2020年4月 3日 (金)

20200403「勝手に養老鉄道ハイキング『専通寺のしだれ桜と羽根谷だんだん公園』(駒野)」(完)

Img_9711c  朝は5℃を切り、冷えましたが、日中は暖かくなるという予報でしたので、海津市にある専通寺のしだれ桜と、羽根谷だんだん公園の桜などを見に行くことにしました。散歩友達からも勧められ、ブロ友のくろしばくろまるさんも先日行っていらしたそうで、機会があればと思っていたのを実行に移したという訳です。名づけて「勝手に養老鉄道ハイキング『専通寺のしだれ桜と羽根谷だんだん公園』(駒野)」です。不要不急の外出を続けておりますが、「密閉」「密集」「密接」の3密ではありません。冒頭の写真は、帰りの養老鉄道の車内であります。

Komano  専通寺や、羽根谷だんだん公園へは我が家からクルマで30分ほどですが、今日も養老鉄道を利用しました。多度や養老の山でも眺めながら、のんびり行こうという次第です。桑名から1駅先のImg_9225c_20200403173001 播磨駅まで送ってもらい、8時47分の大垣行きに乗車。駒野駅には9時15分に到着。¥470。

Img_9244c_20200403173201  駒野駅にも、特産物をモチーフにした駅名表示板があります。グーグルマップで調べておい200403komano た地図をてに9時20分にスタート。いつも通り、ブラブラ、あちこち眺めながらです。が、いきなり大回りの道をとってしまいました(苦笑)。駅を出てすぐ左に行けばよかったのですが、それを見落としました。駅からすぐのところに市神神社があり、まずはそこに立ち寄り。ナイガイテキスタイルの工場脇を抜け、薩摩カイコウズ街道と国道258号線を渡り、海津市南濃町奥条地内を歩いたのですが、258号線を渡ったところで曲がるところを見逃し、スマホのグーグルマップに道案内され、専通寺へ。しだれ桜を見て、羽根谷だんだん公園へ。ソメイヨシノの、見応えある桜並木を眺め、上流にあるさぼう遊学館方面へ。ヨハネスデレーケが指導してつくったという「巨石積み堰堤(砂防ダム)」を見て駒野駅に戻るというコース。5.7㎞+αを歩きました。

Img_9267c Img_9270c_20200403174001  市神神社。猿田彦命(さるたひこのみこと)を祀っています。創立年月日は不詳ですが、古来より崇敬が厚く、明治3(1872)年11月に再建したといいます。

Img_9259c  駒野招魂社が隣接してありました。招魂社の境内には、紀念碑。明治33(あるいは35)年Img_9262c に建てられていますので、日清戦争にかかわるものと思われますが、草木が生い茂っていて、詳細は読めません。

Img_9295c_20200403175001  途中、やや端折りますが、専通寺の近くにお地蔵様。こImg_9298c_20200403175001 のあたり、道が思っていたよりもかなり細く、微妙に曲がっていて、昔のままと思われます。このお地蔵様、なかなかよいお顔をなさっていました。

Img_9326c_20200403175401  黄金山専通寺。真宗大谷派のお寺。9時45分に着きました。ここは、しだImg_9308c れ桜で有名。樹齢二百数十年と百数十年の2本の親子しだれ桜があり、古くから地域の人々に親しまれているといいます。葉が出て来ており、時期的にちょっと遅かった気がしますが、さすがに立派でした。

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 私がついたときには、他には女性が一人、写真を撮っておられただけで、ほぼ独占状態で楽しめました。あちこち周りながImg_9318c_20200403175501 ら、写真を撮ってきました。ここ専通寺、ネットで調べたのですが、情報が出て来ませんでしたので、その由緒などは分かりませんでした。

Img_9391c  専通寺の山門とそこへ続く参道。いい感じでした。古刹という感じ。この参道入り口には、Img_9302c忠魂碑と「南無阿弥陀佛」の名号碑がありました。忠魂碑は、昭和8(1933)年5月に奥條在郷軍人青年会が建てています。名号碑は、昭和22(1947)年2月、奥條信濃會が建てたもの。

Img_9371c_20200403193701  さらに、その北には、「九条殿御納経地」という石碑がありました。「安政三丙辰年三月建之 黄金山」と刻まれています。九条殿があの九条家であるなら、藤原氏の一支族で、五摂家の一つとして代々摂政,関白に任じられることが多かった家ですが、詳細は分かりません。あまりにも想像をたくましくするのも何ですから、次へ(微笑)。

Img_9440c_20200403195101  専通寺から南へ300mほどいくと、羽根谷だんだん公園に行き着きます。さぼう遊学館巨石積堰堤を中心にした自然豊かImg_9466c_20200403195101 な公園です。今の季節、羽根谷に沿って約1,800本の桜が咲くそうです。とくに八重桜は、1,000本もあるといいます。ここは、本当に見事。桑名ですと九華公園や走井山が桜の名所ですが、ここに来てみて、羽根谷だんだん公園の方が見応えがあることを実感しました。

Img_9476c_20200403200701 Img_9486c_20200403195201  羽根谷は養老山系の代表的渓流で、昔は大雨ごとに大量の土砂を押し出し、広大な扇状地をつくり、津屋川や揖斐川を埋めて大洪水の原因となっていました。そこで、河川氾濫を防ぐため、明治6(1873)年に政府が招いたオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの指導で砂防工事が進められました。「砂防先達之碑」は、昭和62(1987)年9月に先人の業績に感謝して建立されています。

Img_9502c  上流の方向へ進み、さぼう遊学館のところを目指します。途中、八重桜の並木。すでに咲き始めていました。1,000本あるとImg_1674c_20200403195201 いいますが、ここはたぶんその一部。

Img_9530c_20200403195201 Img_9551c_20200403195301  前方に巨石積堰堤が見えてきます。これが、ヨハネス・デ・レーケの指導を得てつくられた砂防ダムです。羽根谷には多くの巨石積堰堤があります。ヨハネス・デ・レーケの教えにより、明治11(1878)年に着工し、明治24(189)年に完成しています。

Img_9554c_20200403195301  堰堤に使った石は、人がそりに乗せて運んでいたそうです。石を切り出した跡が、現在も残っているそうです。この明治時代Img_9573c につくられた砂防ダムは、現在も土石流から人々の暮らしを守るための働きをしているといいます。高台にあり、眺めもかなりよいものがありました。いや、来てよかったですねぇ。

Img_9597c  この巨石積堰堤は、さぼう遊学館のすぐ近く。ここで10時50分頃でした。ちょうど小腹も空いてきましたので、一休み(微笑)。近所の方からいただいたお菓子を持参していましたので、それをいただき、お茶を飲んで10分ほど休憩。奥に見えているのが、さぼう遊学館。ただし、新型コロナウィルスの関係で、4月12日までは休館中でした。

Img_9602c_20200403195301  11時に再スタートして、駒野駅まで戻ります。登ってくるときは背後(東)の景色はあまり眺めませんでしたが、帰り道、上から眺めるとかなりよい眺めでした。揖斐川を挟んだ海津の市街地から、名古屋の方まで見渡せます。こういう広々として、開けた空間は気持ちいいですね。日頃のモヤモヤを忘れさせてくれます。

Img_9616c_20200403203201  専通寺の方に戻り、ほぼ来た道を辿って駒野駅に向かいます。羽根谷だんだん公園を出てすぐのあたりで、Img_9639c_20200403195301 駒野駅まで1.5㎞、約20分。薩摩カイコウズ街道のところまで戻ったら、お地蔵さんと石碑があるのに気づきました。お地蔵様も石碑も詳細は不明。石碑には、「奉……」と刻まれているのですが、薄くなって判読困難。「嘉永七……」とあるような気がします。嘉永7年であれば、1855年で、この年に安政に改元されています。

Img_9657c_20200403195301  往きにもここを通ってきたのですが、駒野駅の南には、ナイガイテキスタイルの工場と、シキボウ物流センターがあります。Img_9653c_20200403204001 ナイガイテキスタイルは、シキボウのグループ企業。シキボウは、明治25(1892)年に有限責任伝法紡績会社として創業。私の世代には、敷島紡績という名前が馴染みがあります。私が通ったのは、西側のナイガイテキスタイルの工場脇。西側から見える範囲は、ちょっと荒れた感じ。祠と鳥居も見えたのですが、手入れはされていないような印象。繊維業ですから、最盛期にはさぞ栄えたと思います。

Img_9690c  駒野駅には、11時35分に戻って来ました。駒野駅に着いたときに時刻表を確認したつもりでしたが、どうもImg_9691c_20200403195401 大垣行きの時刻を見たようで、11時56分に桑名行きがあると思い込んでいました(苦笑)。実際には、11時43分に桑名行きがやって来ましたが、無事に乗車。¥470。播磨までと同一料金。帰りは桑名まで乗車。12時18分着、徒歩にて帰宅。

Img_9753c_20200403195401  ALKOOのデータ。歩いたのは、駒野で5.7㎞。桑名駅から自宅が0.9㎞ですから、合計6.6㎞。歩数は、14,158歩でした。けっこう疲れたようで、午後から1時間半も午睡を貪っておりました(苦笑)。

Img_9741c  オマケ。今日はあちこちでツバメが飛び交っていました。こちらは、桑名駅を出たところで見たツバメ。巣をつくって(修繕して)、営巣するのはもう少し先と思いますが、また、ツバメの巣の巡回もしなくてはなりません。

Img_9749c_20200403195401  オマケその2。マイソメイヨシノ。玄関先から見下ろした写真です。ここ何日か、新型コロナウィルスにまつわる動きについてぼやいておりましたが、よほどのことがなければもうやめておきます。例の「アベノマスク」は、経済官庁出身のお役人が、「マスク2枚を配れば、国民の不安は吹っ飛ぶ」と安倍首相に入れ知恵したという話があります。これが本当なら、まったくわれわれを舐めているとしたいいようがありません。呆れましたので、もうぼやくのも止めようと思った次第。いずれにしても、私も含め、皆様にはくれぐれもご留意、ご自愛ください。「移されない」というのも大事ですが、「移さない」配慮も大切と思っています。

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2020年4月 2日 (木)

今日も東員町で花見とバードウォッチング……イヌナシの花リベンジ、藤川の桜並木と町天然記念物のトウインヤエヤマザクラ

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 晴れたものの、強風。午前中は、8m/s前後の風が吹いていました。ちょっと迷ったものの、東員町へ。イヌナシの花のリベンImg_8911c ジと、トウインヤエヤマザクラを探しに、です。まずは、山田溜公園へ。3つの溜池(北から上溜・中溜・下溜)を利用して造られた自然公園で、バードウォッチングも楽しめます。昨シーズンもちょくちょく来ていて、イヌナシが上溜近くにあるのを確認していました。ここは駐車場が少ないので、遅くなると満車で止められなくなるのです。

Img_1507c_20200402173101  冒頭の写真にあるように、南側から見て、向かって左の上の方には花が咲いているのですが、全体としては少なめ。「山田半ノImg_1514c 木谷イヌナシ自生地」として、東員町の天然記念物に指定されています。イヌナシは、野生なしの中でもっとも原始的な種で、4月に白い花が咲き、6月に1センチ位の果実を結びます。マメナシともいわれます。先日も書きましたが、桑名、四日市、東員など伊勢湾周辺に分布しています。

Img_1534c_20200402173101  イヌナシの花を撮っていたら、ヤマガラが出てきました。今シーズンは、いつもの散歩コースでは見られず、Img_1562c 北勢中央公園で見ただけでした。ちょうどソメイヨシノが咲いているところをバックにポーズを取ってくれました。さらに、メジロも。いやぁ、これだけで今日、プチ遠征してきた甲斐があると思えます。イヌナシの木の近くでは、ツグミも目撃。

Img_1574c_20200402173201  ついでにということで、山田溜公園を一周してきました。シロハラ、シジュウカラ、ヒヨドリ、カワラヒワ、ホシハジロのオス、カルガモ、コガモのオスなども確認。左の写真は、シロハラ。ウグイスもあちこちで鳴いていました。動画で音声を録ったのですが、動画の最初と最後に鳴き声が聞こえ、間が空いてしまっていますが、よく聞こえますので、載せておきます。

Img_8964c_20200402173201  山田溜公園には8時50分から9時35分まで滞在。イヌナシの花は、もう1ヶ所、先日行った鳥取神社にもありますが、その前Img_8968c に去年もチョウトンボをよく見に行った万助溜公園へ立ち寄り。こちらでもウグイスがよく鳴いていましたが、あいにく姿は見つけられず。コゲラも同様に、鳴き声のみ。ジョウビタキのオスが出てきたものの、一瞬。ピンぼけで黒っぽい写真のみ。セグロセキレイは、逃げられ写真は撮れず。こちらも撮れたのは、シロハラの写真のみ。ブロ友のmakoさんによれば、しばらく前はカワセミ狙いと思われる方がいらしたようですが、今日は、ウォーキングの人のみ。公園を一周してオシマイ。ここの駐車場から、次に行く鳥取神社まで片道1㎞ほどのウォーキングコースがあります。往復2㎞なら歩くかという気もしたのですが、鳥取神社の後でトウインヤエヤマザクラを探そうと思っていましたので、楽をしてそのままクルマで。万助溜公園には、9時50分から10時15分。

Img_9118c  鳥取神社。10時20分到着。神社近くに来たら、お参りせずにはいられません。静かで、雰囲気も気に入っています。手入れもよくしてあり、Img_9111c 気持ちの良い神社です。拝殿前の燈籠のところ、桜が咲いてなかなかよい景色。

Img_8986c Img_8993c_20200402173201  神社の北にイヌナシの木があります。月曜日は、曇天でしたので、今イチの写真しか撮れませんでしたので、これが今日のリベンジ。左は、東側の入り口から見上げたもの。この位置から撮ると、手前右にあるソメイヨシノが一部、写り込みます。右は、公園内に入って、東南角の柵ギリギリから見た景色。やはり、花は青空の下で見た方が綺麗です。

Img_1599c Img_1597c_20200402180601  風が強かったのでクローズアップは、連写でとにかくたくさん撮って、その中からマシなものをチョイス。先日より開花は進み、ほぼ満開状態。木の周りを潜って、あちこちから眺め、満足。今度は、6月、実がなっているときに来なくてはなりません。

Img_9053c_20200402173201 Img_1611c  鳥取神社のところは、先日の記事にも書きましたが、藤川が流れていて、川の両岸に桜並木があります。日曜のハイキングで、ここから850mほど下流の員弁街道・藤川橋を渡りましたが、そこにも桜並木がありますから、川沿いにずっと桜が植わっているのだろうと思います。左右の写真は、神社のところの橋から1つ下流にある橋からの眺め。いずれも神社の方を撮っています。これで風がなければ、ここで弁当でも食べたいくらい(微笑)。

Img_9038c  こちらは、藤川の北を走る道路からの眺め。遠くには、多度や、鈴鹿の山並みが見えます。いや、こういう広い空間は気持Img_9100c_20200402173301 ちよい。人もほとんどいませんし、新型コロナウィルス云々を忘れて、気持ちが解放されます。右の写真は、桜の根元にタンポポが咲いていたので、何か面白い景色が見えないかと思ったもの。ウ~ン、今イチか(苦笑)。

Img_9088c_20200402173201  レンギョウが咲いているところがあったので、同じような発想で1枚。ここでは30分ほどウロウロして写真Img_9096c を撮っていたのですが、その間、他の花見客は2組のみ。女性3人組と、私より高齢と思われるご夫婦。このご夫婦は、お二人ともカメラを持っておられ、撮影を楽しんでいらっしゃいました。

Img_9130c_20200402173301 Img_9132c  さて、トウインヤエヤマザクラです。最初に訪れた山田溜公園にもあるのですが、それは二代目で(平成29(2017)年秋、初代が枯れたそうです)、まだ十分育っていません。もう1本が、弁天山厳島神社にあるということで、住所をナビにいれ探しに。カーナビでは結局、うまくたどり着かず、最後は、スマホのグーグルマップをナビにして、厳島神社には11時10分に到着。城山小学校の東の小高い山の上にありました。こちらは2号。神社については、また改めて書くか、後で追記します。

Img_9181c Img_9166c  神社までいったん登って、それから拝殿の北東側へ降りていくと森の中にありました。案内看板がきちんとしていますので、迷いません。現地には、「トウインヤエヤマザクラ(第2号)自生地」という看板があり、説明が書かれています。平成8(1996)年に三宅耕三さんという方が発見されたもの。奈良の八重桜に似ているものの、葉や花柄に毛がなく、1つの花にめしべが2本あるものがあり、花が終わると柄の先に2つずつ実が並んでつくという学術上価値が高いヤマザクラといいます。

Img_1633c_20200402173301  こちらは、花のクローズアップ。ヤマザクラは、同一地域の個体群内でもImg_9174c_20200402173301 個体変異が多いそうで、開花時期、花つき、葉と花の開く時期、花の色の濃淡と新芽の色、樹の形など様々な変異があるといいます。八重のヤマザクラが他にあるのかどうか、不勉強にして知りませんが、それはともかく、きれいなピンク色の花が咲いていて、探してやって来た甲斐がありました。今日歩いたのは、合計3.8㎞と短かったのですが、2つの公園と厳島神社はけっこうアップダウンがあり運動になりましたし、イヌナシの花もトウインヤエヤマザクラも見られ、満足。

Img_9206c_20200402173301  ところで、私がお世話になっている江戸橋方面の授業がどうなるか気になっていましたが、結局、連休明け開講に変更したという連絡がありました。4月5日に予定された入学式は中止。オリエンテーションも5月の連休明け。ということで私の出講も5月13日からとなります。この春入試に合格して、入学が決まった1年生の皆さんは、入学式もなく、登校もできずで、喜びと不安がない交ぜになった、宙ぶらりんの状況に置かれ大変でしょう。短大ですから、2年生の皆さんは就活や編入などに向けた活動を始めなければならないところで、これまたどうしたらよいか、大変心配でしょう。お盆前まで授業、お盆の頃前期試験。試験が終わってもう1回授業と変則的なやり方にならざるを得なかったようです。非常勤講師の私は、専任の教職員の方に比べれば責任も軽いのですが、専任の皆さんはてんやわんやしておられることと思います。

Img_1641c_20200402173301  もう一つ。ぼやきが増えていますが(苦笑)。「一世帯に布マスク2枚を配布する」件が話題になっています。「後手後手に回った上に、やることがショボい」というのが、最初の率直な感想(もっともこれを実行するとなると、普通郵便(84円)を利用したとしても、日本の全世帯に配布するのにそれだけで約42億円、マスクの費用、作業にかかる人件費を含めると、軽く100億円を超えるという話がありますから、ショボいというのは不適切な表現かも知れません)。それに私の周囲の女性や、知り合いに聞くところでは、「布マスクなら自分で作れるから、いらない」という声が多数。費用対効果なんて考えてない? こんなこと(と敢えて書きますが)やって、国民が本当に助かって、喜ぶと思っているんでしょうかねぇ。国民や国民の暮らしをいったいどんな風に捉えているのでしょう。総理大臣が、さも大したことのように表明することではないと思うのですが(ご丁寧に、洗うと繰り返し使えると原稿を読み上げたとか)、ヒマな年寄りの杞憂に終わればよいのですが……。

 ということですが、私は、必要な予防に気をつけた上で、「3密」には近づかず、相も変わらず「淡々と飽きもせず……」であります。最後の2枚は諸戸氏庭園前のマイソメイヨシノ。ほぼ満開。自然はいつも通り、移り変わり、楽しませてくれるのが何ともありがたい。

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2020年4月 1日 (水)

20200329「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」(その1)……北勢線星川駅をスタート、星川神社、星川山安渡寺、森忠名神明神社、ヤマモリの工場を見て、天皇八幡神社、市天然記念物のクロガネモチの木へ

200329hoshikawatouin  3月29日に「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」に行きました。今回は、その本編その1です。昨今の状況下では、不要不急の外出に間違いはありませんが、人と接触がきわめて少ない、旧街道を歩くハイキングなら、コロナの感染リスクも低く、健康増進にもよいと勝手に考え、3月15日の「益生(三ツ矢橋)~星川」に続いての第2弾として、三岐鉄道北勢線の星川駅から、桑名の隣の東員町にある北勢線・東員駅まで歩いてきました。休日の北勢線は、1両にせいぜい数人の乗客、歩いているのは旧街道で人混みとはほど遠い。昼食だけはカフェレストにてという次第。

Img_8071c_20200331203101  当日は、朝、雨がわりと遅くまで残りましたので、スタートを11時に変更。三岐鉄道北勢線西桑名駅を10時35分に発車Img_8085c する楚原行きに乗車。星川駅には10時48分着、¥240。実際には、10時55分にスタート。今日も、前回同様、K氏、M氏との「オッサン三人旅」。私の悪影響を受けたのか、お二人とも「是非とも行く」という意気込み(微笑)。何だかツアーコンダクターになった気分。「太一丸ツアーズ」か、「mamekichiトラベル」という会社でも立ち上げようかと思ったりします。

200329hoshikawatouin1  さて、実際に歩いたルートマップの詳しいもの、その1。星川駅を出て南へ。町屋川(員弁川)の堤防に突き当たるところからが、員弁街道。右折して、西に向かいます。1㎞までの間に星川城跡、星川神社、安渡寺とあります。星川の町を進み、森忠名神明神社(マップでは名神明神社)に寄って、2㎞を過ぎたところで天皇八幡神社(マップでは八幡神社)と市天然記念物のクロガネモチの木を見ます。続いて、道標を1つ確認してから七和駅の方に入って薬師堂。

Img_8089c_20200331211701  星川駅を出て300mほどで嘉例川(かれがわ)を渡ります。嘉例川は水量が少なく、すぐに枯渇するため、「枯川」の意味で名づけられたといいます。上流には、市天然記念物の「ヒメタイコウチ」が生息します。ヒメタイコウチ(姫太鼓打)は、カメムシ目タイコウチ科に属する小さな水生昆虫なのですが、私は見たことはありません。絶滅が危惧されていて、嘉例川地区ではビオトープを整備するなど保護事業も行われています。

Img_8087c_20200329180801  嘉例川を渡るあたりから進行方向(北西)を見た写真。中央に見える白い建物(万代家具)に向かって左手あたりに星川城がHoshikawacastleruin ありました。室町時代、春日部若狭守が居城したといいます。春日部氏は、旧朝明郡萱生(現在の四日市市萱生町)の豪族で、星川城主はその一族。織田信長の伊勢侵攻の時に滅んだといいます。現在は、はっきりした遺構はないようです(こちら)。右の画像は、桑名市教育委員会の文化財のサイトにある遺跡分布図に目印を記入したもの(こちら)。オレンジの網掛け部分が、星川城跡と考えられています。青いルートが員弁街道。

Img_8091c_20200331212901  嘉例川から少し先の員弁街道の様子。ゆるやかな登り坂になっています。偉そうにM・K両氏を引率して歩いていましたが、この先、実は未知の土地(苦笑)。予め調べて自作したコースマップを見ながらの道中なのです。

Img_8093c_20200329182201  星川駅から600mほどで星川神社。街道の北側に「延喜式内星川神社/神厨星川神明神社」と刻まれた社号Img_8109c_20200331213401 標があります(明治34(1901)年建立)。右は、一の鳥居。

Img_8106c_20200331213401  御祭神は、天照皇大神。相殿神は、須佐之嗚命(すさのおのみこと)、大山祇神(オオヤマツミノカミ;山の神)、宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと;五穀、食物をつかさどる神)、火産霊神(ほむすびのかみ;火の神)。一説によれば、この地を開拓した星川武彦命の祖先を祀るともいいます(勢桑見聞志抄)。社伝によれば、創立は応神天皇時代とされますが、詳細は不明。明治40(1907)年11月に八坂神社、御厨神明社、山神社を、また、同45(1912)年2月に大字仲新田の稲荷社を合祀しています。ちなみに、勢桑見聞志抄は上巻が、桑名私立中央図書館のサイトで見られます(ここ)。

Img_8102c_20200331213401  神社は、台地の上にあります。社殿の背後は、この写真のようになっていて、「このあたりも星川城の範囲だったのかという気もした」と予告編に書いたのですが、上記の遺跡分布図によれば違ったようです。しかしながら、地図や資料を見たり、現地に行ったりして、あれこれ想像をたくましくするのは楽しいものです。

Img_8115c_20200329183101  街道に戻って、1㎞の手前に星川山安渡寺(ほしかわざんあんどじ)。ここは、特定の宗派には属さない単立Img_8130c_20200331220201 の寺院。ご本尊は、平安時代の聖観世音菩薩(桑名市指定文化財)。蓮華座、仏身約35cmの檜の一木造りで、平安中期の作とされます。伊勢巡礼30番札所といいますが、この「伊勢巡礼」は不明。

Img_8120c_20200329183201  奈良時代、行基によって創建され、その昔、本堂裏に行基の腰掛松があったといいます。星川城主・春日部Img_8148c_20200329183201 若狭守によって大伽藍が建立されたといいますが、織田信長の兵火で焼失したといいます。鎌倉時代から「星川の観音さん」として知られていたことが、四日市市南富田町の善教寺が所蔵する阿弥陀如来像の胎内文書に記されているそうです(こちらにその紹介があります)。子安観音として安産守護の霊験あらたかで、また開運・厄除けの守護としても人びとから篤く信仰されています。

Img_8152c_20200331220501  境内には、見事なしだれ桜(左の写真)とソメイヨシノがありましたし、ここからの眺めはかなりよいものImg_8122c があります。

Img_8158c_20200401071602  安渡寺を出てしばらく行くと森忠に入ります。員弁街道は、左の写真のような感じ。前回の三ツ矢橋から星川あたりは、クルマもほとんど通らなかったのですが、星川から西は、けっこう車が頻繁に通ります。このあたりの方が、前回歩いたところよりも住宅が多いからなのだろうと思います。旧東海道や、旧伊勢街道(参宮街道)も生活道路になっているところが多かったのですが、員弁街道のこのあたりもそうなのでしょう。

Img_8159c_20200329193301  森忠名神明神社(もりただなしんめいじんじゃ)が、1.2㎞ほどのところにあります。ちょっと珍しい名前の神社です。主祭Img_8169c_20200329193301 神は、天照皇大神。相殿神は、大山津見命。創始は不詳。古代、このあたりは伊勢神宮の領地で、「守忠」あるいは「盛忠」という人の名田(みょうでん)でした。神宮の領地管理に貢献があったので、その名が地名となったといいます。守忠/盛忠の名田に建てられた神明社から、神社の名前が来ています。

Img_8176c  この神社の境内には、「伊勢神宮遙拝所」と、「神武天皇遙拝所/明治天皇遙拝所」の石碑がありました。写真で向かって左が伊勢神宮遙拝所です。さほどたくさん見て回ったわけではありませんが、桑名市内の神社では、こうした遙拝所は初めて見ました。両遙拝所とも、皇紀二千五百八十三年(大正12(1923)年)に山上甚兵衛という方が建立しています。

Img_8171c  拝殿に向かって右手(東)にもう一つ、社殿がありました。神社検索三重のサイトには、「末社火産霊社(祭神火産霊命)」と、村内の「山神社(祭神大山津見命)」が、いずれも明治40(1907)年に合祀を許可されたとありますので、これらのどちらかかと思います。

Img_8188c  2㎞ほどのところにヤマモリの桑名工場があります。ヤマモリは、明治22(1889)年創業。三林専太郎が、Img_8190c 味噌・しょうゆ醸造業を始めました。今日では、それ以外にもかまめしの素、レトルト食品なども製造しています。三重大学カレーや、桑名カレーのレトルトもつくっています。ちなみに、昭和42(1967)年に日本で初めて「袋詰液体スープ」を発売したそうです。工場の正門脇に朱い鳥居が並んでいましたので、お稲荷さんが祀ってあるかと思いきや、猿田彦さんでした。工場、会社などにはお稲荷さんが定番だと思っていました。猿田彦さんは、導きの神様ですから、これもありかも知れません。

Img_8194c  ヤマモリのすぐ先の北に天皇八幡神社。芳ヶ崎(はがさき)の産土神。春日社と牛頭天王社を相殿とします。御祭神は、品陀和気命(ホンダワケノミコト;応神天皇)、素盞嗚命(すさのおのみこと)、火産靈命(ほむすびのみこと)、大山津見命(オImg_8199c オヤマツミノミコト)、天兒屋根命(アマノコヤネノミコト)。由緒は不詳ですが、鳥居は文化2(1805)年に再建した記録があるといいます。

Img_8209c_20200403051901  境内には、拝殿横に順正稲荷大明神があります。以前には、このあと訪れる薬師堂の南に鎮座していたのでImg_8203c_20200403051901 すが、祠の老朽化もあり、建て替えて、平成24(2012)年11月に遷座。拝殿の屋根瓦には菊の紋章らしき模様がありましたが、よく見ると花弁が12枚。本物の菊の紋章は「十六八重表菊」ですから、異なったもの。ちなみに、天皇八幡神社という名前も、牛頭天王辛きていると説明がありました。

 ここの社号標に「村社」とあるのを見て、M氏から「村社とは?」と尋ねられました。神社には、その等級を示す「社格(しゃかく)」がありました。歴史的にそのあり方は変遷していますが、明治以降は、官幣の大社、中社、小社、国幣の大社、中社、小社、別格官幣社、府社、県社、郷社、村社、無格社などの別が定められました。第2次世界大戦後廃止されていますが、今でも「旧社格」といって、神社の格を表す目安になっています。Wikipediaの「近代社格制度」に詳しく説明がありますが、端的には、どこから奉幣(ほうへい)を受けるかということです(ちょっと乱暴な結論ではあります)。

Img_8222c_20200329194501  天皇八幡神社の南、員弁街道を越えたところに市の天然記念物に指定されているクロガネモチの木があります。クロガネモチは暖地に生える常緑高木。これは、天皇八幡神社のご神木で、地元が大切に守っていますが、剪定などはしてはならないとされているそうで、周囲にお住まいの方にはご苦労もおありのようです。多数の枝を四方に張り見事な傘状をした名木です。

 長くなりそうですから、ひとまずここで区切りとします。その2は、この近くにある九華はちみつ、道標、薬師堂から。 

 

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いつのまにやら新年度を迎えました

Img_8575c_20200401152401 Img_8579c_20200401152401  雨模様の日が続いていますが、今日午前中は曇り。相談会の報告書を郵送しがてら9時半から11時過ぎまで散歩してきました。住吉入江から八間通の郵便局に立ち寄って、九華公園へ。公園内をほぼ回り終えた頃からポツポツと降ってきました。傘は持って出ましたので、傘を差して、京町から寺町商店街のアーケードを通り抜けて帰宅。4.5㎞。きちんと歩いたのは、日曜の員弁街道ハイキング以来。冒頭の2枚の写真は、マイソメイヨシノ。かなり咲きました。晴天のもとで見たいもの。

Img_8710c_20200401152401  雨が降っていないうちにと思った方は案外多いようで、花見がてら散歩という方がけっこうありました。左の写真は、九華公園Img_8726c_20200401153701 本丸跡の藤棚近くのソメイヨシノ。ここだけ見ればほぼ満開。新聞情報では、今朝も「咲き始め」でしたが……(苦笑)。観光協会も手を抜かずに観に来ればいいのに。

Img_8656c  外周遊歩道の南、二の丸橋の東側あたりもよく咲きました。木が大きく育っていて、ボリュームImg_8838c_20200401152501 がありますから、満開になると見応えがあります。新型コロナウィルスの影響でさくらまつりは中止となり、露店も、堀めぐりもなくなり、静かに楽しめます。関係者の皆さんには大打撃なのですが、ゆっくり見て回れるのはありがたいところ。

Img_8633c_20200401152401  カモはまだ38羽ほど滞在中。「ゆる鉄写真」ではありませんが、「ゆる鳥写真」を狙ってみました(微笑)。ハシビロガモは雄Img_8627c 1羽のみ、ホシハジロはオス2羽にメス1羽。久しぶりにヒドリガモが2ペア。他はキンクロハジロでした。ユリカモメは、例年4月になると、来ないのですが、今日は8羽。夏羽にモデルチェンジ中のものも散見されます。

Img_8769c_20200401154501  キンクロハジロたちの多くは、身繕いに夢中(左の写真)。旅立つのも近いかなと思わされます。この冬もしっかり楽しImg_8660c ませてもらいました。右の写真は、ヒドリガモのオス。

Img_8679c  他の野鳥はそれなりにいたのですが、この天気ではいけません。シメは朝日丸跡にて。このImg_8649c_20200401154801 ほかツグミを2羽、メジロ、シロハラ、コゲラも見かけましたが、今日持っていたのは超望遠コンデジ。追いつきません。やむなく、ヒヨドリで。

Img_8712c  鎮国守国神社の境内で梅の木をよく見たら、小さな実がImg_8666c_20200401155001 なり始めていました。イロハモミジは、右の写真のようになっていました。といっても、よく分かっていないままに写真だけを撮ってきました。勉強します。

Img_8851c  京町で石取会館の前を通ったら、再開されていました。新型コロナウィルス感染予防策を採った上で開館したとあります。こImg_8852c_20200401152501 のほか、図書館なども再開されるようです(こちら)。「これは、博物館もか!?」と期待して、近くにある博物館も見にいったのですが、こちらはまだでガックリ(ここ)。春季企画展「刀剣幻想曲」が見たいのです。会期は5月10日までの予定ですから、見られないまま終わるのかも知れません。桑名宗社(春日神社)では、「宝刀村正特別公開」が3月28日(土)~4月4日(土)に予定されています。以前チェックしたときは(2/28)、通常通り開催予定となっていましたが、どうなったでしょう?

Img_8868c  いつもと違う状況の中、新年度を迎えましたが、年度が替わったという感じがあまりしません。江戸橋の非常勤先も、入学式を中止し、授業を10分短縮して実施する以外は予定通りという連絡がありましたが、あちこちで大学は、授業開始時期を遅らせたり、遠隔授業を企画したりしていますので、個人的には先行き不透明だなと感じています。関わっている研究会の1つは、7月までは休会しようと検討中。もう1つの別の研究会は、4月に企画していた催しは取り敢えず、延期としました。

Img_8862c  政治家は、これまでのところ私の見る限り、「口は出すが金は出さない」、「利権は守ろうとするものの国民はほったらかし」、「自分自身のことしか考えていない」です。自粛を要請するのであれば、それを補う具体的な対策がセットになっていなければなりません。根拠に基づいたルールを示さなければ、国民の行動は変わりません。役人の書いた原稿を棒読みして、「リーマンショックの時以上の対策」と抽象論だけを振りまくのは論外。身内の行動さえコントロールできない人がリーダーで大丈夫かよぉ、と突っ込みたくなります。「飯の食い上げ」状態になっている方も多いと思うのですが、所得制限をつけて商品券を配る(牛肉券とか、魚券という話もありましたが、真面目に考えてるのか、真面目に考えてそのくらいなのかと呆れます)とか。安心して、安全に暮らすことができるようにするのが、政治家の仕事のはず。

Img_8874c_20200401161701  と昔のぼやき漫才のようなことを書きましたが、皆が「これならしばらくは何とかやり過ごせる」と思えないと、この状況を乗り越える力にならないと思います。かく申す私は、例によって「淡々と飽きもせず……」精神で暮らしていくつもり。最後から2枚目の写真は、桑名別院本統寺の門前のソメイヨシノ。左の写真は、我が家近くの玉重橋のたもとの桜。エドヒガンザクラの系統と聞いた記憶がありますが、ちょっとアヤシい。

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2020年3月31日 (火)

雨読の日……ブログは累計198万PVを越えました、御礼申し上げます

Img_8561c_20200331134901  朝からずっと小雨というか、霧雨というか。雨に煙っている感じです。朝一番に一つ用事を済ませてからは、蟄居生活というか、居職中。「雨読」の1日になりそうです。4月5日の相談会を中止にさせてもらいましたので、ご相談の方に差し上げる報告書を書いて、読み直し、書き直す作業を続けています。雨雲レーダーを見ると、雨雲は写ってはいないのですが、霧雨が降っていますから、今日は散歩には出られそうもありません。

Img_8554c  先日、去年より2週間ほど早く株分けを行ったサギソウ。6鉢に仕上げ、そのうち4鉢は家内の母に進呈。残り4鉢のうち、3鉢からImg_8557c_20200331134901 は無事に芽が出て来ています。5年前、ブロ友のこころんさんに1鉢をいただいてから毎年育てていますが、エアコンの室外機近くにおいて枯らせてしまうなど、失敗もしましたが、どうやらこうやら冬越しをして、続けて育てられるようになりました。今年もまたあの白い、優雅な花を見たいものです。ささやかなベランダ園芸です(微笑)。

Img_8564c_20200331134901  我が家の北側の様子。「借景」としている諸戸氏庭園を見下ろしています。向こうに見えるのは、揖斐川、長良川。左端には、長良川河口堰、六華苑の洋館塔屋なども写っています。中央、白いカバーがかかっているのは、現在修復工事中の諸戸氏庭園主屋。その右手に桜が見えています。もっとも手前が「マイソメイヨシノ」。

Img_8568c_20200331134901  クローズアップしたのがこちら。7~8分咲きというところでしょうか。ここは今のように整備される前は、まさに「入江」になっていて、その土手にこれらの桜が植わっていました。老木ですが、毎年見事に咲き、楽しませてもらっています。もっとも手前のソメイヨシノを勝手に自分の桜と決めて、毎年楽しんでいます。皆様も、ご自分の桜の木をお決めになると、さらに楽しめるかと思います。

20200331nekonoakubi   ところで、今日の午前中、ブログのアクセスカウンタを見ましたら、累計198万ページビューを越えていました。ブログを始めたのは、平成17(2005)年10月26日でした(Blog事始め)。以来、書き続けて14年5ヶ月あまりになりますが、当初は、アクセスしてくださる方がない日もあり、まさかこれほど読んでいただけるとは思ってもいませんでした。お読みくださる皆様には、厚く御礼申し上げます。

200331access  こちらは、今月の日ごとのページビュー数の推移を示したグラフ。毎日、概ね100前後となっています。ブログの画面左側のコラムの「お知らせ」にありますように、平成26(2014)年12月以前の記事は削除し、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました。こちらココログの「猫の欠伸研究室」には、平成27(2015)年1月以降の記事を残してあります(平成27(2015)年1月から現在までの記事は、両方にあります)。古い記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」にありますので、このココログの記事で検索されない場合、そちらで検索してくださるようお願いします(心理アセスメント関係の記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」にたくさんあります)。

Img_1477c  明日も終日雨で、青空は4月2日までお預けのようです。新型コロナウィルス感染状況や、それにともなうもろもろのことの先が見えませんが、私はモットー通り、「淡々と飽きもせず……」、「晴歩雨読」の生活を続けることにします。このブログも引き続き、よろしくお願いいたします。左の写真は、昨日見てきたイヌナシの花。

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2020年3月30日 (月)

桑名発達臨床研究室からのお知らせ

 三重県知事から、本日、3月29日時点で50名を越える感染者が確認されている東京都、大阪府、北海道、愛知県、兵庫県、千葉県、神奈川県、埼玉県の8都道府県には不要不急の出張や訪問を自粛するお願いが発表されました(こちら)。

 これに伴い、4月5日に予定しておりました相談会は、コーディネーターの先生とも相談した結果、中止といたしました。相談会につきましては、今後の状況を見て、改めて設定いたします。 また、面談での相談につきましては、当面、感染状況を考慮して対応したいと考えています。ご相談希望の方には、まずはメールにてご連絡ください。メールアドレスその他につきましては、桑名発達臨床研究室のサイトにあります。

 志村けんさんも新型コロナウィルス肺炎でお亡くなりになりました。身を以て「気をつけろよ」と教えていただいた気がします。ご冥福をお祈りします。われわれも気をつけましょう。

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今日もまた東員町方面へ……鳥取神社のイヌナシの花を見てきました

Img_8397c  天気があまりスッキリせず、午後からは雨という予報でした。迷ったものの、今日もまた東員町方面に出没(微笑)。去年見損なったイヌナシの花がそろそろ咲いているらしいという情報を得ましたので、見に行ってきました。結局、鳥取神社のイヌナシを見終え、万助溜公園に回ったところで雨が落ちてきて、撤収(苦笑)。

200329hoshikawatouin0  我が家からクルマで20分あまり、東員町大字鳥取にある鳥取神社へ。8時55分頃到着。去年、ここにイヌナシの木があることだけは確認していました(2019年6月24日:ヤバい公園を巡って(笑)……鳥取神社のイヌナシも見てきました)。昨日の「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」のマップに位置関係を書き込んでみたものが、左の画像。鳥取塚から北へ1㎞弱のところにあるのが鳥取神社。今日は、さらに万助溜公園や、山田溜公園にも行こうと思ったのですが、上記のように断念。

Img_8524c_20200330163901  鳥取神社に向かって右手(北側)にある公園にイヌナシの木があります。左の写真は、東側にある公園の入り口から撮ったもImg_8497c の。手前に桜の木がありますので、どうしてもそれが写ってしまいます。北側に回ると、右の写真。7~8分咲きという感じでしょうか。今日は、見逃してはいけないと満開でないことも、曇天であることも承知の上で見に来たのです。今週後半くらいになると満開になりそうな印象でした。

Img_1491c Img_8504c   イヌナシの木は、日本では愛知・三重・岐阜のみに生息する野生ナシで、植物学上希少な種とされています。東員町では、「山田半ノ木谷イヌナシ自生地」があり、東員町の天然記念物第2号に指定されています(山田溜公園内)(2019年7月12日:溜池めぐり……チョウトンボはそれなりに、山田溜池公園ではカワセミを撮り逃がす失態(苦笑))。この近くではここ東員町の他、桑名の多度や、四日市の東阿倉川に群生地があります。桑名の「多度のイヌナシ自生地」は国の天然記念物に指定されています。ちなみに、イヌナシは、マメナシといわれる野生のナシの中では原始的な種だそうです。満開になる頃、もう一度見に来たいと思っていますし、山田溜公園の方も行きたいところ。さらに、6月には実がなりますから、今年はそれも見落とせません。

Img_8472c  イヌナシのある公園の周囲には、桜並木。う~ん、やはり好天の日に出直しです。今週後半くらいですね。左側の写真の川Img_8530c_20200330163901 は、藤川。昨日のハイキングで、東員交番の裏手で自然石の道標を見る前に渡った川。ここはその上流。右の写真は、イヌナシのある公園の周囲の桜。東員町、けっこうあちこちに桜がありますし、トウインヤエヤマザクラという珍しい桜もあるそうです。

Img_8427c  さて、鳥取神社については、昨年6月24日にイヌナシの場所確認に来たときにも参拝しています。由緒は不Img_8437c_20200330163901 詳ですが、延喜式内社という石柱がありました。天正の兵火(織田信長と羽柴秀吉による紀伊への侵攻、いわゆる紀州征伐を指すようです)で現地へ遷り、江戸時代は「諏訪社」と称していたといいますが、鳥取神社と称された経緯は不明。員弁川の西、笠間小学校の北、集落の中、2つの小川が合流する地点にあり、古くは川中島といわれた地です。明治5(1872)年に村社。

Img_8439c_20200330163901  御祭神は、天湯河桁命(あめのゆかわたなのみこと;鳥取造(ととりのみやつこ)の祖。垂仁天皇23年、皇子の誉津別命Img_8441c (ほむつわけのみこと)は30歳になっても口をきかなかったが、クグイ(白鳥の古名)が飛ぶのを見てはじめて話すことができました。天湯河板挙は天皇の命でその鳥を捕らえて献上し、その功により氏姓をさずかり、鳥取造と称したといいます)。相殿神は、天照大御神大山祇神(おおやまつみのかみ;山の神)、市寸島姫命(イチキシマヒメノミコト;宗像大社の辺津(へつ)宮の祭神)、宇迦之御魂命大国主命(オオクニヌシノミコト;素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子、出雲大社の祭神)、火産霊神(ほむすびのかみ;火の神、伊邪那美命は、この神を生んだために、女陰を焼かれて死亡した)、建御名方命(タケミナカタノカミ、大国主命の子。武神)。

Img_8544c_20200330163901  ところで、本日のマイソメイヨシノの様子。まだ5分咲きに至るかどうか、という感じでした。この冬は暖かかったようで、Img_8546c 寒暖が定まらないところもありましたから、結局、桜はそれほど早くはなかったというところでしょうか。晴天は、4月2日以降という予報です。ということで、散歩というほど歩いてはおりません。専通寺のしだれ桜や、羽根谷だんだん公園のソメイヨシノも見に行きたいと思っていますが、今週後半ですね。

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2020年3月29日 (日)

20200329「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」(予告編)

Img_8073c_20200329180701 Img_8082c_20200329180701  不要不急の外出は避けるべきところではありますが、厚生労働省の勧告「換気が悪く、人が密に集まって過ごすような空間に集団で集まることを避けてください」を遵守して、「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』に行ってきました。3月15日の「益生(三ツ矢橋)~星川」に続いての第2弾として、三岐鉄道北勢線の星川駅から、桑名の隣の東員町にある北勢線・東員駅まで歩いてきました。休日の北勢線は、1両にせいぜい数人の乗客、歩いているのは旧街道で人混みとはほど遠い。昼食だけはカフェレストにてという次第。本日は、予告編で主な立ち寄り先を取り上げます。

Img_8085c  朝方、雨がわりと遅くまで残りましたので、スタート時刻を11時に変更。三岐鉄道北勢線西桑名駅を10時35分に発車する楚原行きに乗車。星川駅には10時48分着、¥240。10時55分にスタート。今日も、前回同様、K氏、M氏との三人旅。私の悪影響を受けたのか、お二人とも「是非とも行く」という意気込み(微笑)。

200329hossikawatouin  こちらが本日歩いたコース。前回同様、ほとんど三岐鉄道北勢線に沿っています。ハイキングで歩いた距離は6.3㎞。自宅から西桑名駅往復が、2.1㎞ですから、合計8.4㎞。今日のコースには、寺社仏閣、地蔵堂などの他、道標、桑名市の天然記念物、穴太徳の碑などさまざま見るべきところがあり、楽しめます。予定していたところで見つけられなかったものもありましたが、概ね満足。

Img_8087c_20200329180801  星川駅をスタートして、北勢線の踏切を渡って右折する(西に向かう)と員弁街道に出ます。嘉例川を越え、すぐにまた北勢線を渡った先、右手あたりが星川城跡です(左の写真で、中央に見える万代家具に向かって左あたりの守と思われます)。室町時代の城館跡。春日部若狭守が居城したといいます。春日部氏は、旧朝明郡萱生(現在の四日市市萱生町)の豪族で、星川城主はその一族。織田信長の伊勢侵攻の時に滅んだといいます。

Img_8093c_20200329182201  スタートから700mほどで星川神社の参道入り口に来ます。員弁街道脇には一の鳥居と、「延喜式内星川神社/神厨星川神明Img_8106c_20200329182201 神社」の石柱(明治34(1901)年建立)。星川神社は、この地を開拓した星川武彦命の祖先を祀ります(勢桑見聞志抄)。御祭神は、天照皇大神。相殿神は、須佐之嗚命、大山祇神、宇迦之御魂神、火産霊神。社伝によれば、創立は応神天皇時代とされますが、詳細は不明。明治40(1907)年11月に八坂神社、御厨神明社、山神社を、また、同45(1912)年2月に大字仲新田の稲荷社を合祀しています。台地の上にあり、このあたりも星川城の範囲だったのかという気もしました。

Img_8115c_20200329183101  1㎞の手前に星川山安渡寺(ほしかわざんあんどじ)。特定の宗派には属さない単立の寺院。ご本尊は、平安時代の聖観世音Img_8120c_20200329183201 菩薩(桑名市指定文化財)。檜の一木造り。伊勢巡礼30番札所。奈良時代、行基によって創建され、星川城主・春日部若狭守によって大伽藍が建立されたといいますが、織田信長の兵火で焼失したといいます。鎌倉時代には、「星川の観音さん」として知られていたことが、四日市市南富田町の善教寺が所蔵する阿弥陀如来像の胎内文書に記されています。境内には、見事なしだれ桜とソメイヨシノがありましたし、ここからの眺めはかなりよいものがあります。

Img_8159c_20200329193301  森忠名神明神社(もりただなしんめいじんじゃ)です。スタートからは約1.2㎞。主祭神は、天照皇大神。相殿神は、大山津Img_8169c_20200329193301 見命。創始は不詳。古代、このあたりは伊勢神宮の領地で、「守忠」あるいは「盛忠」という人の名田でした。神宮の領地管理に貢献があったので、その名が地名となったといいます。守忠/盛忠の名田に建てられた神明社から、神社の名前が来ています。

Img_8176c  この神社の境内には、伊勢神宮遙拝所と、神武天皇遙拝所/明治天皇遙拝所の石碑がありました。さほどたくさん見て回ったわけではありませんが、桑名市内の神社では、こうした遙拝所は初めて見ました。皇紀二千五百八十三年(大正12(1923)年)に、山上甚兵衛という方が両者とも建立しています。

Img_8190c  その先でヤマモリの桑名工場脇を通り、天皇八幡神社へ。ヤマモリは、明治22(1889)年創業。三林専太郎が、味噌・しょうゆ醸造業を始めました。今日では、それ以外にもかまめしの素、レトルト食品なども製造しています。三重大学カレーや、桑名カレーのレトルトもつくっています。

Img_8194c  天皇八幡神社。芳ヶ崎(はがさき)の産土神。春日社と牛頭天王社を相殿とします。御祭神Img_8199c は、品陀和気命、素盞嗚命、火産靈命、大山津見命、天兒屋根命。由緒は不詳ですが、鳥居は文化2(1805)年に再建した記録があるといいます。

Img_8222c_20200329194501  天皇八幡神社の南に桑名市の天然記念物に指定されているクロガネモチの木があります。ヤマモリの工場の西。クロガネモチは関東以西から四国九州、沖縄に分布する常緑高木樹。この木は雄株。天皇八幡神社のご神木で、剪定などはしてはならないとされているそうです。このあたりでスタートから約2㎞。

Img_8226c  天皇八幡神社のすぐ西に道標。ここを下ると北勢線七和駅に行きます。「(西)楚原道/東 桑名道/北 多度道/南 七和Img_8230c 駅」とあります。三岐鉄道が、北勢鉄道として大山田(現在の西桑名)~ 楚原間(14.5km)の開業を果たしたのは、大正3(1914)年ですから、それ以降の道標と思われます。道標のある交差点から、南、七和駅に向かってはいると、薬師堂があります。奈良時代に創建され、ご本尊は室町時代の作で、ここは中世の芳ヶ崎城跡(羽笠城跡)といいます。

Img_8249c_20200329202701  員弁街道に戻って五反田地内を進みます。大仲新田に入る手前、寒谷川を渡ったところに大日堂と地蔵堂がImg_8251c_20200329202801 あります。2.9㎞地点です。大日堂は、五反田にあった伝西寺が真宗大谷派に改宗し、星川に移るとき、本尊であった大日如来を安置する御堂を設けたといいます。現在、伝西寺は、バロー星川店の東にあります。地蔵堂については、詳細は不明。

Img_8261c  スタートから3.1㎞で弁天川にかかる弁天橋に来ます。ここが、桑名市と東員町の境界。昭和5(1930)年に完成した橋。弁天橋の先、100mほどの民家の庭に「穴太徳(あのうとく)の碑」があります。「穴太徳事 神戸屋徳次郎Img_8268c_20200329205201 碑」と刻まれています。穴太徳は「荒神山の喧嘩」の一方の当事者で、2代目広沢虎造による「血煙荒神山」の浪曲で有名です。かなり以前から、このあたりにこの碑があることを知っていて、是非とも見たいと思っていました。「穴太徳」は、通称(穴太徳次郎(あのうのとくじろう))で、本名は中野徳次郎。昨日の記事にも書きましたが、穴太徳は、慶応2年4月8日(1866年5月22日)の「荒神山の喧嘩」で、神戸の長吉(かんべのながきち)と私闘を展開した、桑名を縄張りとした博徒です。この荒神山の喧嘩では、神戸の長吉側の助っ人として乗り込んだ吉良仁吉は鉄砲で撃たれた上、斬られて死亡しました。吉良仁吉は、清水次郎長一家の応援をえて、穴太徳勢になぐりこんで、義理に殉じたのですが、講談で紹介され、庶民の人気者となりました。また、村田英雄の歌う「人生劇場」にも出てきました(♪俺も生きたや仁吉の様に~♫)。ちなみに、吉良は現在の愛知県西尾市吉良町。故郷からほど近いところですし、忠臣蔵で有名な吉良上野介は、この吉良の領主でした。話が広がってしまいましたが、あれこれいろいろなところで思わぬつながりがあるものだ、ということです。この穴太徳の碑の近くに「神田屋敷」と「六把野井水(ろっぱのゆすい)」があるはずでした。神田屋敷はここかと思うところはあったものの、確信が持てず。六把野井水は、見つけられませんでした。みえの歴史街道マップを見直したら、かなり細い水路でした。もう少ししっかり予習が必要です。

Img_8295  ここからしばらくは見どころはありません。3.8㎞地点で県道14号線に出ます。東員一中の前を通過し、六把野新田ふれあいImg_8286 広場近くに延命地蔵堂と、道標があります(4.4㎞あたり)。みえの歴史街道マップには延命地蔵堂とありましたが、「病難除地蔵尊」と書かれていました。江戸中期のもので、「かおなし地蔵」といわれるそうです。道標は、小さい上にかなりすり減ってしまっており、危うく見逃すところでした。「多度香取道」と刻まれています。右面は読めなかったのですが、こちらによれば「草薙稲次郎建」とあるようです。昔は、幅3~4尺(約90~120cm)の細い道だったのですが、多度祭では参詣客で賑わったそうです。

Img_8305  神田変電所前の信号のすぐ先で県道から分かれます。しまむらのすぐ先で藤川を渡ります。Img_8307 藤川橋という細い橋がありますが、かつては七ツ橋と呼ばれたそうです。この富士川の堤防、左岸にはソメイヨシノの桜並木。満開になったら見事だと思います。

Img_8326  東員交番の裏に道標があります。自然石でできています。「右あげきはった/左大いづみ石Img_8322 ぐれ」とあります。阿下喜、治田、大泉、石榑を指しています。道標は、文化14(1817)年に鳥取(このあたりの地名)の俳人岩田卜斎によって建てられ、裏面には卜斎の「雲いくへ ひばりなくなく そりみ坂」の句が記されています。「そりみ坂」は、「楚里見坂」「曲見坂」などと書いたといいます。また、このこの小高いあたりにはヒバリがたくさん生息していたそうで、「雲雀が岡」と呼んだといいます。私は、春、揚げ雲雀を見上げるのに、体を反らせて見たから「そりみ坂」かと想像しました。この道標のところで、道は二股に分かれていたようです(向かって左は途絶えたというのか、県道になったというか)。

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 道標の先、5.7㎞のところに鳥取塚と、珪化木の碑があります。鳥取塚は、饅頭型の円丘で、かつては古墳が4~5基ありました。今残っているのは1つで、東西21m×南北17m、高さ2.5m。桜などが植わっています。珪化木の碑には「鳥取塚」と刻まれています。明治44(1911)年の建立。この先にチリン坂や、「律師智傳之碑」という自然石の碑があったのですが、私が、この鳥取塚の西の道沿いにあると勘違いしていて、「碑がない」と思ってしまいました。次があれば、チリン坂や石碑からスタートしたいと思います。最後に勘違いがありましたが、予定ではここまで。ちょっと戻って、ゴールに設定した三岐鉄道北勢線・東員駅に向かいます。東員交番の交差点から南へ。

Img_8372c_20200329212501  その前に13時半を過ぎていましたので、昼食を摂ることに。あらかじめリサーチしておいたカフェレスト・Img_8370c_20200329212501 ラフィーネへ。東員駅から線路を挟んですぐ北。オムライスが美味しそうでしたので、ランチのセットに。スープ、サラダ、茶碗蒸し、ミニハンバーグがついて、¥980。前期高齢者には、ボリュームたっぷりすぎるくらい。オムライスの中のご飯には、細かな海老やタマネギやニンジンなどの野菜、それにたまごなんかも入っていました。右の写真、先に出て来たミニハンバーグをかじってしまっています(苦笑)。

Img_8383c  食事を終え、東員駅へ。14時32分発の西桑名行きに乗車。鉄道むすめ・楚原れんげの電車でした。西桑名までは¥340。M氏Img_8384c は星川駅で、K氏は蓮花寺駅でそれぞれ下車。西桑名には14時56分着。帰りも電車は空いていました。

Img_8395c_20200329212601  本日のALKOOのデータ。17,208歩でした。距離は、初めの方に書いたとおり、8.4㎞(キョリ測で測定)。本編は、また明日以降ボチボチと書きますが、K氏、M氏からは、次はいつ? どこを歩く? と催促(苦笑)。員弁街道を阿下喜あたりまで歩くことにするかも知れませんが、企画、下調べともストックがありません。

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2020年3月28日 (土)

雨上がり、鳥も散歩友達も少なし

Img_7969c  雨は朝7時までには上がり、気温も上昇。19.6℃。しかし、晴れ間もあったものの、曇天。散歩に出た8時にすでに15℃もあり、雨上がりということもあって少し蒸し暑い感じでした。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町とちょうど6.0㎞。寺町商店街、今日は三八市。土曜日でもあり、外出自粛もあり、いつも以上に賑わっている感じでした。

Img_7990c_20200328160001  住吉入江には、カモもオオバンもいませんでした。揖斐川も静かで、カンムリカイツブリが2羽。他にはキンクロハジロが2羽。カンムリカイツブリは、夏羽になってきています。もう1羽のカンムリカイツブリは、もうすっかり夏羽でした。ユリカモメがときどき飛んでいきます。

Img_1380c  川口水門(七里の渡し跡のところ)の下流側の高水敷には、ヒドリガモが100羽ほど集まっていました。やはImg_1382c_20200328160001 りこのあたりは、ヒドリガモが帰る前の集合場所になっている気がします。皆、懸命に草を食んでいました。他には、揚げ雲雀が聞こえましたが、どこにいるか見つけられず。

Img_7997c  三之丸公園のソメイヨシノも咲き始めました。写真の蟠龍櫓のところ、ソメイヨシノが満開になると、私の好きな景色になります。

Img_1395c  こんな雨上がりですから、鳥はあまり見ません。九華公園もドバト、ムクドリ、スズメ、カワラヒワ、ハクセキレイ、ツグミ、シジュウカラなどがいたものの、これという写真は撮れず。カモは、合計20羽と激減。ハシビロガモのペアが1組、ホシハジロのオスが2羽と、他はキンクロハジロ。

Img_8013c_20200328160101  左は、本丸跡の藤棚のところのソメイヨシノ。曇天ですから、色が出ません。右は、管理事務所の南にあるヤマザクラ。これImg_8004c は、ソメイヨシノより早く咲き始めました。散歩する人も少なく、散歩友達にも会いません。管理人Nさんと、前管理人のOさんだけ。

Img_8027c  貝塚公園もソメイヨシノはかなり咲いてきました。こちらも鳥は少なかったのですが、ツグImg_1411c_20200328160101 ミ1羽とシロハラ2羽。

Img_1420c Img_1422c  他にはあまりにも鳥がいませんでしたので、ヒヨドリや、ムクドリも撮ってきました(苦笑)。

Img_8000c_20200328160001  余談。柿安本社のところに出ていた花見弁当の宣伝幟旗。九華公園の隣に本社がありますが、公園には「飲食を伴う宴会等自粛のお願い」が掲示されています。柿安さん、それに挑戦するかのように、けっこう強気(?)。ちなみに、花見シーズン(とくに近年)、公園に柿安さんのレジ袋に入った弁当のゴミが捨ててあるようになりました。

Img_8052c_20200328160101  ところで、明日は、「勝手に三岐鉄道ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』」(三岐鉄道北勢線・星川駅から東員駅)の予定。10時半スタートで、お隣の東員町まで。雨は朝、あがるという予報ですから、何とか歩けると思います。途中には、神社仏閣、城跡のほか、市天然記念物のクロガネモチの木や、穴太徳次郎(あのうのとくじろう、穴太徳)の碑があり、個人的はこれらを楽しみにしています。穴太徳次郎は、慶応2年4月8日(1866年5月22日)の「荒神山の喧嘩」で、神戸の長吉(かんべのながきち)と私闘を展開した、桑名を縄張りとした博徒。荒神山は、私が大学院を修了して最初に就職した鈴鹿にある病院近くの観音寺。近鉄ハイキングなどで出かけた記事もあります(2018年12月 2日:20181202「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(予告編)……最初の勤務地あたりを訪ねて、センチメンタルジャーニー)。

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2020年3月27日 (金)

終日雨で「晴歩雨読」なるも、今ひとつ(苦笑)

Img_7968c  朝5時過ぎから降り始めました。大した降りではありませんが、終日雨。「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」がモットーですから、午前中、三洋堂書店に出かけ、新書2冊とノートを買ってきたくらいで、あとは読み書きの日。相談会の資料を読み込み、考え、少しずつアウトプット中。しかしやはり、歩かないとアタマの働きは、今ひとつ(苦笑)。明日は、日中は曇りという予報ですから、歩きたいと思っています。

Img_7964c  玄関先から、諸戸氏庭園前にある「マイソメイヨシノ」が見下ろせます。昨日よりは、花は増えた印象。まだ咲いている途中ですから、雨で散ってしまう心配はありません。月が変わった頃には満開になるのでしょう。

Img_7962c_20200327162401  何もありませんので、余談を3つ(余談の方が多いというツッコミはなしでお願いします)。幼稚園にお勤めの知り合いからいただいたお菓子。珍しいものがあるなと思ったのですが、卒園式などで保護者の方からいただいたのだそうです。「ありがとう クッキー」で検索すると、いろいろなものが出て来ました。どら焼きや、毛筆風の書体で「お世話になりました」と入っているものなど、多種多様。いろいろなものが商売になるものだと感心しています。

Img_1336c  もう一つ。昨日の失敗写真。散歩帰り、我が家前の住吉入江の上空をツバメが飛び交っていました。水面に接してまた飛ぶということを繰り返していました。水を飲んでいるのかなという気がします。ツバメであることは、何とか分かる写真かと思います。

Img_7946c_20200327163401 これでオシマイにしますが、最近の桑名七里の渡し公園。平成27(2015)年11月3日にオープンしました。まImg_7948c_20200327163401 だ部分開園の扱い。増設部分の造成工事が終わって、工事はストップ。といいますか、今年度分が終了したのでしょう。Park-PFI方式で、飲食店、売店等の建物が建ち、この4月から供用開始となっていたのですが(こちら)、これでは無理。掲示も何も出ていませんので、詳細は不明。もっと年がいって、九華公園まで行けなくなったらこここを散歩しようと思っています(微笑)。しかし、その頃には徘徊しているかも……。

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