のやくわり、港ではたらく、港にしたしむといったコーナーがあります。スタンプがおいてあり、また、いただいたリーフレットにスタンプ欄がありましたので、4つすべて押してきました(微笑)。
Img_4067c 無事に四日市港ポートビルを見学し終えましたので、個人的には今日のImg_4068c ハイキングの主要目標は達成してしまいました(笑)。四日市港ポートビルにいたのは、10時50分過ぎまで。滞在移管は約30分。このあとは四日市港にある公園沿いを三滝川の手前まで南下、三滝公園に立ち寄ったあと、萬古まつりの会場を目指します。

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2018年5月21日 (月)

20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その4)……徳蓮寺他のお寺を回って、雨尾山飛鳥寺を経て、下深谷駅へゴール(完)

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 4月28日の近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」のその4です。その3では、舟着社と野志里神社の2つの神社を見てきました。野志里神社は、去年の歴史講座を聴いてから是非とも行きたかったところで、念願を一つ果たせました。野志里神社で、6.5㎞過ぎ、時刻はちょうど12時頃。この日は暑くて、いささかお疲れ(苦笑)。しかし、次の目的地を目指して、美濃街道を下ります。ここから先は、ちょうど養老鉄道の線路沿いになります。
Img_0855c_2 コース7㎞のあたりに養老鉄道の下野代駅があります。そこを過ぎたとこImg_0870c_2 ろに常夜灯があり、その台座に徳蓮寺の案内が出ていました。見ると、踏切があり、その向こうには階段が(微笑)。ここが徳蓮寺への入り口。2月27日に出かけた近鉄ハイキングでも、三岐鉄道北勢線の踏切を渡らないと行けない神社がありましたが、ここも同様(近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9㎞なのに、12.4㎞も歩いたお話(笑))。
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 さて、踏切を渡り、100段ある階段を上って徳蓮寺を拝観に行きます。手Img_0881c_2 すりはあるものの、古くてけっこう急な階段を上って行くと、山の中腹にお寺がありました。眺めはよく、伊勢湾や、アルプスまで見えます。いただいたパンフレットによれば、冬には富士山も見えるとありました。古いお寺です。徳蓮寺(とくれんじ)は、真言宗東寺派で、無畏野山徳蓮寺といいます。 ご本尊が、弘法大師の作と伝わる虚空蔵菩薩であるため、「虚空蔵寺」あるいは「コクゾッサン」と呼ばれ親しまれています。ご本尊は秘仏で、7年に一度開帳されます。
Img_0863c_2 古くは、この地に三輪宗の中蓮寺という寺があったといいますが、壬申

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の乱(672年)の時に焼失しました。しばらく再建されることはなかったのですが、弘仁2(811)年、弘法大師が関東に下向された折、ここを訪れ虚空蔵菩薩を刻み、5つの寺院を建て、5座の神祠を勧請しこの地の守護としたと伝えられています。その後、明応7(1498)年の地震で大破し、元亀・天正年間の織田信長の兵火は免れたものの、天正13(1585)年の大地震でほとんどの堂塔が潰れ、弘法大師の遺物や縁起などすべてが土中に埋もれ、本尊の行方も分からなくなってしまいます。しかし、夜な夜な土中が光ることから、掘り返してみると、ナマズとウナギに守られた本尊が見つかりました。慶長10(1605)年、桑名藩主・本多忠勝公によって寺の由緒についての調べが行われ、寺領が寄進されて再興されました。慶安3(1650)年には大洪水で山崩れが起こり再び堂宇が倒壊するものの、万治2(1659)年に再建し、寺号も徳蓮寺と改められ、現在に至っています。現在、住職はご不在で地元の方々が護持しておられます。
Img_0887c_2 本堂には、252枚の絵馬が奉納されていますが、そのほとんどが、Img_0883c_2 上記のエピソードに因み、本尊をお守りしていたナマズとウナギの絵馬となっています。これらの絵馬は地震除けに奉納されたともいわれているそうです。
Img_0901c_2 古いものがたくさんありました。1枚ずつ確認するのは到底無理でしたImg_0897c_2 が、気づいた中で古かったのは、左の写真にある「天保6乙未十二月」と読めました。しかもこの絵馬の願主は、桑名宿の人です。他にも、桑名の人が奉納したものがたくさんありました。右の写真で下の方の絵馬には、「堤原 正木元治郎 正木助治郎」とあります。堤原は、今も拙宅近くにある地名。上の方の絵馬には、「今一色堤原 桶商」とあります。堤原のあたりは、昔は地名に「今一色」がついていました。
Img_0894c 絵馬は、他にも歌舞伎を描いたかと思われるものなど、ナマズ、ウナギImg_0885c_2 以外の図柄のものもあります。また、古いものばかりでなく、比較的新しいものも奉納されていました。右のものは、平成になってからのものだと伺いました。
Img_0910c_2 ナマズの絵馬がたくさん奉納されているからだと思いますが、秋篠宮殿下が徳蓮寺に平成17年にご来訪になっています。余談でありますが、ご来訪の2~3ヶ月後に長男悠仁親王のご懐妊が発表されたそうです。
Img_0926c_2 もう一つ、境内には、地震慰霊碑があります。「諸国大地震横死萬霊」と読めます。慰霊碑の下半分は地面に埋まっています。この碑、「嘉永七甲寅六月十四 十一月」ともあります(同様に、下の方は地中で読めず)。嘉永7年は、1854年。嘉永7年は、11月27日(グレゴリオ暦1855年1月15日)に安政に改元されていますが、その前に伊賀地震、東海地震、南海地震が起きています(こちらを参照)。日付から見て、これらの地震の被災者を慰霊するもののようです。今でも地元の方によって供養されているそうです。碑陰には、「當山住賢信」とあります。
Img_0935c_2 徳蓮寺には、この鐘にもエピソードがあります。この鐘は、安永4(1775)Img_0921c_2 年、桑名の鋳物師・広瀬与左衛門によって鋳造されています。鐘には、徳蓮寺の寺暦が刻まれています。昭和19(1944)年、第二次世界大戦の時、金属供出令によって供出されたのですが、終戦後、鳥居辰美氏と住職・井高長雅氏が、四日市の石原産業へ引き取りに行き、全国から集められたたくさんの鐘の中から探して、持ち帰ったものだそうです。
Img_0918c_2 閑話休題。野志里神社でも、ここ徳蓮寺でも、地元の「のしろおたから発Img_0864c_2 見隊」の方が説明してくださいました。そのユニフォーム(ベスト)がなかなかのものでしたので、お願いして写真を撮らせてもらいました。野志里神社にもありましたが、このおたから発見隊作の案内板があります。四日市でも地元の方たちによる案内板が各所にありますが、旧・桑名市内ではこういう活動はありません。見倣うとよいと思います。おなじくおたから発見隊の方がお作りになったパンフレットもいただいてきました。
Img_0868c_2 徳蓮寺の境内には他にもいくつか、興味深いものがありました。左の写Img_0867c_2 真は、階段の下にあった「松永先生頌徳之碑」ですが、詳細は不明。右は、「一榊 壱株 伯爵清浦奎吾閣下 御寄附」(ちょっと読みがアヤシい)とありました。清浦奎吾(きようらけいご)は、肥後の人で内務官僚の後、司法相、農商務相の他、枢密顧問官、総理大臣などを歴任。どういう関係があるのかは、ネット検索では不明。こういうことはよくあります。何かのつてをたどってお願いした、ということでしょうか? 分からないこと、多々あります。
Img_0941c 12時半頃、徳蓮寺を拝観して下に降りてきたところで、小生よりも年長の男性に遭遇。ここは何度目かということで、「上には上がりません」とおっしゃいます。しばらくお話しし、何となく気が合う方と思い、このあと、「同行二人(微笑)」。弘法大師が関わるお寺でお目にかかったのも何かのご縁ということ。桑名の大山田の方。飄々としておられ、いろいろとご存じでした。
Img_0948c この方とお話ししながら、徳蓮寺から1㎞余りを歩いて、明光寺へ。スタートからは、8㎞過ぎ。このImg_0951c 男性、近鉄ハイキングに参加なさるようになってもう10年以上と、大ベテラン。1㎞あまりがあっという間。旅は道連れ世は情けというのは、本当です。ここは、もう上深谷。明光寺は、浄土真宗大谷派。ここも踏切を渡って境内に入ります。
Img_0957c 本堂前で休ませてもらっていたら、踏切の警報器が鳴り始めました。これまた例によって、「俄撮り鉄(微笑)」。もうちょっと電車が手前で撮れた方がよかったかと思うのですが、素人撮り鉄としてはまあまあ。撮り鉄の方には、是非ともご助言をお願いいたします。
Img_0974c さらに1㎞弱、ほぼ9㎞地点。法光寺。高野山真言宗のお寺。深谷弘法大師とも呼ばれImg_0975c るようです。山号は、御砂山。このお寺の北、三砂川沿いに三砂城跡があったはず。市内の城跡巡りもしたいと思ってはいるものの、手つかず。やりたいことは多いものの、なかなか実現するのは難しいですねぇ。
Img_0979c この法光寺で珍しかったのは、稲荷社が併設されていたことです。江戸時代までは、神社とお寺が一緒に建てられていることが多かったことや、神仏習合、本地垂迹説などは知識としては知っていました。しかし、ここ法光寺のように、本堂と続きの建物にお稲荷さんが祀られているのは、初めて見ました。稲荷社には、神社名はありませんでした。
Img_0991c 深谷小学校を過ぎ、深谷郵便局の手前で右折。あとは、最終のポイントである雨尾山飛鳥寺を目指すだけと思っていたら、途中に西林寺というお寺がありました。浄土真宗本願寺派のお寺。山号は、北廻山。ここは、北廻城跡。室町時代、近藤右京亮家教の居城でした。織田信長の伊勢侵攻の時、滝川一益によって攻められ籠城。水が無くなったのを知られないため、馬を洗うのに、白米を用いたことから、「白米城」とも呼ばれたといいます。最後には攻め滅ぼされています。
Img_0989c  西林寺は、永正6(1509)年、禅宗の済林寺として創立しています。天正2(1574)年、本願寺第9世実如上人により、浄土真宗に改めました。その後、元禄8(1695)年に西林寺に改称しています。
Img_1002c 西林寺から桑名北高校の北側を通って、雨尾山飛鳥寺(あまおざんひちょうじ)へ。東寺真言宗。霊鳥が飛来した寺という事で「飛鳥寺」と名付けられています。十一面観世音菩薩をご本尊として、弘法大師、大日如来、善光寺如来、馬頭観音、千手観音、子安地蔵尊、不動明王、寺宝として弘法大師画像(桑名市文化財)等、多くの仏像を安置しています。伊勢西国三十三ヵ所観音巡礼の第32番札所。真言密教の名刹でしたが、元亀2(1571)年、織田信長の兵火により、焼失。その後、寛永12(1635)年、桑名藩主・松平定綱公が、この山に遊覧の折り往時を偲んで供料田を寄進、また、万治3(1660)年、同じく松平定重公より年々祈願料を寄進されています。
Img_1008c 高台にあり、木曽三川から、名古屋市街、濃尾平野、遠くは木曽の御嶽山が、一望できる、風光明媚なところにあります。左がその眺め。これ、昨年末にNHKで放送していた「マチ工場のオンナ」でよく出て来たところでした。「どこだろう、深谷あたりか?」と思っていたのです。
Img_1024c 飛鳥寺についたのは、もう13時半を回っていましたので、持参したおにぎりを食べて、その後、境内を見て回りました。左は、三吉稲荷社。由緒などはとくに示されていません。稲荷社によくある「正一位」の幟があったくらい。
Img_1028c もう一つのお社が。こちらも、社名標も由緒書きも何もなく、どういうお社かは不明。飛鳥寺のサイトにも説明はありません。
Img_1038c 今日のゴールは、こちら、養老鉄道・下深谷駅。飛鳥寺Img_1045c の境内から、すぐ東の下に見えています。ゴールは、14時ちょうど。スタートから4時間20分もかかりました。マップ上は、約9㎞ということでしたが、実測で11㎞を踏破(大げさな)。14時12分発で桑名まで。14時18分着。¥260。
 実際に行ったのが4月28日でしたが、完了まで3週間あまりかかってしまいました m(_ _)m お付き合い下さった皆様には篤く御礼申し上げます。これで、近鉄ハイキングでまだ書いていないのは、5月12日の“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”だけです。余り間を置くと、細部を忘れてしまいますし、雑になりますので、また時間を見計らって、なるべく早めに記事を書こうと思っています。書かないと、次にもいけませんし(苦笑)。

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ハクセキレイのヒナ登場……アジサイも

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 最高気温25.3℃。平年並みだそうです。散歩していても、日向ですと若干汗ばむ感じですが、やはり5月はこういう気候でなくてはと思う1日でした。例によって例の如く、8時半スタートで、住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と6㎞。11時半まで。冒頭の写真は、住吉神社と、揖斐川の堤防。多度山などが見えています。
Img_4797c 今日は、まずはこちら。ハクセキレイのヒナです。親鳥が2~3羽連れてきてImg_2936c いました。体は親並になっていますが、まだエサをもらっていました。ただし、エサをやるところは、遠くてうまく撮れませんでした。ハクセキレイ、春先からしばらく見ませんでしたが、繁殖して戻ってきたということです。
Img_2945c ヒナといえば、ツバメさん。京町の呉服屋さんの巣を見に行ったら、此のおImg_2958c 宅のご主人が出てこられ、話を伺いました(毎年、1度はお目にかかっています)。ここには6羽のヒナがいたはずですが、4羽に減ってしまっていました。「弱いヒナは落とされる。拾って巣に上げてもまた落ちてくる」そうです。自然の摂理とはいえ、厳しいものです。親鳥は、ときどきエサを運んできては、すぐにまたエサ探しに出かけていきます。
Img_2962c こちらは近くのマンション駐車場の巣。一瞬ヒナの姿が見えたように思ったImg_2972c のですが、その後は、しばらく見ていても現れません。親も不在。エサ探しでしょうか。右は、田町の商店にある巣。ここはまだ親がずっと巣に就いていますから、雛は孵っていない模様。
Img_2979c 田町にもう1つある巣、先日見たように、ヒナはやはり2羽。しかし、このアImg_2980c ングルで見ると余計にそう思うのですが、ヤンキーのようなヘアスタイルが笑えます。2羽だけですが、元気いっぱい。
Img_4805c 九華公園、季候はよいのに、散歩する方はあまりありません。この時期、Img_2914c 毎年こういう風ですが、よい季節なのに、もったいない。ミドリガメは、何匹も産卵のため上陸して来ています。今日は、九華招魂社の脇でかなり穴を掘っているカメをしばらく見ていたのですが、まだ卵を産みそうではありませんでしたので、残念ながら撤退。代わりに、アクロバットのような甲羅干しを載せておきます。
Img_4794c 花菖蒲園の様子。管理事務所南のところは、ボチボチ。3ヶ所あるうち、Img_2871c ここがもっともたくさん咲いてきています。右は、「和田津海」という江戸系の品種。
Img_2887c 本丸跡の花菖蒲園は、花菖蒲の背が全般に低いのですが、2種類ほどImg_2893c が咲いてきています。左は、「万里の響」(江戸系)。右は、伊勢系の「朝日空」。とエラそうに名前を書いていますが、皆、名札が頼りなのです(微笑)。
Img_4812c あちこちでアジサイが咲いてきています。左は、九華公園の南のお宅にImg_2967c て。アジサイか?と思っていたのですが、葉っぱはアジサイそのものと思えます。右は、寺町商店街に咲いていたもの。

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2018年5月20日 (日)

20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その3)……舟着社と野志里神社

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 近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(4/28)180428kintetsuhikingtado2 のその3です。その2では、多度大社を見て回りました。その後、多度大社前から東へ、またもや上り坂を経て、養老鉄道を越えたところで地道、竹藪の中を通り抜けてきました。前方に林というか、森が見えてきました。
Img_0748c コースに含まれてはいませんが、神社でしたのでここは立ち寄らざるを得まImg_0750c せん(微笑)。「村社 舟着社」という社名標が立っています。「舟着社」というからには、このあたりに舟が着いたということ。これは是非ともお参りし、見てこなくてはなりません。
Img_0752c 社伝によれば、多度神社別宮の一目連大神が度会郡山田郷よりの帰りに舟で当社附近に着かれたので舟着社と云うと伝えられています(こちら)。また、この近辺は尾津浜、尾津崎等の小字のとおり、木曽三川の川岸であったため附近の人々が氏神として舟着社の社名で海神を奉斎したとも伝えられているそうです。今は、揖斐川まで2.5㎞ほどあります。御祭神は、表筒男神(ウワツツノオノミコト)、中筒男神(なかつつのおのみこと)、大山津見神(オオヤマツミノカミ;山の神)、火之迦具土神(かぐつちのかみ;火の神)、底筒男神(そこつつのおのみこと)、天津日子根命(あまつひこねのみこと;多度大社の御祭神、天照大神の子)、気吹戸主命(いぶきどぬしのみこと;祓戸大神(はらえどのおおかみ)の一神。払戸大神とは、神道において祓を司どる神で、祓戸(祓所、祓殿)とは祓を行う場所のことで、そこに祀られる神)。表筒男神、中筒男神、底筒男神は住吉大社に祀られている御三神、住吉神(すみのえのかみ)。気吹戸主命とは、初めて知った神様。
Img_0754c 尋ねたとき、ちょうど氏子の方がお祭りの準備に来ていらっしゃり、説明をしてくださっただけでなく、本殿の方まで案内をしてくださいました。こういう出会いは、嬉しいものです。
Img_0763c 境内の一隅には、この石碑。「奉献 船置神社」と刻まれています。碑陰を確認するのを忘れてしまいましたが、社伝を裏付けるような石碑と思います。
Img_0765c 帰り際に、最初に見た社名標の碑陰を確認したところ、「国幣大社 御旅所」とありました。寄進したのは、水野英三郎というかた。国幣大社は、多度大社ですから、多度大社の御旅所ということ。5月5日の多度大社神輿渡御の折りには三基の神輿が奉安されるそうです。ちなみに、この記事を書くのにあれこれ調べていたら、日本武尊が東征において、この地から尾張国に向けて船を出したことにちなむという話もあるようです(こちら)。いやぁ、ここは立ち寄ってよかったと思います。このあたりは多度町肱江。肱江川を越え、さらに1㎞ほど進みます。
Img_0798c 美濃街道に面して野志里(のじり)神社があります。延喜式に名を列ねる古社。ここは、今回のハイImg_0801c キングで是非とも訪ねたかったところ。垂仁天皇の御代の創祀と伝えています。倭姫命が天照大神を奉じて、ここ桑名郡野代宮にお着きになり、4年間この地で宮居を造られたと伝わるとこなのです。倭姫命は、その後伊勢に遷幸され、その野代宮の跡に本社が創祀されたといいます。
Img_0803c 想像していたよりも、質素なお社でした。しかし、荘厳というか、由緒があることを十分に感じさせる雰囲気です。主祭神は、当然ながら、天照大神。相殿神は、たくさんおられます。建御雷神(タケミカヅチノカミ)、天児屋根命(アマノコヤネノミコト)、経津主神(フツヌシノカミ)、姫神(不明)、大山咋神(オオヤマクイノカミ)、速玉之男神(はやたまのおのかみ)、事解之男神(コトサカノオノカミ)、八衢比古神(やちまたひこのかみ)、八衢比売神(ヤチマタヒメノカミ)、衝立久那戸神(ツキタテフナドノカミ)、火之迦具土神(カグツチノカミ)、火之夜芸速男神(ひのやぎはやをのかみ)、火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)、品陀和気命(ホンダワケノミコト;応神天皇)、大山津見神(オオヤマツミノカミ)、宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)、白山比売神(しらやまひめのかみ)です。すでにおなじみの神様も多いのですが、ここで初めて名を目にする神様も多数。
Img_0796c 神社から美濃街道を挟んで東側の社地には、「伊勢神宮御旧蹟野代Img_0793c の宮」という石碑が建っています。一説によると、関ヶ原の戦いの時に、薩摩藩兵が多数、ここ美濃街道を通ったため、境内が東西に二分されたという話があるそうです。
Img_0791c 同じく東側の社地には、この「天照大神御𦾔跡式内野志里神社」という石碑もあります。明治Img_0835c 26(1893)年10月に建てられています。揮毫は、三重県知事・成川尚義(なりかわなおよし)。この石碑の上部にある「天照大神」の文字、よくよく見ると普通とは異なっています。「照」という文字のれっか(連火)の部分が「火」になっています。「照」の旧字だそうです。
Img_0820c 野志里神社の社殿の北西には、「千人塚」があります。これは、長島一Img_0822c 向一揆の時、法泉寺の空明は、農民たちと力を合わせて織田信長の軍と肱江川を挟んで戦っています。生き残った空明は戦死者の首を集めて,篤く葬ったのが、この千人塚だそうです。その後、関ヶ原の戦に負けた西軍の兵士の霊も慰めたそうです。
Img_0826c 野志里神社の境内には、まだ見るべきものがあります。左は、由緒を書Img_0830c いた石碑。大正13(1924)年3月に有志の方が建之したと碑陰にはありました。この記事の6つめのパラグラフに書いたような内容が刻まれています。右は、社務所の前に置かれていた「奉力石」。「大正ロマンの石」という副題があり、重さは36貫(150㎏)だそうです。「大正初期此石を肩迄上げた力自慢の面々」として、前野三エ門、前野与三郎他4名の方々のお名前が説明板に記されていました。
Img_0841c ところで、この野志里神社が面しているのは、旧・美濃街道。桑名から長良川に沿って美濃へと通じる街道です。桑名市川口町を起点とし桑名市多度町を通り岐阜県へと続く街道で、養老鉄道とほぼ平行して通っています。わが家近くの三崎見附を通っているのも、この美濃街道。神社で案内して下さっていた「のしろおたから発見隊」の方の説明によれば、関ヶ原の戦の時、ここを薩摩藩兵が通り、そのため、野志里神社の境内地が二分されてしまい、現在のようになったということでした。
Img_0844c 野志里神社を参拝し、見学を終えたのはもう12時少し前。この辺でスタImg_0845c ートからは6㎞半くらい。さらに南に、美濃街道をたどります。神社からすぐのところには、「前野先生頌徳碑」がありましたが、詳細は不明。碑陰を見てきませんでしたし、ネットでも情報は出て来ません。
Img_0848c この頌徳碑のすぐ目の前にはこのような道標がありました。「御衣野員辨道」とあります。御衣野は多度町内の地名で、下野代や下深谷の西あたりを指します。員辨(員弁;いなべ)は、現在の北勢町員弁。その3は、ここまでとします。ほぼ6.5㎞の地点。その4では、お寺の話が続きます。次に訪れた徳蓮寺は、ナマズの絵馬がたくさん奉納されていますし、秋篠宮殿下もいらっしゃったところです。

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5月らしい陽気……花菖蒲はボチボチ

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 5月らしい陽気という日でした。判で押した如く(苦笑)、いつものように散歩であります。8時半出発、住吉神社、九華公園、京町、寺町(体験学習で大賑わい)、三崎見附、田町と5.4㎞。11時半帰宅。距離が短めですが、九華公園でお二人と話し込んでいたからであります(微笑)。
Img_4755c 鳥も少ないこの時期、気になるのは、九華公園の花菖蒲。「去年の今頃はもっと咲いていた」と記憶に頼って書いていましたが、昨年の今頃のブログを見ると、今年の方がまだ咲いている花菖蒲の数は多くなっていました。記憶よりも記録です。どこかの政治家や、お役人さんにもよく伝えねばなりません(笑)。1枚目は、管理事務所の南、2枚目は本丸跡の、それぞれ花菖蒲園の様子。
Img_4726c こちらは、管理事務所の前にあるプランター栽培の花菖蒲。一昨日から咲いているそうです。今日は、久しぶりに管理人のSさんがご勤務で、話し込んでしまいました。公園のこと、桑名の歴史その他昔話などです。春先に入院、手術をお受けになったのですが、元気にカムバックなさり、嬉しい限りです。
Img_2797c 九華公園の外周の遊歩道には、近所の方が植えたアジサイがあちこちにあります。今日、見て回ったら、こんな感じ。まだつぼみというのがほとんどでしたが、こちらは花が咲きそうな印象(正確には、花ではなく、萼が大きく発達した装飾花)。
Img_2802c 京町近くまで行ったら、こんな光景が。葉っぱはアジサイと同じ感じですImg_2807c から、これ、アジサイでしょうか? 右の写真も同じお宅にありました。
Img_2740c さて、鳥さんはいません。見事にいません。スズメ、ドバト、ムクドリ、カラImg_2786c_2 スは目にしますが、あとはカワラヒワや、シジュウカラを少し見るくらい。左のスズメ、たまたまジャンプしているところが撮れましたが、写真としては不出来。
Img_2811c 京町の呉服屋さんのツバメ。ヒナは、この間は6羽いたと思うのですが、Img_2833c 今日見たときは4羽。親ツバメも巣に1羽いました。巣の掃除か手入れをしていたようです。
Img_2854c 田町の商店の巣には、まだヒナは孵っていませんでした。親もどこか、外Img_2843c 出先から帰ってきました。もう1つ、田町にある巣には、ヒナ2羽と親1羽。
Img_2762c 一昨日(5/18:ツバメのヒナは6羽……花菖蒲は少しずつ増えていまImg_2788c す)、九華公園にミドリガメが上陸して来ていることを書きましたが、今日は、穴を掘って卵を産もうとしているらしきシーンに遭遇しました。小1時間あとに見に行ったら、穴はあったのですが、卵は見当たりませんでした。穴は他にもありましたし、他にもカメがウロウロしていました。
Img_2747c 九華公園のカメといえば、このシーン。甲羅干しスポットは、今日も大賑わい。公園に来る子どもたちには大人気ですし、公園をあまりご存じでない大人の方たちも興味深そうに見て行かれます。
Img_2736c 今週から、江戸橋方面は、1回に2コマの授業が始まります。どうなることやら(笑)。8時50分開始で、10分休憩で2コマ連続授業。教室は、同じところを割り当てていただきましたが、体力的に持つのでしょうか? まぁ、あれこれいわずに取り敢えず今週、チャレンジであります。

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