2019年4月23日 (火)

九華公園はきわめて静か

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 曇ってはいますが、昼までに20℃を超えています。今日は、いつも通りの散歩。住吉神社から九華公園、貝塚公園、内堀公園のImg_3176c あとは、京町、寺町、田町と5.9㎞。右のつつじは、名所のものではなく、拙宅マンションにて撮影。かなり咲いてきました。

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 冬鳥たちはほとんど見なくなりました。今日の散歩では、ツグミ、シメ、シロハラはまったくいません。皆、もう帰っていったImg_3189c ものと思われます。七里の渡し跡を歩いているとき、アオサギが1羽、上空を通過。三の丸水門の上流側には、ヒバリが1羽。柿安コミュニティパークや、三の丸公園には、ヒヨドリ、ムクドリ、ドバト、スズメしかいません。柿安コミュニティパークにある藤棚では藤が咲いてきましたが、昨年までと同様、東側の半分しか咲きません。藤の木は2本ですが、1本しかつぼみを付けていません。

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 クマバチさんが、蜜を集めに来ています。ヘンに刺激しなければ、攻撃されることはないのは知っているものの、あの羽音を聞くと、ちょっとビビります(笑)。

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 九華公園は、静かでした。「静か」というのは、二重の意味で、散歩する人もさほど多くはありませんし、野鳥Img_3206c の声も聞こえてこないということ。花見の時の賑わいがウソのようです。野鳥も、カワラヒワ、ドバト、ムクドリ、ヒヨドリ、スズメがいるものの、数が少なくて、鳴き声もあまり聞かれないです。つつじの咲き具合は、場所によってかなり違います。写真は、よく咲いているところを撮りますので、誤解なきように願います。公園全体としては、咲き始めという印象です。

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 キンクロハジロご一行は、13羽が滞在中。いつもは、堀の東側エリアにいたのですが、今日は、九華橋の南に集まっていましImg_6966c た。昨日は19羽だったようですが、もうゴールデンウィークも目の前ですから、例年通りということでしょう。あまりにも鳥が少ないので、スズメとムクドリに持っていたパンを与えて、遊んでもらいました(微笑)。スズメの方が反応が早く、すばしこく寄って来ます。

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 チョウも、アゲハ、モンシロチョウなどがよく飛ぶようになって来ています。ツバメの巣も巡回してきましたImg_6993c_1 が、今日はどの巣にも親ツバメはいませんでした。どうなっているのでしょう? もうそろそろ卵を産んでもよい頃かと思うのですが……。住吉入江にいる、翼を痛めたヒドリガモのオス、今日は、南の端(寺町商店街に近いところ)にいました。水面を見つめて、何やら物思いにふけっているように見えます。

 さて明日は、江戸橋方面、今年度2回目ですが、天気がアヤシい(苦笑)。去年からのジンクスを引きずっているような気がします。

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2019年4月22日 (月)

伊勢大橋、大山田川方面に行くも、鳥果すくなし

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 暖かいを通り越して、暑くなりました(苦笑)。今日の最高気温は、28.2℃(13時56分)。毎年ゴールデンウィーク頃、急に暑Img_6765c くなったりするようですが、体調が追いつきませんねぇ。今日の散歩は、住吉神社から、いつもとは逆に、揖斐川の上流方面へ。ブロ友のひらいさんが、大山田水門のところにサギが集まっていることがあると書いておられましたので(2019.04.20 お散歩日報)、確かめに行こうという次第。揖斐川右岸を歩いて、長良川河口堰を右の写真のように見て、伊勢大橋を越え、大山田水門からいったん上之輪新田を回り、沢南橋あたりから大山田川を養老鉄道の播磨駅のところまで行って引き返します。新宮西橋から南へ。くわな特別支援学校、養老鉄道の高架橋を経て帰宅という6.9㎞コース。

Img_6777c  伊勢大橋までは、我が家から1.5㎞ほど。桜堤防を越えたあたりで河川敷におります。例年、このあたりにはヒバリがいます。今Img_6767c 日も合計6羽ほど(たぶん3ペア)。揚げ雲雀も見られましたが、これをきれいに写真に撮るのは難しい。他には、けっこう離れたところから、ケリも飛び立ったのですが、写真には撮れませんでした。

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 伊勢大橋。久 しぶりに、また、ナイショで伊勢大橋の下をくぐって行くことにしました(笑)。橋を潜ると、甚内ポンプ場の排Img_3084c 水樋管のところに出ます。その先に水門があり、そこで、大山田川が揖斐川に注ぎます。ひらいさんがサギが集まっているのをご覧になったのは、右の写真の木のあたり。しかし、今日、ここにいたのは、ダイサギとアオサギが1羽ずつ(右の写真は、いずれも飛び立ったあとですから写っていません)。

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 右上の写真を撮る前には、ダイサギがいたのですが、すぐに逃げられました。また、アオサギも、こちらが気づく前に飛び立ちました。逃げ足が速いこと。その他は、コガモが4羽と、カルガモが1羽、ヒヨドリが数羽いたのみ。サギが巣作りをしている様子もありません。

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 アオサギはもう1羽いましたが、こちらも、近づこうとしただけでサッサと逃亡(苦笑)。見て、写真を撮るだけなのですかImg_6805c_1 ら、もう少しフレンドリーな対応をしてもらいたいものです。長いつきあいなのですし(バードウォッチングを始めて7~8年になるはず)。

 

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 大山田川の北にある沢北川から、上之輪新田に出ます。上之輪新田には、ケリでもいないかと思ったのですが、スズメ、ムクImg_3102c ドリの他、ツバメやイワツバメが飛んできていた他には、モズのオスが1羽。もっと北の方へ行けば、ヒバリなどがいたかも知れません。

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 上之輪神社に立ち寄って、小休止。沢南橋に出て、大山田川を遡ります。コガモは、かなり少なくなったものの、養老鉄道のImg_6841c 播磨駅近くまでの間で合計10羽ほど。今日は、この間、イワツバメを除いては、ハクセキレイ1羽、キジバト、アオジらしき姿1羽、ヒヨドリ、イソシギ1羽くらいしかいません。ひょっとしたら、カワセミもと期待したものの、まったく見かけませんでした。

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 イワツバメはたくさん飛んでいますし、あちこちの巣からも顔を覗かせています。巣にいるのは、子どもだろうと思います。もっとハッキリと写真を撮りたいと思うものの、ここは橋の下。道路から真上を見上げなくてはなりませんので、けっこう大変。首が痛くなりますし、あまり見上げているとふらつきそうになるのです。飛んでいるところも撮影にチャレンジしましたが、やはり難しい。

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 橋の下の川原にイワツバメが降りて来る様子もありましたが、あいにくとちょっと距離があり、クリアには撮れませんでしたし、何をしているのかもよく見えませんでした。このあと、さらに川を遡って、養老鉄道の鉄橋まで行き、対岸に渡って戻って来たのですが、今日は鳥果はあがりませんでした。

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 帰り道、くわな特別支援学校の前にある「くわとくガーデン」を見てきました。ここは、校庭に木を植えたImg_3150c り、木の手入れをして学校の緑を増やす活動として行われていますが、いろいろの花木があり、季節の花を楽しめます。

 

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2019年4月21日 (日)

冬鳥は帰ったか?……藤が丘デザイン公園の御衣黄についてのトンでも情報

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 さすがにソメイヨシノは、ほぼ葉桜になりましたが、八重桜があちこちでよく咲いています。今日も、近鉄ハイキングはありまImg_6707c すが、さすがにパス(昨日歩いたのと、非常勤、相談会の準備などもありますから)。今日はいつも通り散歩。8時20分からほぼ3時間。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、田町と5.9㎞。左の写真は、三の丸公園のソメイヨシノと蟠龍櫓。右は、九華公園の奥平屋敷跡にある八重桜。九華公園には、八重桜は数えるほどしかありません。

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 九華公園では、外周遊歩道の日当たりのよいところで、つつじがかなり咲いてきています。本丸跡や、二の丸跡などは、まだほImg_3025c んのチラホラという感じ。つつじまつりは、5月1日からですが、もう寒さも戻ってこないでしょうから、これから一気に咲いてくると思います。

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 本丸跡にある藤棚もご覧の通り。手入れとか、施肥とかされていないように思いますが、それをすればもっと見事になるのではImg_3014c ないかという気がします。ちょっともったいない(他の公園でも、同様です。桜などもほとんど植えっぱなし。伐採というか、剪定というか、それはするんですがねぇ)。何事に付けても「予算がない」のだそうで、街路樹なども、1本おきに切ってしまっているという話も聞きます。もう少し智慧を働かせて欲しいところです。

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 今日は、どこへ行っても野鳥の姿をあまり見ませんでした。揖斐川にはもう水鳥はいません。三の丸水門のところで、ヒバリは見ましたが、ツグミはいなくなった感じ。九華公園でも、キンクロハジロは20羽。ツグミ、シロハラはおらず、シメの鳴き声を聞いた気がしましたが、確認はできません。いたのはドバト、スズメ、ムクドリ、ハシボソガラス、キジバト、ヒヨドリにわずかなカワラヒワ。去年は、巣材を運ぶシジュウカラや、巣に就いていると思われるエナガを見ましたが、今年はサッパリ。

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 貝塚公園も同様。スズメ、ムクドリ、ヒヨドリとカワラヒワ。ここも、ツグミ、シロハラは見られませんでした。もう冬鳥たImg_6728c_1 ちは帰ってしまったのでしょう。こういう状況ですから、知り合いに会わないと、散歩が早く終わってしまいます(笑)。

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 散歩コースにあるツバメの巣も、一通り見てきました。ツバメはよく飛び回っているものの、巣にいるのはまだ少ない状況でImg_6755c す。左の写真は、博物館の玄関にある巣。修復作業が進んでいるようですし、ここに行ったとき親ツバメが1羽、飛び出てきました。ここは営巣してくれそうです。右は、京町の呉服屋さんの巣。親ツバメが巣に就いています。最初に見たときはいませんでしたので、まだ卵はないのではないかと思います。

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 今日は、3日ぶりにいつものコースへ行きましたが、その分、知人に一通り会えました。その数10名あまり。ご夫婦もいらっしゃるので、9組。私と同年齢から、最高は86歳の男性。皆、お元気です。あれこれ世間話に花が咲きます。私の悪影響を受けて、野鳥に目が向くようになった方や、旅行に行って、城や名所旧跡があると寄り道するようになった方などがあり、笑えます。決してそういうことを強要しているわけではありません(微笑)。

 その知人のお一組から聞いたお話。奥様は鳥だけでなく、花木にもご興味があり、よくご存じの方。藤が丘デザイン公園に御衣黄があることをお話ししたら、見に行かれたのですが、その結果、「御衣黄は、2本だけであとの数本は、ウコンだと思う」ということでした。鑑別点もしっかり教えてもらいました。なおかつ、市役所に電話したら、まったく要領を得ない返答であった上(御衣黄があることさえ、しっかり把握していないようでした)、さらには「誰かが、落ちていた看板を勝手に付けて、それで間違っているのでしょう」、「満開でないと分からない」、「来年、業者に見に行かせる」などとふざけた返事だったそうです。「ついでがあったら市役所にキツくいってやってよ」とお怒り。九華公園にも市役所の担当部署の職員はほとんど来ませんから、私としては「さもありなん」と思えます。現場の状況を把握しないで、ちゃんとした仕事はできません。

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2019年4月20日 (土)

20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(予告編)

Img_2358c 今日は、JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ行ってきました。JR東海の「TOICAエImg_2359c リア拡大記念」と銘打ったウォーキングです。というのも、JR関西線では、3月まではICカードが使えたのは、四日市駅まででした。それが亀山駅までの各駅でも使えるようになったのです。スタートは、JR関西線・河曲(かわの)駅。といってもあまり知られていないかも知れません。関西線の四日市から下り方向には、南四日市、河原田、河曲、加佐登、井田川と続いて、亀山が東海エリアの終点。河曲駅は、鈴鹿市木田町にあります。もとは木田信号場として開設され、その後、昭和24(1949)年に鈴鹿駅として開業したものの、周辺の発展ができず、また、駅から市役所まで約20分も歩かなければならず、年々乗降客は減少し、当時、建設中であった国鉄伊勢線(現・伊勢鉄道)で鈴鹿市の中心部である神戸地区に新駅が設置されることをきっかけに新駅の名称を鈴鹿駅とし、こちらを河曲駅に改称しました(昭和48(1973)年)。元々無人駅で、駅も写真のようにちょっと淋しい状況です。

190420jrwalkkawano 本日のコースマップ。河曲駅での受付は、8時半から11時。佐佐木信綱記念館、石薬師寺(いしやくしじ)、加佐登(かさ190420jrwalkingkawano_1 ど)神社、鈴鹿フラワーパーク(鈴 鹿市植木まつり会場)、荒神山観音寺と回って、JR関西線・加佐登駅がゴール。マップ上は、9.8㎞。このブログをお読みくださっている方には、先刻ご承知と思いますが、加佐登というのは、最初の就職先&一人住まいがあったところです。石薬師あたりは、その少し四日市寄りにある自由が丘というところには、当時、食事などに来たことがありますが、旧東海道沿いは初めて。佐佐木信綱記念館も、石薬師寺も訪ねてみたかったところです。今朝は、JR桑名駅を8時51分に出る亀山行き普通電車に乗車し、河曲駅着は9時20分。¥410。右の画像が、実際に歩いたルート。若干寄り道していますので、11.5㎞を歩いてきました。先日(4月11日)の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」も予告編で止まっていますし、非常勤も始まり、また相談会も予定していますので、先行き不透明ではありますが、取り敢えず、今日のところは、予告編(苦笑)。

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 9時25分に河曲駅をスタートしてすぐに関西線の線路を渡り、田園地帯を進みます。田植があちこちで行われていました。以前は、ゴールデンウィークくらいでしたし、われわれが子どもの頃は、6月頃だったように思います。ずいぶん早くなったもの。浪瀬川沿いを上流に向かって進み、三重県消防学校と県立石薬師高校の北側を回って、国道1号線を歩道橋で渡って、旧東海道に出ます。ちなみに、浪瀬川沿いには、何カ所かに「この川にはまむしがたくさん生息しています」などという表示があってビビりました。

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 旧東海道に入ったところで、スタートからは2.8㎞ほど。時刻は、10時。旧東海道は、桑名の七里の渡し跡から四日市の日永の追分までは歩きましたが、石薬師宿あたりは初めて(この先の庄野宿は、近鉄ハイキングで半分くらい歩いています(2018年12月6日:20181202近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(その2)……庄野宿からJR関西線加佐登駅へ))。石薬師宿(いしやくししゅく、いしやくしじゅく)は、東海道五十三次の44番目の宿場です。元和2(1616)年に宿場となっています。徳川家康が、東海道を制定したのが慶長6(1601)年ですから、15年ほど遅れています。四日市と亀山の間が長すぎたので、高富村にあった集落を東海道の通る台地の中央部に移して、村落にして、石薬師と名づけたといいます。石薬師の名前は、石薬師寺に由来します。今日歩いた東海道は、ここから石薬師一里塚跡まで。

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 東海道に入って100mほどの右側(西側)に、小澤本陣跡があります。表示は2ヶ所ありましたが、いずれも本陣の敷地だといいます。大名の名前が書かれた「関札(せきふだ、宿札ともいう)」や、江戸時代の宿帳が残されていて、赤穂城主・浅野内匠頭の名前もあるそうです。この近くに松の大木があったので、「松本陣」ともいったという話があります。小澤本陣跡の向かいには、園田家が務めた問屋場がありました(と書きつつも、見忘れました。気づいたときには、かなり進んでいて、戻る元気が出ませんでした……苦笑)。

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 小澤本陣跡のすぐ先、やはり右側に本町集会所となっている「天野記念館」があります。ここは、タイムレコーダーで名高いアマノ株式会社の創業者・天野修一(明治23(1890)~昭和51(1976)年)翁が、昭和39(1964)年に故郷である石薬師町本町のために建てたものです。 天野修一翁は鈴鹿市に奨学資金を寄贈して若人の育英に偉大な功績をあげています。前庭にある記念碑の「天野記念館」の文字は天野修一翁の揮毫によるもの。 

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スタートからほぼ3㎞、石薬師小学校の隣に「佐佐木信綱記念館」があります。この記念館は、佐佐木信綱資料館、信綱の生家、Img_2516c 石薬師文庫、土蔵からなっています。 歌人であり、国文学者として有名な佐佐木信綱(明治5(1872)~昭和38(1963)年、佐々木弘綱の長男)は、三重県鈴鹿郡石薬師村(現鈴鹿市石薬師町)に生まれています。資料館には、第1回の文化勲章をはじめ、信綱の著作や遺品が展示されています(資料館は昭和61(1986)年に完成)。生家は、昭和45(1970)年に移築されています。

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 こちらは、石薬師文庫。佐佐木信綱が、昭和7(1932)年、還暦にあたり、旧石薬師村に寄贈したものです。以前からあったImg_2472c 土蔵を文庫として、この建物は閲覧所として建てられました。伊勢国学に関する多くの版本や写本を含む貴重な書籍が贈られています。現在は、地域の図書館としてボランティアにより運営されています。この石薬師文庫の前には、距離標(石薬師村の道路元標)が立っています。碑表には「距 津市元標へ 九里四町十七間」とあります(35.8㎞ほど)。

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 佐佐木信綱といえば、もちろん上述のように、歌人、国文学者として有名ですが、私には、唱歌「夏は来ぬ」の作詞者としてImg_2527c のイメージが強くあります。「卯の花の 匂う垣根に 時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ」が浮かんでくるのです。「卯の花」は、ウツギ。記念館の敷地だけでなく、石薬師の町中には至る所に、この卯の花が植えられています。記念館の玄関脇の日当たりのよいところでは、もう咲き始めていました。

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 佐佐木信綱資料館で、珍しく土産を買ってしまいました。栞です。右の3つは、伊勢型紙のものでこれらが1セット。左は、卯Img_2536c の花の押し花であろうと思いますが、そこに「卯の花の匂ふ垣根に」と手書きで添えられています。これは、家内の母へ。余談ですが、家内の母は私が読み終え、謹呈した時代小説を読んでいるのです。さらに、資料館前に地元の「のぶ庵」という和菓子屋さんが出張販売。「卯の花もち」、1個¥110でしたので、お買い上げ(微笑)。途中、どこかでおやつにするつもり。

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 佐佐木信綱記念館を出て、石薬師小学校南の交差点を渡ったところには、浄福寺という真宗高田派のお寺があります。山門のImg_2549c 前の石の築山の上に信綱の父・弘綱の記念碑が建っています。ここは佐々木家の菩提寺。開基は、室町時代の永正年間(1504~1520年)と伝わっています。記念碑には、「わかの浦に 老いを屋しなふ 阿し堂徒盤(あしたずは) 雲の宇辺越(うえを)も よそに見類(みる)か難(な)」。

 

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 浄福寺の先にある交差点には、道標と、川はないのに橋の親柱が残っています。親柱には、「南町橋」とあります。道標にImg_2582c は、「上田加佐登」と刻まれています。上田も、加佐登もこれから歩いて行く先の地名。道標は、大正13(1924)年に田中音吉(弘化5(1848)~大正5(1916)年)が建てたもの。田中音吉は、実業家で、米穀・製茶業を営んでいたのですが、前橋や八王子の蚕糸業を視察し、明治20(1887)年、郷里の三重県鈴鹿郡亀山で製糸業を始めました。明治30(1897)年には、亀山共同社(のちの亀山製糸会社)を設立しています。

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 さらに石薬師の町を進み、3.6㎞ほどのところで国道1号線にかかる瑠璃光橋(あとから知ったのですが、この「瑠璃光」は、石薬師寺の旧名によります)を渡ります。ここはまだ旧東海道Img_2619c のルート。1号線を越えるとすぐに高富山(たかとみざん)石薬師寺があります。ご本尊は、弘法大師自らが、一夜にして爪で刻んだとされている薬師如来像。秘仏になっていて毎年12月20日のおすす取りに合わせて、開扉されます。真言宗東寺派のお寺。寺伝によれば、神亀3(726)年、泰澄(奈良時代の山岳修験者。加賀国白山を開創したと伝えられる)が、当地で巨石の出現を見、薬師如来の示現と悟り、草庵を設け供養したことが開創とされています。その後、弘仁3(812)年、空海(弘法大師)が、巨石に薬師如来を刻み開眼法要を行い、人々の信仰を集めたことにより、嵯峨天皇(在位809年 – 823年)は勅願寺とし、荘厳な寺院を建立し、名を高富山 西福寺 瑠璃光院と称していたといいます。ちなみに、安藤広重が描いた「東海道五十三次」の石薬師宿には、この石薬師寺がモチーフになっています。

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 この石薬師寺で11時前。小腹も空いてきましたし、歩き始めから1時間半近くになりますので、先ほど、佐佐木信綱記念館の前でゲットしてきた「卯の花もち」をいただくことにしました。包みを開けたら、こんな風。イメージとしては、桑名や四日市で売っている「なが餅」を丸くしたもの。食べてみても、まさにその通りでした。三重県内の東海道・伊勢街道は、「餅街道」と言われるくらい。あちこちでいろいろなタイプのお餅、あるいはそれに類した菓子が名物になっています。一息ついて、次へ。

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 今回はあまり予習をしてこなかったのですが、石薬師宿については、「ホントに歩く東海道(風人社)」と「チャント歩けるImg_2683c 東海道五十三次 袋井宿~京三条大橋(山と渓谷社)」の該当箇所だけは見てきました。それによると、石薬師寺のすぐ東に「蒲冠者範頼之社(かばのかんじゃのりよりのやしろ)」があると書かれていました。範頼は、源範頼(みなもとののりより)で、義朝の第6子、頼朝の弟。蒲冠者と称しました。頼朝の命令で、弟・義経とともに西国への遠征隊の総指揮官となりました。学問武芸に秀で、願望成就の神として信仰されています。ここは、御曹子社(おんぞうししゃ)ともいうようです。鳥居の脇に「蒲桜」への案内があります。

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 案内にしたがって60mほど南へ行くと、「蒲桜(かばざくら)」がありました。三重県指定天然記念物。寿永年間(1182~Img_2712c 84年)の頃、蒲冠者源範頼が平家追討のため、西へ向かう途中、石薬師寺に詣でて武運を祈願し、戦運を占うため鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに挿して、「我が願い叶いなば、汝地に生きよ」と言って去ったのち、生長したのがこの蒲桜であるという言い伝えがあります。ヤマザクラの変種の一つで、赤茶の芽、花は一重の五弁、直径5cmで白~淡紅色。まだ花が残っていました。

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 「蒲桜」を見てから指定されたルートに戻り、南へ。スタートから4.6㎞のところに、「石薬師一里塚跡」。江戸・日本橋からは、百二里。1里は約3.927kmですから、400.6㎞。現在は、塚はありませんが、土手にエノキが植えられています。蒲川の西岸に位置し、かつては東海道の両側に榎が植えられてのですが、もともとあったエノキは、伊勢湾台風で折れたそうです。今あるエノキは、昭和52(1977)年に若木が植えられ、そのときに「史跡石薬師の一里塚跡」の碑が建てられています。また、ここには、石薬師宿の標柱があります。東海道はここから、左折して西へ。JR関西線をくぐって、加佐登から庄野宿に向かいますが、ウォーキング・コースは直進し、国道1号を越えて(潜ります)、鈴鹿市上田町へ。今日は、これで国道1号を3回横切りました。

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 石薬師一里塚跡から2.2㎞ほど登って来ると、加佐登神社に出ます。このあたりは、かつて働いていたときにも何度か来ていまImg_2776c す。前にも書きましたが、当時所属していた野球部で(おまえが野球部?というツッコミは、今回はスルーします)、花見などあれこれ理由を付けて、宴会、BBQに来ていました。ただ、当時も今も、この表参道から神社に行くのは、大変。右の写真のように、こういう階段になった参道を5分も登る必要があります。この5分というのは、鳥居近くの境内案内板にある数値。写真はありませんが、階段下には、「必要な方はお使いください」と杖が置いてあります(笑)。今はまだ大丈夫ですが、そのうち必需品になります。

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 主祭神は、日本武尊。相殿神は、天照大御神、豊受大神、火之迦具土神、気吹土主神、速玉之男命、天羽槌雄神、大国主命、伊邪那美神、伊邪那岐神、大雀命、建速須佐之男命、菅原道真、品田和気命、予母都事解之男神、息長帯比売命、大山津見。相殿神はまだ調べていませんので、今日のところはリンクはありません。日本武尊の能褒野(のぼの)陵墓と伝えられた白鳥塚古墳の横に鎮座し、尊が死の間際まで持っていたといわれる笠と杖をご神体として祀っています。延喜式神名帳にある、伊勢国鈴鹿郡の倭文神社(しとりじんじゃ)を合祀したと伝えられます。ここも、先日訪ねた伊奈富神社と同様に、紫ツツジの名所(2019年4月12日:20190407近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」(その2)……稲生民俗資料館と伊奈富神社(その1))。

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 古来、御笠殿社(みかさどのしゃ)と呼ばれていました。 江戸時代後期の国学者・平田篤胤は「御笠殿社由来記」(1829年)で、腫物などの病に霊験あると記しているそうです。 境内には倭文神社慈悲山廃寺があったと伝えられます。明治6(1873)年に「笠殿」(かさどの)から現社名へ改め、明治41(1908)年に近隣の神社16社を合祀し、現在の姿となっています。このため、相殿神がたくさんいらっしゃるというわけです。加佐登神社に着いたのが11時45分頃でしたので、ここで昼食。今日は、自宅から持参したおにぎり2つ。

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 おにぎり2つを食べ終え、12時15分に再スタート。加佐登神社の北西にある白鳥塚古墳を見に行きます。ここは日本武尊の墓Img_2831c といわれ、その霊が白鳥となって飛び去ったという伝説が残されています。7基から成る白鳥塚古墳群の主墳で、三重県下最大の帆立貝式古墳です。本居宣長や平田篤胤ら江戸時代後期の国学者の多くが、白鳥塚を古事記にあるヤマトタケルの能褒野(のぼの)陵墓として最有力視していました。明治9(1876)年、教部省は白鳥塚をヤマトタケル陵墓と治定したのですが、明治12(1879)年に宮内省はそれを覆し、丁子塚(現亀山市)を治定しました。以後、丁子塚がヤマトタケル陵墓(能褒野王塚古墳)とされています。

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 加佐登神社の北西にある鈴鹿フラワーパーク。今日は、ここで鈴鹿市植木まつりが開かれています(~4/21)。ここは、季節Img_2876c 折々の花が色鮮やかに咲き、噴水や花の丘、桜の広場、野点広場などの施設があります。また、大型複合遊具などもあり、お子さんを連れた家族で賑わっています。植木まつりではありますが、庭もないのに植木を買って持って帰るわけにもいきませんので、通過(微笑)。

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 鈴鹿フラワーパークのほぼ隣には荒神山観音寺があります。ここは、近鉄ハイキングできています(2018年12月2日:Img_2887c 20181202「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(予告編)……最初の勤務地あたりを訪ねて、センチメンタルジャーニー、2018年12月7日:20181202近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(その3)……加佐登の町を経て、荒神山観音寺へ)。スタートから9.2㎞、12時45分の到着。 真言宗御室仁和寺派のお寺。9世紀の初期、嵯峨天皇の時代、弘仁3(812)年に、弘法大師が日本武尊を御神霊を仏像としてまつり、神事山(こうじやま)と称したのが始まりです。その後、寛治元(1087)年に大和の国の法陵律師という聖僧が、神事山の観音大士のお告げによってこの地を訪ね、檜の大樹の下に十一面観世音菩薩がいらっしゃる姿を見い出して、御堂を建立安置したといいます。創建時は、紅葉山高宮寺と呼ばれ、加佐登神社周辺にあったとされる慈悲山寺(廃寺)の末寺でした。これで本日の立ち寄り先は、コンプリート。

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 加佐登の町を抜けて、13時20分にJR関西線・加佐登駅に無事ゴール。明治25(1892年)2月6日に関西鉄道の河原田 - 亀山Img_2942c 間に高宮駅(たかみやえき)として開業。明治36(1903)年加佐登駅に改称。はじめに書きましたように、ここまでに11.5㎞を歩き通しました。平成24(2012)年10月1日に無人駅になっています。が、今日は大賑わい。売店も出ており、桑名からも安永餅、美鹿山荘も出店していました。

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 今日は、TOICAエリア拡大記念のさわやかウォーキング。ICカード利用者のうち、先着1,000名に「フリクショImg_2954c ンペン」をいただけるということで、ありがたく頂戴して来ました。 また、鈴鹿市からの記念品として、右の写真にあるようなキャラクターの入ったクリアファイルをいただきました。うえきぴーあーるキャラクターの「たまさぶろう」です。

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 加佐登駅では、古いスタンプ。それもそのはず、これは、昭和57(1982)年にJR関西線が完全電化したときのもの(私が鈴鹿で就職したのは、昭和54(1979)年4月。その頃は、非電化で名古屋から1時間半くらいかかっていました。とんでもないところに来たと思ったものでした)。今日のImg_2959c 河曲駅も、加佐登駅も新たにICカードが使えるようになりました。加佐登駅でも、右の写真のように、ICカード用の、入場、出場をチェックする機械が設置されていました。

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 JRさわやかウォーキングの参加は、去年11月以来、今日でようやく5個目。今後とも、精進を重ねないといけImg_2980c ません。加佐登駅を13時34分の快速名古屋行きに乗車。四日市までは各駅停車なのですが、それ以降は快速になり、桑名に止まったらは名古屋。便利です。¥500。右は、本日のALKOOのデータ。ウォーキングの11.5㎞に桑名駅往復が1.8㎞。合計では、13.3㎞でした。

 取り敢えず予告編は、以上の通りです。リンクなどが貼ってないところもありますが、後で追記します。

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2019年4月19日 (金)

長島やすらぎの水辺パークでボタンを見に行ったものの早すぎて苦笑……なばなの里、治水神社で御衣黃、サギの営巣も

Img_2065c  午後からは風が出てきましたが、午前中は風もなく、雲が広がったものの22℃ほどとなりました。今日は(も?)プチ遠征。4月16日の中日新聞朝刊・北勢版に「長島やすらぎの水辺パーク」でボタンが咲いてきたというニュースがありましたので、それを見がてら、なばなの里の御衣黃を探し、治水神社でアオサギの営巣状況と、先日の桜が御衣黃かどうか確かめに行ってきたという次第。8時半出発、11時半過ぎに帰宅。長島やすらぎの水辺パークの牡丹園には17種類240株の色とりどりのボタンがありますし、そばには長島川が流れ、遊歩道が整備されていますから散策も楽しめるのです。

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 新聞によると、ボタンは20日頃には見頃を迎えるということでした。一部では左の写真のように見事な花を咲かせていたものImg_2085c の、残念ながら、全体としては、まだまだでした。右の写真のように、ちょっと早すぎたという感じ。しかしまぁ、自然のことですから、やむを得ません。

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 駐車場から水辺パークへ行く途中、長島川沿いではモズのオスが、けたたましく鳴いていました。何があったのかよく分かりませんが、左の写真のように、鋭い表情でした。

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 次いでなばなの里へ。ブロ友のひらいさん情報で(2019.04.13~14 お散歩週報(オマケはN里))、C駐車場(観光バスなどの駐車場)の西側エリアに御衣黃があるということでImg_2094c したので、確かめに行ってきました。ありました。情報通り、C駐車場の西側(なばなの里に沿った側)に数本。これで、我が家近くでは、藤が丘デザイン公園、治水神社に次いで3ヶ所を確認できました(治水神社については、後述)。

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 この写真は、北向きに撮ったもの。奥に見えているのが、B駐車場で、花市場の南にある駐車場。ここまで、我が家からクルマで10分あまり(伊勢大橋が渋滞していなければ、ですが)。藤が丘デザイン公園へも10分ほどですから、近場で2ヶ所あるというのはありがたいこと。このあと、治水神社へ。

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 治水神社。ここへは、この月曜に来たばかり(4月15日:三重・岐阜・愛知三県御衣黃ツアーは成功したか?……木曽三川公園や、アオサギの様子なども【船頭平河川公園の御衣黃について付記しました(4/15)】)。社務所の前にある桜、御衣黃だと思Img_2189c ったのですが、「ウコンかもしれない」というコメントをいただいたので、確かめるのと、月曜日は強風でアオサギの営巣状況がよく確認できなかったからです。

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 神社の方に確認したところでは、「御衣黃です」ということでしたので、ちょっと安心。ここまではクルマで15分ほど。伊勢Img_6493c 大橋から中堤(なかてい)に入って、国営木曽三川公園の木曽三川センターのすぐ南にあります。あとで写真を載せますが、全区間が長良川と揖斐川にはさまれた堤防上の道路です。御衣黃と確認できましたので、安心して本殿裏の鎮守の森にあるアオサギの巣を見に行きます。

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 まずこちらは、拝殿の正面から、その背後にある松の木を見たところ。賑わっています(笑)。4つの巣があるのが見て取れまImg_2166c す。先日は、強風で巣に就いているアオサギは少なかったのです(巣に就いているのは、おそらくすでに卵があるところだろうと推測しています)。巣をつくるのに適した場所があるのでしょうが、賑わっているのはたぶんそういうところ。

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 見ていますと、アオサギたちは、けっこう頻繁に巣を出入りし、オスたちは巣材にする枝を運んで帰ってきます。毎度目にすImg_6629c る光景ですが、自分たちよりも長い枝を運んでくることが多くなっています。今のところ、長い枝の方が、メスが喜ぶのかと思っていますが、それは全くの当てずっぽう(苦笑)。オスが巣材を集め、メスが巣をつくると言われます。

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 ご覧のように、巣材を巣に運んできたオスがいるかと思うと、そのすぐ上を巣材探しに出かけると思われる、別のオスが通過Img_2176c して行ったりします。眺めていると、退屈しません。また、右の写真のように、ペアで協力して巣をつくっている様子も見られます。

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 ひらいさんの情報にもありましたが(2019.04.06~07 お散歩週報(オマケはN里))、今年はダイサギもここで複数組が営Img_6618c 巣しています。去年、一昨年は見られなかった光景です。ダイサギも、忙しく飛び回っています。眼先が緑がかっているのは、婚姻色。ちなみに、アオサギも、ダイサギもまだヒナがいるようには見えませんでした。

 

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 治水神社から南には、千本松締切堤があります。千本松原といったりもします。宝暦治水関係の史跡で、治水工事の完成を記Img_6695c 念して、薩摩藩士が油島締切提の上に千本の「日向松」の苗を植えたものと伝わっています。それが成長し、現在では樹齢200年を越える立派な松林となっています。写真に向かって右手が治水神社。左は南の方角。南新って、木曽三川公園や治水神社の方を振り返ると、右のような景色。この道路が、初めの方で触れた「中堤」です。

Img_2249c  上右の写真を撮ったところの左には、宝暦治水関係の記念碑が3つあります。帰りにまだ時間がありましたので、立ち寄って来ました。治水神社から南へほぼ1㎞のところ。まずは、「近代治水百年記念碑」。明治の三川分流工事着工(明治20(1887)年)から100周年を記念して、先人の遺業と治水の重要性を広く訴えるために建てらたものです。横2m・縦1m・高さ50cmの台座には、治水の恩人平田靱負とヨハネス・デ・レーケのレリーフがはめ込まれていました。

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 近代治水百年記念碑の少し北には、「宝暦治水之碑(正碑)」。薩摩藩による宝暦の御手伝普請(宝暦治水)の功績を後世に伝えるため、明治33(1900)年、成戸の締切堤上で行われた三川分流成功式典のあと、場所を移してこの碑の除幕式が行われたもの。建立に奔走したのは、桑名・多度の西田喜兵衛をはじめとする地元の篤志家でした。碑表の題字は、時の内閣総理大臣・山県有朋です。山県は、ここに来て、碑の文面を読み上げたといいます。碑の囲いには、丸に十の字の薩摩・島津家の家紋がありました。

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 さらにその北にも石碑があります。こちらは、「宝暦治水之碑(副碑)」。正碑建立に当たって、山県有朋はじめ、西田喜兵衛までの拠金者、建碑に尽力した人の名前が刻まれています。このあたりのことについては、ここや、こちらもご覧ください。

Img_2298c  これらの記念碑を見に行ったとき、植え込みの剪定や掃除の作業をしている方たちがいらっしゃいました。「何の写真を撮りImg_2314c に来たの?」と聞かれ、「野鳥です」と答えたら、「カワウの写真を撮って、どうするの?」とさらに聞かれました(爆)。そうなのです、最近、ここ千本松原の松並木には、カワウがたくさん営巣しているのです。松並木の写真をよく見ていただくと、白くなっているところがありますが、これはカワウたちの糞のため。「野鳥の写真」というと、カワウを連想するかも知れません。この方には、「治水神社で繁殖しているアオサギの写真です」と言葉を尽くして説明しておきました。

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 今日のような陽気でしたら、クルマで走るときには、オープンにしたくなります。雲が多かったので、今ひとつではありましたが、コペンをオープンにして走ってきました。まさに爽快そのもの。中堤を走っているときも、鳥たちの鳴き声がよく聞こえましたし、エンジン音も堪りません(微笑)。これから5月にかけては、オープンカー日和です。

 さて、明日は、JRさわやかウォーキングに行きたいと思っています。5月3日に相談会を予定していますから、その準備もあるのですが、明日は「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」(リンクは当日まで)で石薬師宿に行くのです。鈴鹿にいた頃、石薬師あたりもクルマで走ってはいたものの、ほとんど通過地点できちんと訪ねたことがないのです。JR関西線も、四日市駅以南でもトイカが使えるようになった記念ウォーキング。これは行かない手はありません。

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2019年4月18日 (木)

冬鳥はいよいよ少なくなりました……博物館のツバメは巣の手直し中

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 昨日とはまったく違ってよい天気。気温も20度を超え、散歩をしてきたら汗を掻いたくらい。空も青くて気持ちが良いのですImg_1989c が、冬鳥たちはさらに減って、ほとんど見かけなくなりました。8時20分から、いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、京町、田町、寺町と6.4㎞を回って来ました。冒頭の写真は七里の渡し跡、右の写真は、柿安コミュニティパークの東の堤防から見た揖斐川の上流。多少は、パターンを変えないといけません。

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 まずはこちら。飛び方や姿形からは、どう見てもコウモリ。九華公園の朝日丸跡あたりをヒラヒラと飛んでいました。真っ昼間から、明るいお日様の元で、です。どうかしたのでしょうか? 我が家のあたりでも、夕方、日が落ちた頃飛んでいるのを見ることがありますが、昼間見たのはほとんどありません。

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 他に九華公園で見た鳥は、ツグミ1羽。今日は、九華公園に来るまではいませんでした。二の丸跡にて。シメは、公園内を2週目Img_2017c_1 に、朝日丸跡で何か飛んだと思ってシャッターを切ったら写っていました。このほか、コゲラやシジュウカラ、ムクドリ、ドバト、スズメ、カワラヒワを見ていますが、冬鳥はこの2羽だけ。貝塚公園でも、ツグミを2羽見ていますが、シロハラは今日は確認できませんでした。

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 九華公園のカモは、29羽。いずれもキンクロハジロ。相変わらず、堀の東側のエリアでゆったりしています。いつもの例ですと、もう半月もしないうちにいなくなるはず。それにしても、皆、挨拶もなしに帰って行ってしまいますから、ちょっと残念。

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 九華公園というか、鎮国守国神社の境内では、ナンジャモンジャが花盛りでした。今年は気づくのがちょっと遅れたかも知れImg_2021c ません。本名は、ヒトツバタゴ。2~3年前、このナンジャモンジャの手前にあった木を伐採して、日当たりがよくなってからよく咲くようになりました。つつじは、公園外周遊歩道の南側のエリアでよく咲いています。

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 ツバメの巣も巡回してきました。こちら、桑名市博物館の玄関の上にもあります。今日、よく見たら、巣の手直し作業をしていImg_6423c_1 るようでした。ツバメも出入りしているのが見えましたが、このすぐ近くには、水田などはありません。どこまで行って泥などを調達してくるのでしょう? 鳥の子育ても大変です。このほか、6ヶ所の巣には、見に行った時点では、親ツバメは巣にはいませんでした。

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 ハナミズキも気づかない間にあちこちでほぼ満開になっています。ハナミズキは、地元・桑名市の花。4月後半ですから、もう寒くなることはないでしょう。散歩も、これからは汗ばむ季節。ツバメ以外、散歩コースで営巣している様子が見られません。木の高いところなどで、気づかないまま子育てをしているのかも知れません。遠征して、アオサギなどのサギ山も見たいともいますが、身近で何とかヒナの姿も見てみたいところです。

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2019年4月17日 (水)

江戸橋に行くときは雨というジンクスの行方やいかに(笑)?

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 いよいよ江戸橋方面のお仕事、今年度初出勤でした。去年は、雨が多いというジンクスに見舞われてしまっていましたが(2018年6月20日:授業点描と通勤電車の楽しみ……オマケはジンクスの検証(笑))、さて今年はいかに(笑)? 左は実は、帰宅の時に近鉄・江戸橋駅で撮ったもの。このとき、12時過ぎ、霧雨。帰りに桑名駅を降りたら、小降り。帰宅後は、けっこうしっかり降ってきました。非常勤先でお世話になっている助手の先生からも、「先生、今年は雨、大丈夫でしょうかね?」とお気遣いをいただいてしまいましたが、初日は、微妙なところ。

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 さて、授業は2時間目、10時半から12時。初回の出席者は50名ほど。皆熱心に聞いてくれましたので、スタートはたぶん上々。Dscn0903c 「たぶん」というのは、私の独断と偏見だけでは判断できないからです。出席票をざっと眺めたところでは、不評や批判はありませんでしたが……。4月中は来週もう1回あって、その次は、例の10連休を挟み、5月8日。7月末まで合計15回です。構内の桜は、ほぼ終盤。

Dscn0913c  今日は、帰りに見て来たいところがありました。それはこちら、江戸橋です。昨年度はまだ架け替え工事中でしたが、無事に完Dscn0918c 成したか見たいと思っていたのです。津市の志登茂川にかかる、現在は、津市道江戸橋上浜町線の橋ですし、このあたりの地名でもあります。伊勢街道の一部で、江戸時代にはすでに橋がかかっていたとされており、津藩主・藤堂氏の参勤交代時に橋の傍まで見送りに来たことが橋の名の由来とされます。橋にはそれにちなんだ飾りも付けられていました。こういう計らい、なかなかのもの。

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 橋は完成していましたが、通行できるのはまだ人と自転車に限られていました。車道は通行止め。橋のたもとから川沿いの道へDscn0922c もまだ出られませんでした。歩道と自転車通路は、かなり幅広く取られています。これは、江戸橋駅からここを渡って、三重大学に通う学生や、教職員の方が多いからではないかと思います。

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 橋から志登茂川の上流を覗いたら、カモメが1羽。ちょっと遠かったので、何かまではハッキリしませんでした。帰宅して、昼食後は、出席者名簿や、出欠の整理。これから、質問、コメントなどを読んで、補足説明をつくらねばなりません。

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2019年4月16日 (火)

話半分ではなく、話が半分(微笑)

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 昨日と打って変わって,風も弱く、気温も上がってぽかぽか陽気という感じ。8時半から散歩に出たものの、いつもなら20分ほどで着く、九華公園まで1時間半あまりもかかりました(微笑)。知人お二人に出会って、あれこれ話をしていたのです。その後九華公園を一回り、京町から寺町に。寺町を出るところでまた別の知り合いに出会って,半時間ほど四方山話。11時半過ぎに帰宅したのですが、今日の散歩は、「話が半分」という次第。5.1㎞。ソメイヨシノは、ほぼ終わり。

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 住吉神社前から見える、揖斐長良川の中洲。今日はずいぶん久しぶりにダイサギの姿がありました。このほかにもアオサギ1羽、Img_6303c ダイサギ1羽が下流側にいました。もう繁殖期を終えたサギたちなのか、その辺りは不明。三の丸公園には、ツグミが1羽。さらに、三の丸水門のすぐ下流にはヒバリのペア。近づいても逃げません。右は、冠羽が立っているので、オスかと思います。

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 九華公園の回りなど、あちこちに「灯街道・桑名宿」の幟旗が出て来ました。今年は、5月1日〜3日の開催。 点灯時間は、18時〜21時。今年は、灯街道ウォーキングなどのイベントもあるそうです。

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 九華公園についたのは、10時10分とかなり遅め。この時間からでは、鳥たちもあまり活動はしていません。シメImg_6330c の鳴き声を聞いたのと、ツグミ、シジュウカラ、カワラヒワを見たくらい。カモは、この時期にしては珍しく41羽もいました。花見も終わり、散歩する人も少ないので、のんびりしています。

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 カモの中に、もうすでに帰っていったと思っていたのですが、ヒドリガモのペアが1組混じっていました。マッタリ中(微笑)。来ないと思っていたので、ちょっと嬉しくなります。

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 九華公園、ソメイヨシノは「散り果て」ですが、すでに藤の花が咲いてきていました。本丸跡の西側に藤棚がImg_6347c 1つありますが、それがもう咲いているのです。以前に比べると、咲き始めが早くなったような気もします。

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 そして、つつじも日当たりのよいところでは、ご覧のように、いくつも花が咲いています。公園内には、約550本のつつじ(ヒラドツツジ、オオムラサキツツジ)があるといわれ、5月1日からつつじまつりがありますが、それに先だって、かなり咲きそうです。私自身は、桜も良いと思うのですが、九華公園のつつじもそれに負けず劣らず、見事と思っています。

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 住吉入江にいた、翼を痛めたヒドリガモのオス、このところまた登場しています。やはり帰れないのかと気になります。

 ところで明日からは、江戸橋方面の非常勤の講義が始まります。幸い、明日は天気は良さそう(去年は、雨に降られる日が多かったのです)。

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2019年4月15日 (月)

三重・岐阜・愛知三県御衣黃ツアーは成功したか?……木曽三川公園や、アオサギの様子なども【船頭平河川公園の御衣黃について付記しました(4/15)】

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 天気はよくなったのですが、すごい風。5~9m/sほどの風が吹いています。ソメイヨシノもほぼ終わりましたので、そろそろ御衣黃も咲き始めただろうと思い、今日は、「三重・岐阜・愛知三県御衣黃ツアー」を挙行してきました(微笑)。残念ながら、愛知県では御衣黃は確認できませんでしたが、岐阜では思いがけないところで発見。詳細は後ほど。

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 まずは、市内の藤が丘デザイン公園へ。お子さん連れで遊びに行ったり、夜景を観賞したりするスポットでもあります。ここにImg_6036c は御衣黃が2ヶ所に計6本あります。御衣黃は以前から知っていたのですが、2年前にここにあるのを知って以来(2017年4月18日 :御衣黄を見に行く……コアジサシ営巣地と、長良川河口堰もチェック)、見に来ているのです。

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 過去2年は、ここにある御衣黃の花は、割りと咲きそろっていたと思うのですが、今年は木によって様子が異なっていました。寒暖が定まらなかったためかも知れません。藤が丘デザイン公園にいた時間帯は、雲がけっこうかかってしまい、また、風も強くて今ひとつという感じでした。駐車場が狭くて、すぐに満車になるのが、ここの難点。今週中にもう一度くらい見たいものです。

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 続いて、こちらへ。治水神社。岐阜県海津市海津町油島にあります。宝暦治水に携わった薩摩藩の平田靱負を治水の神としImg_1773c て、昭和13(1938)年5月25日に創建されました。今日改めて境内を回って、鳥居の手前にある社号を示した石碑の揮毫者が、あの東郷平八郎元帥でした。ここへ来たのは、御衣黃を求めてではなく、拝殿の背後にある鎮守の森で営巣するアオサギを見たいと思ってでした。

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 しかし、お参りをして境内を回っていたら、社務所の前に御衣黃と八重桜が咲いているのを見つけたのです。儲けものImg_6106c という感じ(微笑)。自分が知らないだけで、本当に思わぬところにあるものです。治水神社あたりも強風でしたが、御衣黃が咲いているところは、鎮守の森や、社務所で風が遮られていて、ゆっくり鑑賞できました。

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 こちらは同じところにあった八重桜。八重桜もシーズンを迎えたようで、藤が丘デザイン公園にも、このあと立ち寄った船頭平公園でも咲いていました。

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 アオサギの話しに行く前に、治水神社のあるあたりは、「史跡油島千本松締切堤」になっています。海津市海Img_1793c 津町油島にある堤防跡。木曽川・長良川・揖斐川の三川分流工事にともなって、分流堤に約1,000本の松が植えられた堤防です。宝暦3(1753)年、幕府が薩摩藩に治水工事を命じ、同藩は翌年春から1年間かけて河川合流部に締切堤を築造しました(宝暦治水)。この工事は困難をきわめて多数の犠牲者を出し、多額の工費を費やしたため、完工後に総奉行の平田靱負(ゆきえ)は自刃したといわれます(病死説もあります)。当時、平田靱負の指揮で九州から取り寄せて堤防上に植えられた多くの日向松(ひゅうがまつ)が帯状であったため、千本松原と称されました。左の写真は、上流方向を向いて(木曽三川公園の方角)、右の写真は下流方向(桑名方向)を撮っています。

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 治水神社に来た主目的は、アオサギの巣や、繁殖を見るためですが、折からの強風で、パッと見たところ、樹上にはその姿がImg_6146c ありませんでした。ズームレンズを望遠鏡代わりに見ると、何カ所かの巣にはアオサギがへばりついているように見えました。左の写真は、南側から神社の拝殿の背後の松の木を撮ったもの。中央と、下の方にアオサギらしき姿が見えています。境内を回ると、西側の長良川の中洲に避難しているアオサギが数羽。強風で巣にいられないのでしょう。巣にいるのは、卵があるところかと思うのですが、そこまでの確認は到底無理。

Img_1849c 神社の北にある木曽三川公園に回ってみてみたのが、これら2枚の写真。左の写真には巣が3つ写っていますImg_1852c が、左のものと、右下のものには親がいるようです。左のものにズームして見ると、右の写真。確かに、1羽のアオサギが巣に伏せるようにしているのが分かります。10数mくらいの高さなのでしょうが、この強風では大変です。

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 この強風の中、それでもめげずに巣材を咥えて運ぶ姿も見られました。野鳥たちの繁殖行動は、まさに本能的なものですから、「今日は、風が強いから作業中止」という、柔軟な対応は取れないのでしょう。左の写真のアオサギさん、自分の背丈より長い枝を咥えています。オスが巣材を運び、メスが巣をつくるのですが、大きい方がメスが喜ぶのでしょうか(笑)。オスも大変。ブロ友のひらいさん情報では、ダイサギもいたというのですが(2019.04.06~07 お散歩週報(オマケはN里))、今日は確認できず。

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 帰ろうかと思ったら、巣に帰ってくるアオサギも何羽か見られました。強風に煽られ、大変そうですし、着地というか、着木というか、バランスを崩しそうになっていました。

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 ついでに国営木曽三川公園木曽三川センターへもちょっとだけ立ち寄って来ました。チューリップ祭は、昨日で終わりましImg_1847c たが、まだそのままでした。エントランスあたりしか見てきませんでしたが、それなりに楽しめました。右は、ローアングルからチューリップ、水と緑の館・展望タワー(高さ65m)、青空を入れてみました。自分では気に入っています(苦笑)。

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 続いて、船頭平河川公園へ。ここは愛知県愛西市立田町。半日足らずで、三重・岐阜・愛知の三県を制覇(微笑)。写真は、木曽川文庫の建物。ここは、木曽三川に関する各分野の図書・研究論文等の収集保存を図り、先人の偉業を顕彰し、併せて今日的な治水のあり方を学ぶ場として建てられました。船頭平閘門の管理所も兼ねています。ここにも御衣黃があるはずなのですが、去年は、ハッキリ確認できませんでした(2018年4月10日:デザイン公園と船頭平閘門で御衣黄、治水神社でアオサギ)。

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 この木だったか、この木に向かって右にあったかと思うのですが……。写真のこの木、花は白く、八重咲きではありません。御Img_6206c 衣黃ではないと考えられます。他にもそれらしい桜は見当たりませんから、なくなってしまった可能性が大。したがって、愛知県では御衣黃は見つけられず、という結果。ハナモモを撮って、船頭平閘門も見てきました。

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 まだ時間がありましたから、桑名市長島町内へ。やはりひらいさん情報で、なばなの里にも御衣黃があるということで、道沿Img_6242c いや、駐車場近くを通過しながら確認したのですが、見つけられず。そのまま、某臨時駐車場へ。コチドリや、ケリ、コアジサシが過去に繁殖しているところ。今日いたのは、ヒバリのペア。1組か2組か判断しがたいところ。左のヒバリは冠羽を建てていますから、オスの可能性が高いと思います。右はともに行動していましたヶ、こちらがメスかなという気がします。

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 コチドリもいました。こちらも、移動しましたので、判断が難しいのですが、1組か、2組。左右の写真のコチドリは、近くにImg_6269c いましたから、ペアだろうと思います。右の写真のコチドリ、地面に嘴を突っ込んで餌となる虫を捕まえたところ。

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 虫を捕まえる前は、これらの写真のような行動をしていました。写真を撮っていたら、睨まれたような気もしImg_6266c ます(苦笑)。これら駐車場での写真は、すべてクルマの中からとっています。そうでないと、すぐに逃げられます。

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 駐車場には、ツグミも1羽。コチドリの近くにいたのですが、両者があまり接近すると、ツグミが嫌がって追い払っていました。

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 最後に(そんなにあちこち行ったのか、といわれるかも知れませんが、帰宅途中です)、長良川河口堰へ。こImg_6290c こはとんでもない強風。それ故、東端で魚道とカモの様子だけ確認。帽子が飛ばされるどころか、身体ごと吹き飛ばされそうでした(苦笑)。パッと見たところ、キンクロハジロばかり200羽以上。数えられるような状況ではありませんので、全くの印象。

Img_6286c 東側の魚道脇にいつも掲げられている吹き流しは、アユのぼりになっていました。アユが遡上する期間は、吹き流しではなく、このアユのぼりになっています。今年の初遡上は、3月2日で、これまでに6,919尾が遡上しているそうです(リンク先をご覧ください)。

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 ということで、三重・岐阜・愛知三県御衣黃ツアーは、岐阜で広いもの、あいちではちょっと残念な結果という結末でした。今週からは、江戸橋方面の非常勤の講義が始まります。去年よりも1週間遅くなりました。7月末まで毎週水曜の午前中、講義に出かけます。今年も大過なく終えたいと思っています。写真は、治水神社の八重桜。

【付記(4/15 20:30)】

E297eea2  こちらは、一昨年(2017年)4月18日に見てきた、木曽川文庫の御衣黃の写真です(2017年4月18日:御衣黄を見に行く……コアジサシ営巣地と、長良川河口堰もチェック)。木曽川文庫の建物の南にありました。今日の写真では、「この木だったか、この木に向かって右にあったかと思うのですが……」のところに載せた写真の辺りを南側(写真でいうと、左手)から撮ったものですが、やはり御衣黃はなくなったと考えるのが妥当と思われます。

 ひらいさんからいただいたコメントで、なばなの里の御衣黃の場所をきちんと把握しました。近いうちに行きたいと思います。ご関心がおありの向きには、コメントをご覧ください。

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20190407近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」(その3)……伊奈富神社の続き、鈴鹿サーキットを通過して、いよいよさくらまつり会場を経て、平田町駅へゴール(完)

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 間が空いてしまいましたが、忘れているわけではありません。4月7日の近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」のその3です。伊奈富Img_0386c_2 神社にはいろいろなものがありましたので、まだ伊奈富神社をウロウロしています。伊奈富神社は、神代、東ヶ岡(鈴鹿サーキット地内)に神霊が出現し、今よりおよそ2,100年前の崇神天皇5年、勅使が来て「占木」の地にて占いが行われ、神路ヶ岡に大宮・西宮・三大神の三社が祀られたことに始まると伝わっている歴史のある神社。主祭神は、五穀や、食物の神である、保食神(ウケモチノカミ)大国道命。

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 前回(その2)では、七島池や、境内社、拝殿などを見て回り、また、ムラサキツツジの写真を載せました。今回は、境内社や、Img_0501c 拝殿の裏(北側)を回ったときに見つけた招魂碑、石碑などから。右は、境内裏手、北東にあった「三大神旧跡」。前回も触れましたし、この記事の初めにも少し書きましたが、「神路ヶ岡に大宮・西宮・三大神の三社が祀られた」ところがここと思われます。そうすると、このあたりが「神路ヶ丘」ということになります。左の写真に掲げた案内図では、この南に山の神があったはずですが、それには気づきませんでした。後で調べたら、稲生民俗資料館の北に会ったようで、もう少し先に行けば見られたと思います。

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 境内の北西、もっとも奥まったところに立派な招魂碑がありました。書は、陸軍大将勲一等功二級子爵・桂太郎で、素人がいうImg_0559c のも何ですが、すばらしい文字です。その下には、戦没者のお名前が刻まれています。西南の役日清戦争日露戦争大東亜戦争の戦没者の132名の方の名前がありました。裏には、明治32(1899)年3月建之とあります。日清戦争(1894~95年)の後に建てられ、その後、日露戦争、太平洋先生の戦没者のお名前も載せたと思われます。神社の北西にある小高い丘にありますが、周囲の環境もよく、こういう表現がよいかどうか分かりませんが、よい感じの招魂碑でした。

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 この招魂碑に向かって左手前には、「亡き戦友に 一目見せたや 稲生山の 桜とつつじと 藤の花 坂鍈一」という歌碑がありました。平成10(1998)年4月に、坂鍈一さん(88歳)が「戦友に捧ぐ」ために寄進されたもの。

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 以下は、見てきた順にしたがって載せていきます。「大井富蔵翁頌徳碑」は、神社拝殿の裏、招魂碑に向かう道の右にあります。陸軍大将・菱刈隆(ひしかりたか)の書。大井富蔵は、明治元(1868)年稲生村に生まれ、タバコ製造販売業の後、大阪に出てアスベスト事業で成功。伊奈富神社に神灯を献上したり、豊御崎神社の修繕に寄附したり、軍人援助に多大な功績があったといいます。昭和16(1941)年に没。没後、その遺志によって稲生村に教育費として、当時のお金で1,500円を寄附しています。

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 続いて、「獅子祭碑」。拝殿の北、招魂碑の南約100mのところの通路の西側にあります。明治36(1903)年12月建立で、ずImg_0542c いぶん古びていて、傾いてしまっています。伊奈富神社の獅子舞は、約1,300年前、壬申の乱の後、天武天皇が戦勝報賽に獣神を埋納されたことを起源に、約800年前の平安時代、天長年間(824~834年)には弘法大師が参籠の折、獅子頭を奉製され、また、承安4(1174)年には高倉天皇が四頭の獅子頭を奉納され、この頃に始ったといいます。伊奈富神社には、鎌倉時代の弘安3年(1280)の銘が入る獅子頭(県下最古の獅子頭、県文化財)が残っています。碑には、獅子祭の由来が書かれています。書と篆額は、津の書家の市川塔南によるもので、碑文は神主・稲生一忠です。

Img_0546c  こちらも、拝殿の北、招魂碑の南の通路の東側にあります。大井力の歌碑。「生きあぐむ 折りには皆が 集はむよ 紫つつじの 花の下蔭」とあります。大井力は昭和11(1936)年、稲生の生まれ。碑は、平成23(2011)年4月に「とよのみさき短歌会」が建立しています。

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 「佐野昌邦歌碑」です。拝殿の西参道にあります。「さと人の ゆきかふかほも てるばかり 伊奈冨のやしろつつじ咲きけり」とありますが、こちらには、「『咲きたり』の誤記」と注釈がありました。佐野昌邦は、算所の神主だそうです(算所は、鈴鹿市算所町と思います。ゴールの平田町駅の南東)。この詩は、明治29(1896)年刊行の「伊勢名所和歌集」に出ているといいます。碑は、昭和63(1988)年4月に建立されたもの。

Img_0415c  もう一つこれも。「七島池の碑」。「日本最古の庭園」ともあります。碑陰には、「坂 鍈一」。招魂碑の手前にあった歌碑の詩を詠んだ方。これで一通り見て回ったと思ったのですが、こちらを調べてみたら、他にもたくさんありました。ちょっとガックリ(苦笑)。本殿近くには、「鈴木庄九郎歌碑(七島の 御池のほとりに 鎮座ます 五穀の神を 祀る村人)」。拝殿裏には、「吉崎金弥歌碑(錦谷が雅号)(紫のかさね羽衣 かけしごと みやまおほいて つつじ群れ咲く)」。もと山の神の近くには、「真宮禾堂句碑(神の秘むる いろ紫に つつじ山)」。菩薩堂の東には、「大井好定句碑(つつじ山 みおやのめぐみ しのび歩す)」。参道木型の門近くには、「鈴木信重翁漢詩碑(七島池を拝すという表題)」などなど。見逃した方が多いくらいです。さらに、稲生民俗資料館脇には、鈴鹿市制50周年記念碑もあったのですが、「つつじと文化財のさと稲生」とあっただけ。「何じゃこれ?」と思って写真だけ撮ったのですが、いつの間にかそれも削除してしまっていました(苦笑)。碑表を見てこなかったのですから、失態(笑)。まだまだ修行、経験とも足りません。

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 伊奈富神社に着いたのが、10時55分頃。50分近く資料館、境内を歩き回っていましたので、お腹も空いて、持参したおにぎりを七島池のほとりで1個。つつじまつりで唐揚げその他の露店も出ていたのですが、あまり食べると、まだ先の方が長いのでと我慢。伊奈富神社で約4㎞でしたが、それは後で調べて分かったこと。コースマップを見ると、まだ半分も来ていなかったのです。Img_0600c

 伊奈富神社を出たのが11時50分頃。出たところで、交通整理をしていた氏子の方から、「どこから来た? 今日はどこを歩いImg_0602c て、どこへ行くの?」と声をかけられました。ついでに道を伺って確かめたのですが、この先で迷いました。直進して、T字路に突き当たったら右折して、伊勢鉄道・鈴鹿サーキット稲生駅の方へ向かうのですが、それまでに交差点があって困りました。他にも男性がお一人ウロウロしておられました。私は、やむなく(やむなくというのは、WiFiのないところでスマホでルート検索したら、データ通信量が膨大になって、料金が上がるかと心配したのです)、スマホを取り出してGoogleマップで検索。たんぼ道を進み、何とか指定されたコースを見つけました。途中、遠くに鈴鹿サーキットが見えます(左の写真)。右の写真は、これで間違いないだろうと思う道に出たところ。

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 伊勢鉄道の高架を3回くぐるという指定通りの道を通って、少々時間をロスした挙げ句、伊勢鉄道・鈴鹿サーキット稲生駅に出らImg_0625c れました。昔は、単に稲生駅だったのですが、F1などで来客が多いので、これに改称されました。ここから「サーキット道路」へ。国道23号線から鈴鹿サーキットへ通じる道を、昔からこう呼んでいます。稲生あたりからは、上り坂が続きます。ハイキング中盤で少々キツい。中勢バイパスを越え、鈴鹿サーキットが見えてきます。

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 鈴鹿サーキットは、説明するまでもありませんが、「モビリティのテーマパーク」。国際レーシングコースを中心としたレジImg_0644c ャー施設。F1日本グランプリ鈴鹿8時間耐久ロードレースなどの開催で知られます。レーシングコースの他に遊園地やホテルなどがあります。鈴鹿で働いている時は、病院に入院している子どもたちのバスドライブなどできたり、研修会を開催したりしました。レーシングコースを走るゴーカートに乗せるのに、体の不自由な子どもたちを抱いて階段を上り下りしたこともあります。今では考えられません(苦笑)。我が家の子どもたちも遊園地に連れて来て、写真の観覧車に乗りましたねぇ。今日はもちろん立ち寄る余裕はありません。鈴鹿サーキット前の交差点を右折し、北東へ。この交差点で、6.5㎞。ようやく半分を超えました。時刻は、12時半を少し過ぎた頃。このあと立ち寄る「鈴鹿さくらまつり」の会場で、コースマップを呈示するとソフトドリンク1本がもらえるのですが、それは、13時まで。ちょっと厳しくなりました。

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 サーキット前で右折すると、鈴鹿サーキットと鈴鹿青少年の森の間を進みます。鈴鹿青少年の森も、鈴鹿の病院で働いていたとき、患者さんたちのレクレーションで何度か来ました。ここは、明治100年を記念して建設され公園です。道伯池という大きな池を囲んだ51.3haもある公園です。と書いていたら、ヘンなエピソードを思い出しました。車いすで園内に入りたいと、管理事務所に依頼したところ「天皇陛下がいらしても歩いてもらう」という返事で、大げんかしたのです(苦笑)。これも若さ故。読み流してください(笑)。

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 地名でいうと、道伯というあたりを延々と、2.5㎞ほど道なりにまっすぐ歩きます。緩い下り坂なので、キツくはないのですImg_0686c が、立ち寄るところも、見るところもありません。桜並木も、道伯2丁目くらいで途切れてしまいました。道伯3丁目で、右の写真のようなビルを発見。「道伯町林医院」とありますが、今は移転しているようです。以前、テレビ東京系列で「空から日本を見てみよう」という番組がありましたが、こういうビルが時々出ていました。「トンガリ物件」といっていたような記憶がありますが、なかなかのとんがり具合。

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 鈴鹿サーキット前交差点から2.5㎞歩いて、算所町南交差点。ここで9㎞、13時頃。左折し、西へ向かいます。鈴鹿の繁華街でImg_0687c ある、平田町や、算所町の近く。地図にあるように、近鉄鈴鹿線・平田町駅の南あたりを歩いて行きます。鈴鹿にいた頃にも何度も来たところだと思うのですが、ハッキリとは覚えていません。今は住宅街になっていますが、田んぼなどが多かった気がします。算所町南交差点から700mほどの大池一丁目交差点を右折して、鈴鹿さくらまつりの会場へ。

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 13時15分、9.8㎞を歩いてようやく鈴鹿さくらまつりの会場に到達(到着ではなくて、到達という感じでした)。15分遅れでソImg_0703c_1 フトドリンクはゲットできません。会場に入ってビックリ。大賑わい。人、人、人……。平田町商店会が主催、4月6、7日の両日開催。ここは、旭化成鈴鹿製作所の構内。桜並木と、グラウンドにある桜が見事で、さくらまつりの時には一般公開されます。昔から、このさくらまつりは行われていて、私が鈴鹿にいた頃もあったのですが、実際に訪ねたのはこの日が初めて。

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 会場には、ステージがあり、着いた時にはコンサート中。飲食ブースや、「めちゃさわれる動物園」と題した移動動物園、子Img_0713c_1 ども縁日などもあって、すごい人。ここさくらまつりの会場で昼ご飯でもと思って、頑張って歩いてきたのに、飲食ブースはどこも大行列(爆)。これではいけません。

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 とにかく会場を一回りしたのですが、飲食ブースは長蛇の列。もっとも空いていたのは、ビールなどを売っている店(微笑)。今シーズン、この日までにまだ「一人花見」を敢行していないこともあって、閃きました(笑)。缶ビール1本、¥350なりをゲット。座るところもありませんでしたので、桜の木の下にしゃがみ込んで「乾杯!」。

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 長居をしていてもすることはありませんので、乾杯を終えたら、桜並木を通り抜けてゴールの平田町駅に向かいます。ここにImg_0735c は300本の桜があるといいますが、どれも見事。並木のところは、桜のトンネルのようになっています。この桜並木は、400本ほどあるそうです(こちら)。

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 「一人花見」は変則的ながら達成したものの、空腹は満たされないまま、ゴールの近鉄鈴鹿線・平田町駅に13時40分に到着。スタートからは3時間55分、11㎞ちょうど。次の伊勢若松行きは、14時5分ですので、どこかで昼ご飯を食べようと思ったものの、駅前には飲食店はほとんどありません。昔はもっとあったような気がしたのですが、今と同様、飲み屋さんばかりだったかも知れません。うどん屋があったものの、ハイキング参加者で満席。コンビニも見あたりません。やむなく、駅の自販機で売れ残っていたカレーパン1個(¥130)と大きめの缶コーヒー1本(¥140)を購入。昼食代わりにしました(苦笑)。昼ご飯に関しては、まったく当てが外れてしまいました。

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 平田町駅は、名古屋線・伊勢若松駅から分岐した鈴鹿線の終点。伊勢若松まで行って乗り換えになります。平田町駅を14時5Img_0224c_1 分に出る伊勢若松行きに乗車。伊勢若松駅には14時15分に到着。すぐ(14時17分)に名古屋行き急行があり、それに乗って桑名駅には14時40分に到着。¥560。ALKOOのデータでは歩いた距離は、1.2㎞となっていましたが、キョリ測では、11㎞ちょうど。自宅から桑名駅往復(朝は、投票のため、精義Img_0224c 小学校を経由)が2.1㎞でしたから、合計13.1㎞。歩数は、22,512歩。この日もよく歩きました。あみま倶楽部のスタンプは、14個目。4月7日の近鉄ハイキング「春を彩る 鈴鹿さくら祭りと伊奈冨神社のつつじ」は、これにて「完」。

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